第47話 偽物たちのソナタ
まばゆい光の海に飛び出した瞬間、ビャッコの視界は真っ白に染まった。
数万人の観客が発するどよめきが、地鳴りのようにステージを揺らしている。
歌声が消え、静止していたはずの純白の舞台に、突如として舞い降りたのは――息を呑むほどに可憐で、そして鮮烈な「黒の少女」だった。
プロの『魔法』によって極限まで引き出されたその美貌は、もはや暴力的なまでの引力を持っていた。
パンキッシュな黒のレザーとフリルを基調とした衣装が、痛覚遮断で僅かに上気した透き通るような白い肌をこれでもかと際立たせる。
大胆にかき上げられた髪がレーザー照明を受けてキラキラと輝き、鋭くも艶やかなアイラインに縁取られた瞳が、数万の群衆を射抜くように強烈な光を放っていた。
普段の治安維持部隊として培われた無駄のない体躯は、タイトな衣装に包まれることで、かえってしなやかで扇情的なシルエットへと変貌を遂げている。
純白の『ノア』が天上から降り注ぐ癒やしの光ならば、彼女は一瞬で理性を狂わせる劇薬だ。
有無を言わさぬ圧倒的な「可愛らしさ」と、歴戦の小隊長としての凄みが同居した「美しさ」。
その奇跡的なバグのような存在感に、ドームを埋め尽くす観客たちは、ただただ目を奪われ、魂を抜かれたように静まり返ってしまった。
「(小隊長!?)」
アイリスが、焦点の合わない瞳でビャッコを見つめる。
その表情は、今にも糸が切れて崩れ落ちそうなほどに脆い。
ビャッコは無理やり不敵な笑みを作った。(結果は無表情だったが)
「(落ち着いて。ノアはそんなこと言わない。……今は、私に乗って)」
ビャッコはアイリスにだけ聞こえる音量で囁くと、マイクを強く握りしめた。
沈黙するドーム。観客たちは、ノアと対照的な黒い衣装を纏った「新キャラ」の登場に、息を呑んで事態を見守っている。
「――情けないわね、ノア」
ビャッコの声が、ドームの全スピーカーを通して響き渡った。
それは、治安維持部隊の小隊長としての威厳と、メイクで仕込まれた可憐な響きが混ざり合った、不思議なほど耳に残る声だった。
「この程度の機材トラブルで、私の出番を早めさせるなんて。……いつからそんなに、弱虫になったのかしら?」
芝居がかったその言葉に、アイリスは一瞬だけ目を見開いた。
だが、ビャッコの発する強烈な意志を感じ取ったのか、震える唇を動かし、必死にアドリブを返す。
「……あ、お姉様? 違うの、私……急に声が出なくなって……」
「お姉……様?」
思わずビャッコは、内面でがっくりと膝をつきそうになった。
「ライバル」設定のつもりで飛び出したが、アイリスの咄嗟の機転――あるいはただの願望か――により、この場では「ノアの姉」という設定に固定されたらしい。
そして会場はこの「お姉様」発言で一気に空気が反転した。
これまでのノアが黙り込むという謎の演出がこのために用意されたのだと理解したのだった。
「でもよぉ」
ファンの一人が呟いた。
「あの子誰なんだ? 確かにノアちゃんはデビュー当初はユニット組んでたこともあったけど、誰も追いつけずにソロになって今があるんだぜ? それを今さら相方、しかもヒューマロットの子供なんて」
「ご存じ、ないのですか!?」
その時、近くにいた禿げあがった頭の別のファンがクワッと目を見開いて口を開いた。
「彼女こそ、第41区治安維持部隊第3詰所の小隊長にして、制圧してほしい女の子ランキングを駆け上がっている、白夜の騎士ビャッコちゃんです!」
「お、おう。詳しいなあんた」
