表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
24/24

第二十四話「それ、重いよ」



 朝輝の迎えで家に戻ったその日は、妙に静かだった。


 メイベルは車――ではなく、兄の自転車の後ろに乗るのも無理そうだったので、結局三人で歩いて帰った。

 朝輝はいつもより口数が少なくて、メイベルもほとんど喋らなくて、私はその真ん中で何を言えばいいのかわからなかった。


 ただ、帰り道の途中で一回だけ、朝輝が私に言った。


「依夜ちゃん」

「なに」

「無理させたの、自分だけだと思わない方がいいよ」

「……」

「でも、自分だけの責任じゃないからって、しんどさを軽く見てもだめ」


 その言い方が、妙に兄らしくて腹が立った。

 腹が立ったけど、言い返す元気もなかった。


 家に着いてから、メイベルはすぐにあたしの部屋へ行って、毛布を抱えたまま座り込んだ。

 いつもなら何かしら「ありがとうございます」とか「すみません」とか言うのに、その日は本当に静かだった。


「……水」

 とあたしが言って、コップを渡す。


「……ありがとうございます」

「うん」


 声が細い。

 ちゃんと戻ってきてはいる。でも、だいぶ削れてる。


 あたしは机の横に立ったまま、しばらく何も言えなかった。


 励ましたいわけじゃない。

 でも放っておくのも違う。

 その間で、ずっと足踏みしてる感じがした。


「……依夜さん」


 先に口を開いたのはメイベルだった。


「なに」

「……わたし」

「うん」

「もう少し、ちゃんとしたいです」


 その言葉に、胸の奥が嫌な感じにざわついた。


 ――また、それか。


「ちゃんと、って」

「……」

「今日みたいに、途中で崩れないとか?」

「……はい」

「学校でも、普通にできるようになるとか?」

「……はい」

「あたしに迷惑かけないように、とか?」

「……」


 メイベルが少しだけ目を伏せる。

 答えなくてもわかった。


「……そういうの」

「……」

「今日の今、考えなくてよくない?」


 自分でも少し刺のある言い方だと思った。

 でも止められなかった。


 今日、この子は崩れた。

 限界まで行って、やっと止まった。

 その直後にまた“ちゃんとしたい”を言われると、なんだか全部が振り出しに戻る気がしてしまう。


「で、でも……」

「でも?」

「このままだと……」

「このままだと?」

「また、同じことに……」

「……」


 正しい。

 多分、正しい。


 でも今の私は、その正しさに付き合える余裕がなかった。


 保健室で泣きかけてた顔。

 “やっぱり私はダメなんです”って言った声。

 それを何とか受け止めたばかりなのに、またすぐ“ちゃんとしなきゃ”に戻ろうとする。


 見ていて、疲れた。


「……メイベル」

「は、はい」

「あんたさ」

「……」

「なんで毎回、そうやってすぐ全部背負い直すの」


 少しずつ、声が冷たくなっていくのが自分でもわかった。


「壊れかけたばっかでしょ」

「……はい」

「普通はそこで少し休むでしょ」

「……」

「なのにまた“ちゃんとしたい”“頑張りたい”って」

「……」

「それ、結局また同じことの繰り返しじゃない」


 メイベルの顔が、少しずつ白くなる。

 でも、止まれなかった。


 たぶん私は。

 今日一日で、思っていた以上に消耗していた。


 美良への苛立ち。

 由斗の言葉。

 自分だけじゃ無理だっていう感覚。

 それをちゃんと整理する前に、また目の前で“崩れて、立て直して、また崩れそうになるもの”を見せられて。


 しんどかった。


「……依夜さん」

「なに」

「わたし、ただ……」

「うん」

「依夜さんの隣にいるなら、ちゃんと……」

「だからそれ」

「……っ」

「それが重いって言ってるの」


 言った瞬間、空気が止まった。


 メイベルの目が、大きく開く。


 あたしも一瞬だけ息を止めた。

 でも、もう遅かった。


「……重い」

 メイベルが、かすれた声で繰り返す。


「……」

「……わたしが?」

「……」

「……依夜さんに、とって」


 そこで、やめればよかった。


 やめて、落ち着いて、違う言い方を探せばよかった。


 でも、その時の私は、もうちゃんと考えるより先に、吐き出す方に傾いていた。


「……そうだよ」


 言ってしまった。


「重い」

「……」

「心配して、見て、崩れそうになったら支えて」

「……」

「毎回毎回、全部こっちに預けるみたいに来るの」

「……」

「正直、しんどい」


 メイベルの顔から、表情が消える。


 あたしはそのまま続けた。

 止まれなかった。


「あんた、自分で“ちゃんとしたい”って言うくせに」

「……」

「苦しくなったら全部私の方見るじゃん」

「……」

「でも根本は、自分で変わるしかないのに」

「……」

「それをずっと、あたしがどうにかできると思われても困る」


 言いながら、どこかでわかっていた。


 これは、言いすぎだ。

 今のメイベルにぶつける言葉じゃない。


 でも、口が止まらない時ってある。

 最低だなと思いながら、止められない時が。


「……わたし」

 メイベルの声は、ほとんど消えそうだった。


「……そんなふうに」

「……」

「思わせて、ましたか」


 そこでようやく、あたしは現実に引き戻される。


