9・素材がいいからね
早速、俺達は街に繰り出した。
「普通ってなにをするのじゃ?」
まだ俺達の普通ははじまったばかりなのに、わくわくした様子のエノーラ。
「そうだな……俺もまだよく分かっていないからな」
「それもそうじゃな。誰か教えてくれる人でもいればいいのじゃが」
教えてくれる人か……一人だけ心当たりがある。
そう思っていると、
「あんた! ここにいたのね!」
と人混みを掻き分けて、アイリスが姿を現したのだった。
「おお! 丁度いい!」
「なにを言ってんのよ、あんた」
目を丸くするアイリス。
「それに隣の女の子はなんなのよ。もしかしてあんた……ロリコンだったの?」
「決してロリコンではない」
小さい子を愛する男は『ロリコン』と一部から言われているのだ。
この国の女王アイリスを見ても、アイリスは誰だか分かっていない様子。
それもそうか。エノーラが女王であることは、ごくごく一部の者しか知らされていない。彼女が表に顔を出すことはまずないので、アイリスの反応は一般的だ。
周囲の人も、エノーラが女王だと気付く者は誰一人いない。
「実はかくかくしかじかで……」
アイリスに(嘘の)事情を説明する。
「なるほどね。王都にいとこがいて、その娘さんなの。それで世話を頼まれたと」
納得した様子のアイリス。
っ……!
なんだ? なんか尻のところが痛いぞ。
なにごとかと後ろを見たら、エノーラが俺の尻をつねっていた。
「……妾の世話じゃと? 妾は子どもではない」
ぶつぶつと不満顔で呟いているが、我慢してくれ。女王だと言うわけにはいかないだろうが。
「俺も王都に来たばっかりだからな。よかったらアイリス、街の中を案内してくれないか?」
「ふ〜ん、まあ別にいいわよ。昨日は世話になったしね」
「助かる」
「でもどういうところを案内して欲しいのかしら」
「出来れば普通の案内を頼む」
「……? 意味が分からないけど、それは今にはじまったことじゃないわね。まあ『普通』に頑張るわよ」
アイリスは『普通』と言ったところにおかしさを感じたのか、「ふふふ」と笑いを零した。
「こっちよ」
俺達を先導するアイリス。
「あなた、一体お名前はなんなのかしら?」
「エノ……エレノアじゃ」
「エレノアちゃんね。私はアイリス。よろしくね」
アイリスが手を差し出して、エノーラと握手をする。
別にエノーラなんてどこにでもいる名前だが、念のために偽名を使ったのだろう。わざわざ本当の名前を言う必要もないか。
アイリスの差し出した手をエノーラは握りながら。
「む……もしやそなた……」
なにか引っ掛かるところがあるらしい。
「なによ」
「いや——言わない方がいいか。人には人の事情というものがあるからのう」
「変な女の子ね。でも可愛いから許してあげる」
エノーラがなにに気付いたか気になるが、教えてくれそうになかったので俺も尋ねなかった。
人の事情には深く踏みこまない。
それが俺のモットーだ。
「そうね……服屋にでも行こうかしら。エレノアちゃん、その……あんまり普通の服装には見えないから」
アイリスがエノーラの服をじろじろ見る。
エノーラは私服用とはいえ、なかなか豪奢な服に身を包んでいる。街中では目立ってしまうだろう。
「ラウルのも選んであげる。今のままじゃださいからね。素材がいいから、カッコ悪くはないけど……」
「素材? 服のか?」
別にいい素材を使っている服でもないのに、変なことを言うヤツだな。
アイリスは「やっぱりバカね」と言ってから、俺の鼻にちょこんと指を置き、
「ここよ、ここ」
「……? 顔? どういうことだ」
「もういいわよ。あんたが鈍感なのも今にはじまったことじゃないし」
なんだそりゃ。
その後問いかけても返事が返ってくることはなかった。
——しばらくアイリスの後を歩いていると、やがて俺達は大きな服屋の前に辿り着いた。
「入るわよ」
アイリスが俺達を手招きする。
「おお……! 服がいっぱい並んでいる!」
「これが噂に聞いていた服屋とやらか? 妾は自分で服を買ったことがないので、はじめてじゃぞ!」
隣でエノーラもはしゃいでいる。
それも仕方ない。俺も服はいつも姉さんに選んでもらっていた。そもそも服を買いに来る暇もなかったので、服屋デビューであった。
「服屋に来ただけで、そんなに目を輝かせるなんて……まあ案内し甲斐があるけどね」
アイリスは呆れたように溜息を吐いていた。
「エレノアちゃん、この服どう? あなたに似合うと思うけど」
アイリスが持ってきたのは、子どもらしいピンク基調の服であった。
「却下じゃ。少し子どもっぽすぎるじゃろ!」
「そうかしら? いいと思ったんだけど……じゃあこれは?」
「む、それはなかなかいいな。ちょっと試着してみる」
試着室にエノーラとアイリスが一緒に入っていく。
外で待っていると「きゃー! 可愛い!」とアイリスの興奮しきった声が聞こえてきた。一体中でどんなファッションショーが行われているというのだろうか。
やがて試着室のカーテンが開けられる。
「見て見て、ラウル! エレノアちゃん、ちょー可愛いと思わない!?」
エノーラは服のサイズを考えなければ、大人が着ていてもおかしくないような服であった。
それがまた、子どもが無理に背伸びをしている感じで可愛らしかった。
「確かにそうだな。エノ……じゃなくて、エレノア。可愛いぞ」
「そうか? そなたに褒められると一段と嬉しいな」
上機嫌のエノーラ。
どうやら気に入ったらしい。
「次はあんたの服ね」
アイリスが俺を見て言う。
「妾も選ぶぞ」
「二人で選んであげよっか」
きゃっきゃっしながら、アイリスとエノーラが男性用服置き場まで向かっていった。
その後は大変だった。
俺を着せ替え人形だと思っているのか、次から次へと服を持ってきて着させられたのだ。
「あんた、やっぱ素材がいいわね。なにを着ても……その、なに……様になってるじゃない」
「ありがとう」
「アイリスよ、これが一番じゃと思わぬか? ラウルに一番似合っておる」
「そうね。決まりね。あんたはこれを着なさい! 買ってあげるから!」
最終的に決められた服は、無地でシンプルな服であった。
俺にしては、素材がなよなよしくて落ち着かない。まあこれが『普通』なのだろう。
「ちょっと地味すぎないか? もっと鎖を巻くとかしたらカッコいいと思うんだが……」
「却下ね」「却下じゃ」
俺の提案は即退けられた。
服選びも無事に終わり、俺達は店を出た。
女の子に服を買ってもらうなんて……ヒモ感が強いが仕方ない。稼いだら、すぐに今回の分は返すとしよう。
「さて……そろそろお昼時だし、ランチにしようかしら。心配しないで。あんた等の希望通り『普通』の店に連れて行ってあげるから」
なにが楽しいのか、アイリスはくすくすと笑った。
しかし彼女も俺の考えていることが分かってきたな。なにも言わずとも通じるとは。
「私のオススメのお店を教えてあげる。なかなかお洒落な喫茶店なのよ。この時間にもなれば人が多いはず——」
とアイリスが言いかけた時であった。
「おいっ!」
急に声をかけられ、後ろを振り返る。
そこには、昨日いちゃもんを付けてきた男……えーっと、エロックスとかいう名前だっけ? そいつが俺達に敵意を向けていたのだ。