目の毒は耳にも毒で
つい最近、三つ年上の兄さんが結婚した。死ぬまで独身の恐れあり、とか言われてたあの兄さんが。しかも、政略じゃなくって恋愛結婚。その上、式を急がせたってことで、後から話を聞いた遠縁の親戚たちがぽっくり死にそうな勢いで驚いてたけど。まあ、俺も驚いたくらいだからね。
相手は、実はセイライ国の王族だっていう、ユノちゃん。いや、全然王族らしくないんだけど? こう、にじみ出る気品とかもないし。ただ、セイライ国王の態度を見る限りは、本当に姪みたいだね。
ユノちゃんは、顔は普通だけど、あと数ヶ月で十八になるとは思えない。十五って言われたら納得する、ちょっと幼い顔をしてる。母親のマノ隊長以下、兄姉全員が超のつく美形ぞろいで、割と年相応。
実際、すぐ上のカノちゃんも、腹黒じゃなかったらお買い得だと思う。腹黒なのが、俺としてはいただけないね。ああでも、聞いた話、悪趣味と、人間兵器だっていうお姉さんたちらしいから……誰にしても、ちょっと遠慮したいかな、うん。
そういう意味では、ユノちゃんは普通の子。いつもニコニコしてて、無邪気で、元気いっぱいで、かといって、他人にも元気であることを強要しない。一人にして欲しい時には、きちんと気遣ってくれる。
一緒にいると楽しい、本当に普通の子。
だから、兄さんが惚れたのもわかるよ? 俺も、ユノちゃんだったら結婚したいし。というか、今でもそう思ってるし。
──ユノちゃんが、あと五、六人いたらなぁ。
そんな話は、他の騎士からも聞く。
でもさぁ、俺、思うんだよね。ユノちゃんが何人いたって、俺たちには回ってこないって。
絶対、余ったユノちゃんを全員、エレンが囲い込むに決まってるし。その辺の男より男らしいエレンじゃ、勝ち目もないしさぁ。
「そういえばさぁ、兄さんって、いつユノちゃんに惚れたの?」
兄弟らしい会話でもしてみようかって、ふっと思い立っただけ。うん、もちろん、ただの嫌がらせだよ。当たり前でしょ?
息を詰まらせてむせるあたり、俺が思ってたより器用なんだね、兄さんって。
ユノちゃん相手でも、相当はっちゃけてないと言えないって、知ってるんだよね。まあ、普段は、ユノちゃんから何か聞いてきて、うんうん、って頷くだけでよさそうだけど……って、腹が立つね、それ。
「ねえ、兄さん。いつだったの?」
できるだけニッコリ微笑んでみたけど、どうやら嫌がらせを含んでるのはバレたね。あの顔は、察した顔だ。
チッ……最近、妙に鋭くなったなぁ。
「あ、将軍!」
今日は訓練に参加しないって言ってた、ユノちゃんの声だ。
あははっ、兄さん、挙動不審になってる!
「今夜、イハル兄が飲むぞー、だって」
パタパタ駆け寄ってきて、兄さんのすぐそばまでわざわざ近寄って……結婚前より幸せそうに笑ってるし。
「イハルが? また急ですね……」
「一昨日くらいに決めたけど、将軍にはうっかり言うの忘れてたらしいよ? リアムとアルヴィン様も一緒だって」
「……どういう取り合わせですか」
グッと額を指で押してるけど、わかる。
イハル隊長とアルヴィン様は、まだ許容範囲だ。でも、リアムは無理。あいつ、腹黒い上に頭が切れるから。
この間、エレンがやり込められてるっていうか、言いくるめられてるのを見たし。あのエレンより口が達者って、もう人間じゃないぞ。
「何かね、王女様が女の子だけで集まりたいんだって。で、アルヴィン様は邪魔だからって、イハル兄に押しつけたらしくってさぁ」
……ユノちゃんさぁ、もうちょっといろいろ包んだ言い方をした方がいいと思うよ?
そもそも、王女様じゃなくて、女王陛下だし。
「ああ、そういうことですか……」
「夕ご飯食べたら、アルヴィン様の部屋に集合だって」
「はい、わかりました。承諾したと、イハルに伝えておいてもらえますか?」
「ん、わかった。リディかエレンさんかグレースに頼んどくね」
伝言しすぎだろ! というか、ユノちゃんが直接、イハル隊長に言うんじゃないの? それでちゃんと伝わるの?
聞いてるこっちが、逆に不安になるよ。
「あ、そうそう。今からリディとエレンさんと、街で買い物してくるんだけど、何か欲しいもの、ある?」
「……今は、特に思いつきませんね」
「じゃあ、何か適当にお土産買ってくるね!」
「はい、お任せします」
兄さんとユノちゃんって、しょっちゅうケンカしてた割には、仲いいよなぁ……。
中庭を出ていこうとちょこちょこ歩いたユノちゃんが、ふと振り返って戻ってきた。
「ねね、将軍、しゃがんで」
……ああ、やっぱりやるんだ? 今日はないと思ってたのに、やるんだ?