 目の前にいるのは、美良じゃない。

 兄でも、自分でもない。

 メイベルだ。


 泣きもしないで、ただ真っ白な顔で、あたしを見ている。


「……」


 何か言わなきゃ、と思った。


 違うとか。

 今のは言い方が悪かったとか。

 そういう何かを。


 でも、先に出てきたのは、もっとひどい言葉だった。


「……あたし、このままじゃ」

「……」

「一緒にいるの、無理かもしれない」


 終わった、と思ったのは、言ったあとだった。


 メイベルの瞳が、目に見えて揺れる。


「……え」

「……」

「……依夜、さん」

「……」


 やめろ。

 その声で呼ぶな。


 今さらそんなふうに揺れるくらいなら、最初から言うなよ、って。

 自分に対して思う。

 でも、もう遅い。


「……ごめん」

 やっと出たのは、そんな情けない言葉だった。


 でも、メイベルは首を振った。


「……いえ」

「……」

「……ごめんなさい」

「謝らなくていい」

「……」


 メイベルは立ち上がった。

 動きが、妙に静かだった。


「……今日は」

「……」

「少し、ひとりでいます」


 その言い方が、逆に怖かった。


「メイベル」

「……大丈夫です」


 大丈夫じゃない。

 そんなの、見ればわかる。


 でも、今のあたしには、それを止める資格があるのか、一瞬わからなくなった。


 メイベルはあたしを見ないまま、部屋を出ていった。


 扉が閉まる。


 音は小さかったのに、やけに響いた。


 ◇ ◇ ◇


 五秒。


 十秒。


 二十秒。


 あたしはその場に立ち尽くしていた。


 何してるんだろう、と思う。

 追いかければいいじゃん。

 止めればいいじゃん。


 でも足が動かなかった。


 今のあたしが行って、何を言う。

 “ごめん”?

 “本当は違う”?

 いや、違わない部分もあった。

 しんどいと思ったのも、重いと感じたのも、全部嘘じゃない。


 だから余計に最悪だ。


 扉の向こうで、かすかに足音がして。

 それがだんだん遠ざかる。


 そこでやっと、あたしははっとした。


「……メイベル!」


 廊下に飛び出す。


 でも、もう姿はなかった。


 階段の方を見る。

 洗面所、リビング、玄関。

 どこも空。


「……っ」


 嫌な汗が出る。


 今のメイベルを、一人にしたらだめだ。

 そんなこと、最初からわかってたはずなのに。


 階下から声がした。

 

「依夜ちゃん?どうしたの?」


 朝輝だ。


「メイベル見た!?」

「え?」

「今、部屋出て――」

「玄関なら」

「……!」


 そこまで聞いて、あたしは駆け出した。


 靴もろくに履かずに玄関を飛び出す。

 外はもう夕方で、空気が少し冷えていた。


 門の先。

 少しだけ離れた道の向こうに、赤紫の髪が見える。


「メイベル!」


 呼ぶ。


 でも、メイベルは振り返らなかった。

 そのまま歩いていく。


「待って!」


 追いかける。

 すぐ捕まえられる距離のはずなのに、妙に遠く感じる。


 そしてやっと、その腕を掴んだ。


「……待って」

「……」

「メイベル」

「……」


 振り向いた顔を見て、息が止まりそうになった。


 泣いていない。

 でも、泣いてない方がまずい顔だった。


「……ごめん」

 反射で言う。


 でも、メイベルはゆっくり首を振った。


「……依夜さん」

「……」

「ほんとうに」

「……」

「……いらないんですね」


 違う。

 そう言いたかった。


 でも、さっき自分で言った言葉が、喉に詰まる。


 “このままじゃ一緒にいるの無理かもしれない”


 それを聞いた相手が、どう受け取るかなんて。

 考えればわかったはずなのに。


「……違」

「違わないです」


 初めてだった。

 メイベルが、あたしの言葉を遮ったのは。


「……依夜さん」

「……」

「さっき」

「……」

「ちゃんと言いました」


 その声は、静かで。

 静かすぎて、逆に痛かった。


「……重いって」

「……」

「しんどいって」

「……」

「無理かもしれないって」


 ひとつずつ、確認するみたいに言う。


「……だから」

「……」

「今日は、もう」

「……」

「追いかけないで、ください」


 その言葉に、指先の力が抜けそうになる。


 でも、離したらだめだとも思う。


「……ひとりに、ならないで」

「……」

「今のあんた、危ない」

「……依夜さんが」

「……」

「危なくしたんです」


 それを言われる資格が、自分にあるのか。

 ないのか。


 そんなこと考える前に、胸の奥がぐちゃっとなった。


 あたしは最低だ。

 知ってる。

 でも、だからって今離していい理由にはならない。


「……ごめん」

「……」

「ほんとに、ごめん」

「……」


 メイベルはしばらく黙っていた。

 やがて、小さく言う。


「……今は」

「……」

「依夜さんのやさしい言葉、信じられません」


 その一言が、今日いちばん痛かった。


 当然だ。

 当然すぎる。


 あたしはそこで、ようやく本当に何をしたのかを理解した。


 この子が一番怖がってる言葉を。

 一番近い場所から、私が言ったんだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