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死んだことにした闇の女神、男子高校生として生きていたら勇者召喚で帰還した  作者: 胡麻味噌
1章

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7/7

夜が落ちる



昼が、薄くなっていく。


誰かが火を消したわけではなかった。雲が太陽を隠したわけでもない。ただ、戦場の色だけがゆっくり沈んでいく。白い結界の外に伸びていた影が、音もなく濃くなった。


「夜……?」


月村の声は小さかった。


新海が空を見上げたまま、口を開けている。


「いや、まだ昼だろ」


「でも、暗い」


「だから、何で」


言い合いにもならなかった。


陽菜は膝をついたまま、結界を保っていた。保っている、という感覚はない。離したら壊れるものに、必死にしがみついているだけだった。


佐伯が隣にしゃがむ。


「天野、まだいけるか」


「わからない」


「それ、一番怖い返事だぞ」


「ごめん」


「謝るな。影森がいたら、今の絶対いじってる」


陽菜は笑えなかった。


でも、その名前だけで少し息が戻った。


結界の外では、鎧の兵士たちが空を指して叫んでいた。言葉はわからない。何度聞いても、意味のある形にならない。ただ、声の硬さと、後ずさる足で、よくないことが起きているのはわかった。


榊原が生徒たちの前に立つ。


「全員、動くな。結界の外には出るな」


「先生、あれ何なんですか」


大河内が聞いた。


榊原は一瞬だけ黙った。


「わからん」


その答えに、誰も責める顔をしなかった。わからないものが多すぎた。


黒い群れが止まっていた。


さっきまで結界へ何度もぶつかっていた魔法生物たちが、一斉に動きを止めている。空を見ているものはいない。代わりに、足元の影を見ていた。


いや、見ているように見えた。


「なあ」


久我が低く言った。


「俺の、さっきより静かになってる」


佐伯が振り返る。


久我の足元にあった濃い影は、まだ消えていない。けれど、さっきのように暴れてはいなかった。夜に触れた途端、呼吸を合わせるように、地面へ薄く沈んでいる。


月村がそれを見て、息を呑んだ。


久我の肩がわずかに強張る。


「まだ怖いか?」


「……怖い」


月村は正直に言った。


それから、首を振った。


「でも、さっきと違う」


久我は何も返さなかった。けれど、顔を逸らしはしなかった。


兵士たちの声が一段高くなった。


結界の外、黒い群れの後ろで、地面の影が盛り上がる。そこから何かが出てきた。獣に似ている。けれど、魔王軍のものみたいに口を裂いていない。目もない。ただ、滑らかな影が四本の脚を持ち、静かに立っていた。


一体ではなかった。


二体、三体。数えようとした時には、もう増えていた。


「敵、増えたのか……?」


大河内が掠れた声で言う。


佐伯が陽菜の前に半歩出た。


「助けに来たのか、敵が増えたのか、どっちだよ」


誰も答えられなかった。


影の獣たちは、結界を見なかった。


陽菜たちを見なかった。


ただ、魔王軍の黒い魔法生物だけを見ていた。


次の瞬間、影が走った。


音がなかった。地面を蹴る音も、唸り声もない。黒い群れの一体が反応するより早く、影の獣がその首元に食らいついた。血は出ない。代わりに、黒い体がほどけるように崩れていく。


「……何だ、あれ」


新海が呟いた。


昨日までなら、何かのゲームに例えたかもしれない。今は、その余裕がなかった。


魔王軍の魔法生物たちが一斉に暴れ出す。だが、影の獣たちは崩れない。吠えない。散らばらない。まるで誰かの指示を受けているみたいに、結界の前から魔王軍だけを剥がしていく。


兵士たちも混乱していた。


一人が槍を構え、別の兵士に止められる。何かを叫んでいるが、陽菜にはわからない。けれど、彼らにも判断がついていないのは見えた。


魔王軍の仲間割れ。


そう見えてもおかしくない。


けれど陽菜は、そうは思えなかった。


「こっちを、見てない」


佐伯が陽菜を見る。


「何?」


「あれ、私たちを襲いに来てない」


「何でわかるんだよ」


「わからない」


陽菜は結界の向こうを見つめた。


怖い。


怖いのに、嫌な感じがしない。


暗いのに、飲み込まれる感じがしない。


律が部屋のカーテンを閉めて「まだ朝じゃない」と言っていたのを、なぜか思い出した。こんな時に思い出すことではない。自分でもそう思うのに、浮かんでしまった。


結界がまた揺れる。


陽菜の腕から力が抜けかけた。


「天野!」


佐伯が支える。


「大丈夫、まだ」


「それ、もう信用できないやつだろ」


「うん」


「認めるなよ」


その短いやり取りで、陽菜は少しだけ息を吐けた。


久我が結界の外を見ていた。自分の影と、外の影の獣を見比べるように。


「……あれ、魔王のやつとは違う」


月村が聞く。


「わかるの?」


「わからない。でも、違う」


久我は自分の胸元を押さえた。


「さっきの黒いやつは、見てるだけで気持ち悪かった。今のは……変だ。怖いのに、少し楽だ」


月村は何も言わなかった。


ただ、一歩下がった距離を、それ以上広げなかった。


黒い群れが押し返されていく。


兵士たちの一部が、結界へ向けて何かを叫んだ。陽菜には意味がわからない。けれど、さっきまでの警戒とは違う。驚きと、恐怖と、ほんの少しの期待が混ざっているように聞こえた。


その時、戦場の奥で音がした。


金属が空気を裂く音。


黒い群れの中央が、縦に割れた。


何が起きたのか、陽菜には見えなかった。ただ、さっきまで固まっていた魔法生物たちが、まとめて左右へ弾き飛ばされた。地面に、夜より濃い線が走っている。


遅れて、巨大な剣が見えた。


大剣だった。


人が持つには大きすぎる。けれど、それは誰かの手に握られているわけではなかった。夜の中に浮かび、刃だけが静かに向きを変える。


兵士たちの声が消えた。


クラスメイトたちも、誰も喋らなかった。


大剣がもう一度動く。


黒い群れが裂ける。悲鳴のような音が上がり、すぐに夜へ吸われた。


榊原が低く言った。


「全員、伏せる準備だけしておけ」


「先生、あれ味方なんですか」


大河内の問いに、榊原は答えられなかった。


陽菜は結界の向こうを見つめていた。


夜の奥から、誰かが歩いてくる。


黒いフードを深く被った人物だった。背は高くない。歩き方も急いでいない。けれど、その人影が近づくたび、魔王軍の黒いものが道を空けるように崩れていく。


佐伯が息を呑む。


「誰か、いる」


陽菜の指先が震えた。


その人物は、まだ顔を見せない。


何も言わない。


ただ、夜を連れて、こちらへ歩いてきた。

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