45話(番外編3)
それから数日後。僕はシンシアを伴い、卒業式に出席するため再び王都へと向かうことになった。
出発の前日、僕たちは屋敷の皆へ挨拶に回った。
特にランカスターには、年老いた身体なのに王都まで行かせてしまったことを深く詫び、感謝の言葉を尽くした。
彼は『仕事ですから』と言ってくれた。その表情はとても晴れやかに見えた。
そして、シンシアの身なりを一生懸命仕上げてくれた侍女のナタリーやメイドのカリンにも、二人で心からの礼を伝えた。
彼女たちは、見違えるほど美しくなったシンシアの姿を見て、自分のことのように喜んでくれた。
妹のエミーは行かないでと駄々をこねていたが、すぐに戻ってくると告げたら機嫌が直った。
そして最後に僕は両親に向かって頭を下げた。
『今回のシンシアのこと、色々と手を尽くしていただきありがとうございました』
(父には悪態をついてばかりの僕だが、その実、誰よりも父を頼りにし、とても尊敬していた)
父は『家族なんだから当たり前だ。気にするな』
そう言ってくれた。
隣にいた母も『そうよ。私たちはもうとっくに家族なのよ』
母は笑いながらいつものようにシンシアの手を包んだ。
こうして父と母、妹と屋敷の皆に見送られながら、必ずすぐに戻ると約束をして、僕たちは屋敷を発った。
ーーーー
卒業式当日。
王都貴族学院は、新たな旅立ちを祝う生徒たちの賑やかな笑い声が溢れていた。
そんな中。
「アンソニー様」
呼び止めたのは、伯爵令嬢ナタリーだった。
二ヶ月程前、辺境の地を『退屈』と言ってのけた張本人だった。
彼女は以前よりもわずかに焦っている様子だったが、それでも作り物のような完璧な微笑みを浮かべていた。
「少し誤解がございましたの。あの時は突然すぎて驚いてしまっただけですの」
取り巻きの令嬢たちが、距離を取って、こちらの様子をうかがっている。
噂はすでに広がっているようだった。
本命だった侯爵家嫡男との縁談が、先方の都合で白紙になったと友人から聞いていた。
「辺境も、考えてみれば素敵かもしれませんわ。自然豊かで、静かで」
『観劇もなく、退屈とおっしゃっていたのでは』
喉元まで出かかった言葉を、アンソニーは飲み込む。
「もしまだお気持ちがあるのなら、わたくし、考え直してもよろしくてよ?」
まるで敗者に情けをかけるような口調だった。
アンソニーは冷ややかに答えた。
「残念ですが、気持ちは既にありません」
ナタリーの表情が固まった。
「冗談ですわよね?」
「いいえ。本当のことです」
ちょうどその時だった。
「アンソニー様」
後ろから優しい声が聞こえた。
振り向いた瞬間、周囲がざわめいた。
そこに立っていたのは、子爵令嬢シンシア。
しかし、以前の、痩せ細った少女ではない。
辺境伯夫人アンジュを始め、皆の手で仕上げられた髪。栄養の行き届いた頬。
もう、そこにいるのはあの日までの彼女ではなかった。
そして何より、彼女はもう怯えてはいなかった。
ナタリーが目を見開く。
「あなた?」
「ご無沙汰しております」
シンシアは落ち着いて一礼した。
その所作は、社交界のどの令嬢にも劣らない。
「辺境は退屈だとおっしゃったのでは?」
そう言われ、ナタリーは鼻で笑う。
「まあ、地味な方にはお似合いですわね。爵位も子爵家でしょう? アンソニー様ほどのお立場なら、わたくしの方がずっと相応しいですわ」
場が凍りつく。
しかし、アンソニーより先に口を開いたのはシンシアだった。
「私は、アンソニー様に選んでいただきました」
あの日までのシンシアはもうそこにはいない。今の彼女は伯爵令嬢を前にしても堂々としていた。
「爵位など、ただの肩書きにすぎません。アンソニー様はそのようなもので人の価値を量ったりはいたしません」
ナタリーが言葉に詰まる。
そして、アンソニーははっきりと言い切った。
「僕が愛しているのはシンシアです」
周囲が皆息を呑んで見守っている。
「彼女は辺境の地を退屈だとは言いません。それに人を見下しません。貴女のように」
そして、わざとらしくほんの少しだけ微笑んだ。
「貴女とは、そもそも価値観が違う」
その一言は、決定的だった。
ナタリーの頬がたちまち、恥ずかしさと怒りで赤く染まる。
「ふん、後悔なさらないことね」
「後悔なさっているのはナタリー様の方では?」
シンシアは、彼女に毅然と言い返した。そして隣に寄り添うアンソニーの手をそっと握った。
その指はもう荒れてなどいない。とても温かだった。
ナタリーはシンシアを睨み、そして取り巻きと共に去っていった。
彼方此方からささやきが聞こえる。
「彼女、確か侯爵家に振られたのよね」
「なんでも、辺境伯家を滑り止めにしようとしたとか」
人とは残酷だ。
だけどそれは、彼女自身が蒔いた種でもあった。
ーーーー
校門を出たところで、シンシアが立ち止まった。
「本当はとても怖かったです」
「そうは見えませんでした。とても堂々としていて、かっこよかったですよ」
「もう、揶揄わないでください」
そう言って照れている彼女の瞳を、僕は真剣に見つめ返した。
「『運命は、努力した人に偶然という橋をかける』という言葉があるが、いつも努力している君があの日、勇気を出してくれたからこそ、僕たちは今、こうしていられるんだ。ありがとう」
僕の言葉に、シンシアの瞳が潤む。
気づけば、これまでの苦労がすべて報われたような、そんな優しい笑顔が僕の隣にあった。