兄さんも学習はしてるけど、ぐずぐずしてると怒鳴られるし、後で口をきいてくれなくなるんだってさ。
ユノちゃんのことだし、むくれてるとこも可愛いと、俺だって思うよ? たまには、そっちもいいな、ってなるのもわかるよ? だから、たまに、わざとぐずぐずしてるってことも知ってるけどさぁ。
だけど、そういう惚気ってさ、実のところ、耳に毒で心臓に悪いだけなんだけどね。
今日の兄さんはすんなり腰を落としてる。で、その兄さんの頬に、ユノちゃんは軽いキスをして……あーっ! 何度見ても腹が立つ!
目の毒だろ? なあ、それは明らかに、目の毒だよな!? ここにいる騎士の大半は、俺も含めてまだ独り身だぞ!? 婚約者がいるやつだって、少ないんだぞ?
……とりあえず、人前では兄さんがやり返さないらしいし、ユノちゃんもやり返して欲しくはないみたいだから、そこだけは安心できるけど。
「将軍、訓練頑張ってね!」
「はい。ユノさんも、気をつけて」
さすがに、ひと月ほぼ毎日この調子なら、兄さんでもちょっとは慣れるか。すっかり余裕だねぇ。初めてやられた時は、真っ赤になってワタワタしてたくせに。
さてと。ユノちゃんがいなくなったから、もう一回言ってみるかな。
「それでさぁ、兄さん。ユノちゃんにいつ惚れたの?」
「いつだと思いますか?」
「俺が知るかよ!」
「残念なことに、私にもよくわからないのですよね」
……ぬけぬけと!
この笑い方をする兄さんは、絶対に口を割らない。
従騎士になったあたりで、貴族の世界から逃げたくせに。こういう時ばっかり、その頃の癖みたいなものが、ちゃっかり出てくるんだよなぁ……。
「気がついたら、手に入れる方法を探していましたから」
「……それはそれで問題ありだろ」
今でこそ、十五くらいに見えるけど、あの頃は十三でも通用したユノちゃんだぞ? 裏で画策するとか、そういう性癖を疑われてもしょうがないだろ?
「あの頃は、ユノさんのことをそれほど知りませんでしたからね……まさか、他人に触られることが何より嫌いとは、想像もしていませんでしたよ。魔法から助ける目的で馬上に引き上げた時、直後に平手打ちを食らう可能性があったとは、誰も思わないでしょう?」
助けたのに平手打ちとか、ユノちゃん何する気だよ。というか、どんだけ触られたくないんだよ。
「……そういや俺、寒い時にくっついていいか聞いたら、間髪入れずに「ヤダ」って言われたっけ……」
そこで実行してたら、容赦ない平手打ちだったのか……そっか、しなくてよかった。
でも、その頃、兄さんには普通だったよな? いや、つき合ってもないくせに、やたらとイチャイチャしてなかったか?
……いろいろ思い出したら、やっぱ腹が立ってきた。
「……何でユノちゃんは、兄さんを選んだんだろ?」
「さあ……そこはユノさんに聞いてください。私ではわかりかねます」
サラッと言い返されて、気分はどんどん落ち込んでいく。ちっとも晴れていかない。苛立ちも、募っていく一方で。
何かひと言、兄さんをしばらく撃沈させられるような、凶悪な言葉がないかな?
あ、そうだ! 諸刃の剣だけど、これを聞いとくか。一応、エレンも興味があるみたいだったし、いいネタになるだろ。
「……ところで兄さん。俺、来年の今頃には、甥っ子か姪っ子を抱っこできるのかな?」
今度は、ヒュッと吸い込んだ空気でむせたらしい。本当に、どんだけ器用なんだよ、兄さんは。
まあでも、きっちり答えてもらうよ? 俺がしばらくへこみまくりになること請け合いで、わざわざ聞いたんだからさ。
「どうせなら、ユノちゃんそっくりな可愛い姪っ子がいいな」
女の子だと、叔父として、たっぷり服を買い与える楽しみもあるしさ。でも、甥っ子でも、剣を教える楽しみはあるか。
……兄さんそっくりな甥っ子だったら、せっかくの可愛げが半減するけど。
ギョッとした顔をした兄さんだったけど、すぐに我に返ったみたいだね。意外と切り替えが早いとこ、実はユノちゃんは知らないんじゃないの?
「遅くとも一年後までには、さすがにどちらかわかると思いますよ?」
耳元でコソッと囁かれて、俺は完全な敗北を喫した。