引いている一般ファンをよそに、ハゲ頭のファンは自前のペンライトを白に切り替え、血走った目でステージを指差した。
「当然です! さあ、刮目しなさい! 我らが小隊長が魅せる、実戦レベルのパフォーマンスを!」
その熱狂的な叫びを合図にしたかのように、停止していたBGMが激しいビートと共にリスタートした。
流れ出したのは、ノアの代表曲にして、このディストピアの象徴とも言える電波系ダンス・ナンバー『オーロラのインダストリア』だ。
この曲のテーマは、ずばり「労働推奨」と「企業賛歌」である。
英語、中国語、ロシア語、イタリア語など、多種多様な言語をまぜこぜにして高速で歌い上げるため、AIの検閲判定では「生産性を向上させる極めて模範的な企業賛歌」として最高評価を叩き出す。企業評価で大幅な加点が入り、全市民推奨チャート50週連続1位を叩き出した前人未踏の怪物曲だ。
だが、普通の人間の耳で聞く分には、あまりに多言語が入り乱れているため何を言っているかまったく理解できず、ただただ心地よくテンションの上がるメロディとして消費されるという、「脱法ソング」としても名高いナンバーである。
「(いくぞ、アイリス! まずは私が歌って誤魔化す!)」
「(は、はい、お姉様!)」
数万の観客が、そして熱狂的なマニアが、新たな『歌姫の姉』の第一声に耳を澄ませる。
『♪――わーくはーど! らおどん! あゔぁんてぃー! すばらしきかな、こーぽれーと・ゆーとぴあーっ!♪――ねばーすりーぷ! らぼーた! ごーるでん・おーろらがでるまで、じぇっつ、あるばいてぇぇぇんっ!!』
ズコーッ、と。 物理的な音が鳴りそうなほど、ドーム中の人間がずっこけた。 ハゲ頭のファンも、クワッと見開いていた目を点にして固まっている。
スピーカーから飛び出してきたのは、声質こそ暴力的に可愛いものの、ノアのような完璧な音程とは程遠い、すべてが平坦な「ひらがな」に聞こえる見事なまでの「へたうま」だったのだ。
ドームクラスのプロのステージとしては、明らかに異次元のクオリティだった。
「お、音痴……!?」
会場が落胆と戸惑いに包まれかけたその時、ハゲ頭の隣にいた、分厚いレンズの眼鏡をかけたファンが、不敵な笑みを浮かべて口を開いた。
「ほう、ヘタウマ歌唱ですか…たいしたものですね」
「え?」
「歌が下手なことでファンの脳裏に刻み付けるタイプの歌声です。はるか昔のアイドル戦国時代にはその可愛らしさだけで覇権をとった歌もあったくらいです」
突然ウンチクを語り始めた眼鏡に、別のファンがツッコミを入れる。
「なんでもいいけどよォ」「相手はあのノアだぜ」
だが、眼鏡のファンは意に介さず、クイッとブリッジを押し上げた。
「それにヒューマロットアイドルは画一的で面白みがないと淘汰されてしまいましたが、あの美しさに可愛らしさ、そして不完全な歌声……このアンバランスなのがいい。何より、見てごらんなさい。50週連続1位という、AIに調律された完璧な『義務』のメロディを、彼女は今、あえて人間特有のノイズで塗り替えている。このノアのライブツアー最終日の超アウェーの大観衆のなかで、あの歌声を披露できるとは……超人的な度胸というほかはない」
そのウンチクを証明するかのように、ビャッコの歌声はアレだが、身体の動きは常軌を逸していた。
治安維持部隊としての実戦経験と、アレスの極限の演算サポートに裏打ちされた、キレッキレすぎるダンスが炸裂したのだ。
重力に逆らうような跳躍、鋭すぎるターンの連動。多言語が入り乱れる『極光のインダストリア』の高速ビートに完璧に乗った、荒削りで暴力的なまでの躍動感。
