秘密4
直人はそこまで話すと「また来るからな」と言って病室を去っていった。
それから僕は直人の話の結末を聞くまでは生きていたいと思うようになった。この生きる意味が無いと思っている僕が。
翌週も直人はやってきた。直人の話しを聞いてから、僕は直人に興味を持つようになっていたが、それを面にださず出来るだけ無関心を装った。それに直人はお構いなしに、ひとりで話しをして行くのだった。
「田中君の両親は健在かい?」と直人は聞いてきた。
「ああ、両親そろって健康でいるさ」と僕は答える。
僕がそう言うと直人は「俺はお袋と二人きりさ」と答え、話しを続けた
俺の父親は、俺が幼い頃に亡くなったんだ。亡くなったと言っても、普通の死に方ではなかった。俺は小学校で2学年に上がったばかりの頃であまり覚えていない。
後から周りから聞いたりして、そのことを知ったのだ。父は一家心中を図って、母と俺が生き残ったのだという。その頃、父は事業に失敗して、多額の負債を抱えていて、生きる望みを無くしており、いっそ、家族で死んでしまおうということになったそうだ。さっき何も覚えていないと言ったけれども、その頃、何日もお袋と父が口論を続けていたことを覚えていた。そして親父が「いっそ死んでしまおうか」という怒鳴った言葉だけは鮮明に覚えている。
父は俺とお袋を車に一緒に乗せ、山の奥深くに連れて行った。二時間近く車を運転すると、あらかじめ父が決めていた場所に着いた。父は車の内側から窓の隙間をなくすようにガムテープを丹念に張って、睡眠薬を俺とお袋に飲ませた。そして自分も睡眠薬を飲んで、練炭を助手席で炊いて、父は運転席に、俺たち二人は後部座席に座らされた。父の筋書きでは一家そろって二酸化炭素中毒で眠るように死んでいるところを翌朝、見知らぬ誰かに発見されることだった。
これは僕が覚えていることではない。全てお袋に聞いた話だ。
しかし、父の筋書き通りにことは進まなかった。後部座席のガムテープに外気を通る隙間があったらしい。もしかしたら、死ぬのが嫌だったお袋がガムテープを父に気づかれないように、剥がしたのかも知れない。朝になってお袋は俺を連れて外に逃げ、助けを呼んだ。父親は死に切れなかったのを嘆いたのか、用意していたナイフで手首を切って出血多量で命を落としたのだった。




