第二十一話 夏の暑さと、小さな命の危機
七月。
桑畑は深い緑に覆われ、蚕棚では幼虫たちが元気に桑の葉を食べていた。
「記録では順調なんだけどな……」
グレン兄ちゃんが記録帳をめくって呟いた。
「うん。でも、今年は去年よりずっと暑い気がする」
私も汗をぬぐいながら答えた。
朝夕は涼しいけれど、昼間の気温はぐんぐん上がっていた。
***
「最近、蚕たち、葉っぱ食べるのが遅くなってない?」
ミナ姉ちゃんが不安そうに言った。
「私も気になってたの。昨日から動きが鈍い子がいる」
メイナ姉ちゃんが蚕棚を指差した。
私は急いで近づいた。
「……確かに。食欲が落ちてる」
「湿度はどうだ?」
グレン兄ちゃんが、棚に吊るしてある毛玉湿度計を指さしながら尋ねた。
私は毛玉を軽く触った。
「うーん、ちょっとふわっとしてる。湿度は高めかな」
「温度は?」
グレン兄ちゃんが棚の脇に立てかけてある温度棒を確認した。
「昼間はかなり熱くなってた。朝夕は大丈夫だけど、昼間の急な上昇がきつい」
「やっぱり暑さのせいかもな」
「昨日、村の山側の畑で干ばつ気味だって話を聞いた」
タク兄が情報を付け加えた。
「マズいな…、早急に対策を考えないとな」
「ああ、父さんたちにも相談しよう」
***
午後。
メイナ姉ちゃんが叫んだ。
「リィナ!ここの蚕、動きがおかしい!」
急いで駆け寄ると、数匹の蚕が葉の上でじっと動かなくなっていた。
「脱皮不全と、高温ストレス……かも」
グレン兄ちゃんが低く呟いた。
(まさか、こんなに早く被害が出るなんて……)
***
夕方。ウチの家族とガイルおじさん一家が居間に集まった。
「今できる対策を考えよう」
父さんが真剣な顔で言った。
「まず、小屋の通気を良くしよう。蚕棚の周囲に風の通り道を作る」
「簡易の遮光も必要だな」
ガイルおじさんがうなずいた。
「俺と父さんで、桑の枝と布を使って作る」
「私も手伝う!」
ミナ姉ちゃんが手を挙げた。
「温湿度の記録を今まで以上に細かく取る。時間帯別に、だ」
グレン兄ちゃんが記録帳を叩いた。
「それと、メイナ姉ちゃんにもお願いして蚕の観察を強化しよう」
私も力強く言った。
「異常を見つけたらすぐ報告。今回は軽症で済んだけど、放置すると大変なことになる」
「「わかった」」
「あと、こんな方法もあるわよ」
台所から顔を出したのは、グレンの母、セラさん。
「うちの畑では、桑の根元に小石を置いてるの。土の乾燥を防げば、葉っぱの質も落ちにくいはずよ」
「それ、いい!今後、暑さが増せば、桑の生育にも問題が生じるかもしれないものね」
母さんが手を叩いた。
「明日、早速やってみましょう」
「……よし。これでできる限りの対策案は出たな」
父さんがみんなを見回した。
「今後のために、この記録と経験は絶対に無駄にしない!
力を合わせて何とか乗り切ろう」
「「はい!」」
***
その夜。
対策に必要な作業の準備が終わり、みんなが一休みしている間――。
私はひとり、蚕棚のそばに立っていた。
(これでも足りなかったら、どうしよう……)
ふと、視線を上げると小屋横の桑畑が月明かりに照らされていた。
(小屋横の桑……)
この木は、家族と支援隊のみんなで最初に植えた木。
まるで女神さまが見守ってくれているように思えた。
私は桑の木の側まで行き、その幹にそっと手を当てた。
「どうか……この葉っぱを食べて、蚕たちが元気になりますように」
そっと祈りを捧げてみる。
桑の葉が夜風にそよぎ、さらさらと音を立てた。
***
翌朝。
「リィナ、来て!」
メイナ姉ちゃんの声。
蚕棚に駆け寄ると、昨日元気を失っていた蚕たちのうち、数匹が桑の葉を食べ始めていた。
「えっ……?」
「なんで?」
「昨日、寝る前に小屋横の桑の葉を採ってきてあげてみたの。
新鮮な葉っぱなら食べてくれるかなって」
ミナ姉ちゃんが呟いた。
「…そしたら、食べ始めたの」
「対策が効いたのかな?」
私が呟くと、
「いや、それにしては効果が出るのが早すぎるだろう」
慌ててやってきた父さんが否定する。
「たまたま、食欲が出てきたとか……?あるいは、新鮮な葉ってのが良かったのかもな」
グレン兄ちゃんが首をかしげた。
「わからねえ。だが、食欲が出てきたんなら一安心だな」
タク兄が息を吐いた。
「そうだな。とりあえず食欲が出てきた蚕はこのまま様子をみるとして、
残りの弱ってきてる蚕は継続して要観察だ。いいな」
と、父さんのゲキが飛ぶ。
私は、静かに桑畑の方を見た。
(……本当に、たまたま?)
「念のため、この子たちの記録は細かく残しておこう」
私が言うと、みんながうなずいた。
「そうだな、きちんと記録しておいてくれ。
また万一同じようなことが起こった時、何かヒントを得られるかもしれないからな」
「「わかった!」」
ミナ姉ちゃんとメイナ姉ちゃんが声をそろえる。
「夏はこれからが本番だ。油断するなよ」
「「はい!」」
夏の朝の爽やかな風が、少し風通しのよくなった小屋の中を吹き抜ける。
今日も暑くなりそうだ。