「な、なんだあのダンス……凄すぎるぞ!」
「マジで制圧されそう! 最っ高!」
歌の拙さを、視覚の暴力で完全にねじ伏せる圧倒的なパフォーマンス。
その強烈なギャップに、当惑していた数万人の観客が、次第に得体の知れない熱狂の渦へと巻き込まれていく。
そして、間奏のタイミングで、ビャッコは座り込んでいたアイリスの前に立ち、その右手を強引に掴み上げた。
「立ちなさい、アイリス……じゃなくて、ノア! 一人で立てないなら、私が支えてあげる!」
差し出されたビャッコの手は、冷たかったが、鋼のように硬く、力強かった。
アイリスはその手に縋るように立ち上がり、自らのマイクを強く握り直す。ここからが、本当の『共鳴』だ。
『♪――Night and day! 永遠の歯車が重なり合う!』
アイリスの澄み切った、本物の『ノア』にも劣らない高音が、意味不明な多言語の企業賛歌を極上のメロディへと昇華させていく。
『『♪――極光の空に、新しい朝を創ろう!!』』
ビャッコのひらがな全開な中低音(と怪しい音程)を、アイリスの圧倒的な歌唱力が包み込み、一つの完璧なハーモニーへと組み上げていく。
ビャッコが激しく舞い、アイリスがその中心で歌い上げる。
「すげえ……! 新しい、これが新しいノアの形なのか……!」
偽物と偽物。けれど、この瞬間、このステージの上で足を踏み鳴らす二人の熱量と響き合う歌声だけは、紛れもない「本物」だった。
二人で声を重ね、ステップを踏む。
アイリスの澄んだ高音を、ビャッコの荒削りな中低音が追いかけ、支える。
一人では決して届かなかったはずの旋律が、二人の「共鳴」によってドームの天頂を突き抜けていった。
「(小隊長……私、歌えてる……!)」
「(ああ、最高だ。……このまま最後まで駆け抜けるぞ!)」
熱狂の渦が最高潮に達した瞬間、重厚なビートが最後の一音を刻み、完璧なまでのフィニッシュを迎えた。
直後、ステージの全照明がパッと落とされる。
数万のペンライトが描く鮮烈な光の残像だけを網膜に焼き付け、会場は一瞬、真空のような静寂に包まれた。その直後、地鳴りにも似た怒涛の歓声が爆発する。
大型モニターには、次のセットリストまでの繋ぎとして、事前に用意されていた『ノアの軌跡』を辿るイメージVTRが流れ始めた。
観客の意識がスクリーンへと向けられた、わずか数分間の空白。
「……ッ、ハァ、ハァ……!」
暗転に紛れ、二人は縋り合うようにして舞台袖へと転がり込む。
眩しすぎる表舞台とは対照的に、舞台裏は排熱の熱気と焦げ付いた回路の匂いが漂う、泥臭い戦場だった。
重い防音扉を抜け、関係者エリアに足を踏み入れた瞬間――。
パン、パン、パン、と。 静寂の戻った通路に、乾いた拍手の音が響き渡った。
「素晴らしい! ブラボーだ! まさかこれほどまでの『化け』を見せるとは……!」
通路の突き当たり、影の中から姿を現したのはゴルド社長だった。
彼は煤けたスーツの襟を正し、かつてないほど卑俗な欲望を瞳にぎらつかせながら、獲物を品定めするように二人を見つめていた。
「ノアだけでも巨万の富を生むが、これなら『二人組』として売り出せる。あの子の代わりではなく、今日からお前たち二人を我が社の終身資産として引き取ってやろう。感謝しろ、ゴミ屑ども!」
その傲慢な言葉に、ビャッコが腰の裏の銃に手をかけようとした、その時。
「――残念だけど、その契約は成立しないわね」
冷ややかな声と共に、ドスッ、と重いものが床に投げ出される音が通路に響いた。
