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婚約者を捨てた俺は、なぜか誰からも必要とされなくなった  作者: 大豆
リリア視点

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私が選ぶ未来

あれから、三年が経った。

私は今、小さな商会の経理責任者をしている。


最初は何も分からなかった。

商品の仕入れ価格も。輸送費も。取引先との契約も。

帳簿の見方さえ、まともに知らなかった。


それでも、私は一つずつ覚えた。

失敗すれば怒られた。計算を間違えれば、やり直した。取引先との交渉で失敗したこともある。


そのたびに、私は自分の未熟さを思い知らされた。

けれど不思議と嫌ではなかった。


なぜなら、これは私が自分で選んだ仕事だったからだ。


誰かに選ばれたわけではない。誰かを救うためでもない。誰かに必要とされるためでもない。

私は自分のために働いていた。


「リリアさん」


仕事仲間の青年が声をかけてきた。


「はい?」


「例の取引先から返事が来ました」


「どうでした?」


「条件を飲んでもらえました」


「本当ですか?」


「はい」


書類を受け取る。

内容を確認する。間違いはない。

私は小さく息を吐いた。


「よかった」


「リリアさんのおかげですよ」


「違います」


私は首を振った。


「みんなでやった結果です」


以前の私なら、誰かに評価されることをもっと強く求めていたと思う。


レオンに必要とされること。彼の隣にいること。彼を支えること。

それが自分の価値だと思っていた。


でも、今は違う。

私は誰かに必要とされなくても、私自身に価値があると思えるようになった。


そんな生活を続けていたある日、一通の手紙が届いた。

差出人を見て私は手を止めた。


ヴァルディス侯爵。


私は封を切った。


『リリア嬢、

突然の手紙を許してほしい。

レオンについて、伝えておきたいことがある』


私はそこで少し迷った。

もう、彼のことを知る必要はない。


そう思った。

けれど、手紙を最後まで読んだ。


『レオンは現在、領地の小さな商会を任されている。

以前のような生活ではない。使用人もほとんどいない。

自分で帳簿をつけ、取引先にも自分で頭を下げている』


私は黙って読み進めた。


『最初の一年は、何度も失敗した。それでも、最近になって少しずつ商会が安定してきた。

先日、本人から言われた。セレナに戻ってきてほしいとは、もう思わない』


私は目を伏せた。


『リリアにも戻ってきてほしいとは思わない。

二人とも、自分の人生を生きているのだから、それを邪魔してはいけない』


私は手紙を読む。


『そう言っていた』


その一文で。

私は少しだけ笑った。


レオンがそんなことを言うようになったのか。


『最後に、

あのとき、お前たちを失ったことで、ようやく自分がどれほど多くのものを人任せにしていたのか理解したのだと思う。

これは、本人には言わないでくれと言われている。

ただ、私は貴女にも伝えておきたかった』


私は手紙を机の上に置いた。

不思議だった。胸が痛くならなかった。

会いたいとも、戻りたいとも、思わなかった。


ただ、よかったと思った。

レオンが自分の人生を歩き始めたことが。


それだけだった。


「リリアさん」


同僚が入ってきた。


「どうしました?」


「商談の準備ができました」


「分かりました」


私は手紙を引き出しにしまった。

そして仕事へ向かった。


それから数か月。

私はある商談のため、地方都市へ向かうことになった。


そこで偶然、小さな商会を見つけた。

看板には『ヴァルディス商会』と書かれていた。


私は足を止めた。


以前なら心臓が跳ねていたかもしれない。


でも、今は違った。


店の中から一人の男性が出てくる。

レオンだった。


三年前とは別人のようだった。

服装は質素。髪も少し伸びている。

けれど、顔つきは以前より落ち着いていた。


彼も私に気づいた。


「……リリア」


「お久しぶりです」


「久しぶりだな」


「お元気そうですね」


「ああ」


短い会話だった。

以前のような気まずさはなかった。


「仕事か?」


「はい」


「そうか」


「レオン様は?」


「俺も仕事だ」


私は少し笑った。


「そうですか」


「ああ」


沈黙。

三年前なら何か話さなければと思っただろう。


でも今は、沈黙さえ自然だった。

レオンが言った。


「セレナは元気か?」


私は少し驚いた。


「知りません」


「そうか」


「最近は会っていません」


「……そうか」


レオンは少しだけ笑った。


「それでいい」


「え?」


「もう、誰かの人生を気にしている場合じゃないからな」


私は黙った。


「自分のことで精一杯だ」


「そうですね」


「でも」


レオンが私を見る。


「それが、今は嫌じゃない」


私は何も言わなかった。


「リリア」


「はい」


「昔のことを、ずっと考えていた」


「……」


「君に謝らなければならないと思っていた」


私は首を振った。


「もういいです」


「でも」


「私も…あなたを選んだことを後悔しました」


レオンが黙る。


「でも今は、その選択があったからこそ、自分の人生について考えるようになりました」


「……」


「だから、全部が無駄だったとは思っていません」


レオンはしばらく黙って。


「ありがとう」


そう言った。


「こちらこそ」


私は頭を下げた。

そしてそのまま歩き出した。


「リリア」


後ろから声がした。

私は振り返る。


「幸せになれよ」


私は少しだけ笑った。


「はい」


そしてもう一度、前を向いた。


歩きながら私は考えていた。

三年前私は、

「私なら彼を幸せにできる」

そう思っていた。


今なら分かる。それは愛ではなかったのかもしれない。少なくとも、健全な愛ではなかった。


私は彼を救うことで、自分の価値を証明しようとしていた。

セレナさんよりも自分のほうが必要とされる。

そう思いたかった。


だからセレナさんがいなくなれば、自分が彼の一番になれると思った。


でも人の価値は誰かとの比較で決まるものではない。

誰かに勝ったから価値があるわけでも。

誰かに選ばれたから価値があるわけでもない。


私は、私だから、私の人生を生きる。

それだけでよかった。


その日の夕方。

仕事を終えた私は宿へ戻った。


窓を開ける。夕暮れの空が広がっている。

遠くで鐘が鳴った。


私は椅子に座り、今日の帳簿を開いた。

数字を一つずつ確認する。


昔は帳簿を見ることが嫌いだった。

セレナさんが夢中になっている仕事を見て。

「どうしてそんなものばかり見ているのだろう」

そう思っていた。


今なら少しだけ分かる。

数字の向こうには、人の生活がある。

商人の生活。職人の生活。家族の生活。

そして、自分の生活も。


私はペンを置いた。


窓の外を見る。

もう、レオンのことを考えていない。

セレナさんのことも考えていない。


ただ明日の仕事のことを考えている。


明日は、今日より少しだけうまくできるだろうか。

そんなことを考えて。

私は笑った。


三年前私は「私なら、彼を幸せにできる」と思っていた。

今はそんなことは思わない。


誰かを幸せにすることより、自分が幸せに生きることのほうがずっと難しい。


そしてずっと大切なのだと思う。


だから私はもう誰かの代わりにはならない。

誰かと比べない。誰かの人生を背負わない。

自分で選んで、自分で間違えて、自分で立ち上がる。

それでいい。


私は明日の仕事のために、静かに帳簿を閉じた。


窓の外では夕日がゆっくりと沈んでいく。

その向こうには、まだ見たことのない明日がある。

私はその明日を、自分の足で歩いていく。


――これが。


私が選んだ人生だった。

リリア視点完結です。

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