薄暗い舞台裏の奥から、コツコツとブーツの足音を響かせてネオンとルミナが姿を現す。
ルミナの足元には、ドームの技術スタッフのジャンパーを着た男が、鼻血を出してうめき声を上げながら転がっていた。
「ちょっと骨が折れたけど、裏口からコソコソ逃げようとしてたネズミを捕まえてきたよ。数日前に起きた『照明落下事故』の実行犯。……私の物理的な『お願い』が、ちょっとだけ痛かったみたいだね?」
ルミナがにっこりと笑いながら、男の首根っこを掴んで無理やり顔を上げさせる。
男は恐怖でガタガタと震え、ゴルド社長の顔を見るなり「しゃ、社長ぉ……! 言われた通りやったのに……助けて……!」と情けなくすがりつこうとした。
「証拠は全部吐かせたわよ、社長さん」
ネオンが手元の端末を操作すると、通路のモニターに社長と外部の非合法組織――ブラック・ハウンドを繋ぐ暗号通信の履歴が映し出された。
「なっ……! 貴様ら、関係者以外立ち入り禁止だぞ!」
「悪いけど、ライブの熱狂を隠れ蓑にしてアレスと同期した私のハッキング能力、甘く見ないでほしいわ。……それに、こいつ。あの照明落下の実行犯だってことだけじゃなく、あんたが裏で傭兵部隊『ブラック・ハウンド』を雇い入れてたことまで、全部ゲロってくれたよー?」
ルミナがにっこりと笑いながら、スタッフの胸ぐらを揺らす。
社長の顔が、一瞬で土色に変わった。
彼は慌てて背後の護衛に指示を出そうとしたが、ネオンがさらに追い打ちをかける。
「ノアの居場所も、アレスの逆探知でバッチリ特定したわ。……現在地、湾岸エリアの第4コンテナ港よ」
「なんで港に!? そんなはずは……! 奴らには第9地区の病院で待機するよう指示を……!」
社長が素っ頓狂な声を上げて狼狽する。その反応に、ネオンは哀れむような、ひどく冷酷な視線を向けた。
「ブラック・ハウンドは、大陸系の企業と組んで人身売買をやってるっていう黒い噂が絶えない組織よ。……社長、あんた、裏切られたんじゃない?」
「な……ッ!?」
「あんたは便利な手駒か何かのつもりで彼らを雇ったつもりかもしれないけど、奴らにとってノアはあんたに返すような『商品』じゃない。海外へ売り飛ばせば一生遊んで暮らせる極上の獲物よ。あんたの『ビジネス』は、最初から破綻してたのよ」
「そ、そんなバカな……! 私の金で、奴らは動いていたんだぞ……!」
ネオンが突きつけた無慈悲な現実に、社長は力なく膝をついた。もはや彼に、事態をコントロールする力など微塵も残されていなかった。
膝をつく社長と、それを取り押さえるルミナ。
ビャッコはステージ衣装のまま、アイリスに向き直った。
アイリスもまた、ノアのドレスを纏ったまま、強い眼差しでビャッコを見返している。
「……アイリス。ライブは終わった。ここからは、私たちの仕事だ」
「はい。行きましょう、小隊長。……ノアを、取り戻しに」
ビャッコは腰の裏から、セラフィムを引き抜く。
きらびやかなステージ衣装と、無骨な黒鉄の銃。
その不釣り合いな姿は、今の彼女たちが「何者にも縛られない自由な戦士」であることを何よりも雄弁に物語っていた。
「ネオン、ルミナ! 社長の身柄と監査局への通報は任せる。……私たちは港に急行する!」
「了解! 死ぬんじゃないわよ、二人とも!」
背後でネオンの叫び声を聞きながら、ビャッコとアイリスはドームの出口へと駆け出した。
夜の帳が下りた街の向こう。
本当の戦場が、彼女たちを待っている。
突然のおふざけ&パロネタすみません
でも、これがやりたくて始めたアイドル編なんでご勘弁を




