閑話 嫉妬
ぐしゃり。
握った紙の束が、机の上で音をたてて無残に潰れた。
ゴミと化した紙束、羽根ペンがいくつも入ったペン立て、机の上に置かれていた物が、叩きつけた衝撃で地面に撒き散らされる。ボトルインクの蓋が開き、真っ白なカーペットに黒い染みが徐々に浸食していく。
「ダメ……ダメだよね、こんなんじゃ。やり直し、やり直しやり直しやり直し――」
何度繰り返したかも分からない呟きを漏らし、頭を抱えて髪の毛を荒く掻きつける。
何時間こうしているだろう。一通の手紙を書くために書いては捨てての繰り返しで、納得のいく文章を作ることができていない。
文字の書きすぎで手のひらは赤く腫れ、擦り切れて血が滲んでいた。でも、それでも休むことなく手を動かし続けるしかできない。
どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしようどうしようどうしよう――
焦り、混乱、不安、動揺……嫉妬。
秒針を刻むごとに増していく感情に、思考が支配される。
大切な人に送る手紙。これまでで何度も送ってきた。返事が来たときは一日機嫌がよくなって、会って話をできた時は心の底から幸せだと思えた。
幸せだった。満足できた。
特別な関係じゃなくても、それだけでよかった。
よかった、はずなのに。
『――あの、こういう人を見ませんでしたか?』
数ヶ月前。大切な人を捜していた、天使みたいな女性。
差し出された似顔絵は、写真と見紛うほどだった。
それは、私が好きな人と同じ顔をしていて。
私は接客時のいつもの笑顔で、"見ていない"と嘘をついた。
捜し人を尋ねて回る女性を見て、本当にその人のことを愛しているのだと分かって、嘘をついた自分が汚く見えて、胸の中に針が刺さったような痛みを覚えた。
綺麗で、優しくて、誰もが目を惹いて――物語の"ヒロイン"のような人。
……じゃあ、私は?
私は、なにを持っているの?
美味しいお菓子が作れる? 菓子店が繁盛している?
教えて貰ったアイデアを使って人気になっただけで、自分で考案した創作菓子は不評なのに?
何もない。
顔も、性格も、すべて、私には誇れるものがない。
あの人の周りにはもっと素敵な人が既にいて、比べて、私は何もかもが劣っていた。
「どうして」
締め付ける苦しさから逃れるように、髪をぐしゃぐしゃに掻き乱す。
「どうして……!」
無意味な問いだ。感情を叫ぶだけの、自己満足の為だけの問い。
どうしてって?
そんなの、分かっていたでしょ?
言葉も、行動も、何もかも虚栄で塗り固めただけなのに、何を期待していたの?
好かれたくて、嫌いになってほしくなくて、仮面を被って振る舞っていて。
自分から動くこともしなかった私が、いったい何を期待していたの?
「嫌われたくない……嫌いにならないで……お願いだから……」
床にへたり込み、部屋の隅に置いてある鏡に縋り付いた。鏡の中の私の顔は無様で不格好で、落ちた化粧と色濃く残った涙痕でひどく醜く写った。
鏡の中の私が、現実の私に答えた。
『かわいそうなシャル。でも大丈夫。また奪えばいいの』
事もなげに微笑む鏡の中の私。姿も声も自分なのに、違う私。
「でも……もうダメだよ。できないよ」
『なに言ってるの? あの子から既に一つ奪ったじゃない』
「そう、だけど……」
『大丈夫。これは仕方ないこと。幸せになるために、仕方のないこと』
「……」
胸を強く抑える。あの日からずっと消えない罪悪感は、しこりとなって心を蝕んでいる。
あの人と出会ったとき、あの人の記憶を、あの人から奪った。
誰かとの大切な記憶。
それを奪って、私で塗り替えた。
恋人になれなくてもいい。ならせめて別の関係として、傍にいたかった。
自分勝手で、最低最悪で、狡いなんてことは分かっていても、それでも、一緒にいられるならと誰かを犠牲にして選択した。
でももう、勘づかれてしまった。夢は醒めて残ったのは違和感と猜疑心だけ。これを知ったらあの人はきっと、私を許さない。
私にはあの人しかいない。虚栄と嘘ばかりのこの世界で、あの人だけが私を見てくれる。
「いや、いや……嫌わないで……いやだ……」
『シャル』
拒絶される。嫌われる。汚くて狡い私を知って、軽蔑されてしまう。
いや、いや、いや、いや、いや――
『シャル、落ち着いて』
鏡の中の私の声。取り乱す私と違い冷静で、優しげなその声で狂いそうになった私の心が落ち着きを取り戻す。
『私に任せて。そうすれば、シャルは幸せになれる』
「……ほんと? 嫌われない?」
『ええ。だって、全部奪えばいいだけよ。前みたいに"嫉妬"するだけでしょ?」
嫉妬。
簡単なことだ。顔、性格、技能……あの人を囲む女性たちの何もかもが羨ましい。
欲しい。
愛して欲しい。
求めて欲しい。
俯かせていた顔を上げる。
鏡に写る私の口の端は、僅かに上がっていた。
「"ジレイくん"……大好きだよ」
愛して愛して愛し続けて。
嘘に嘘で嘘を塗り固めて。
「私だけを、見て」
そうすれば、きっと、上手くいく。
ここまでお読みくださりありがとうございます!
3章②、いかがだったでしょうか。
少しでも楽しんで貰えたのであれば嬉しいです。
宣伝となってしまい恐縮ですが、書籍版4巻が8/25に発売します。
例の如くりいちゅ先生のイラストが神です。よかったらぜひご検討ください!
また…現時点での4章更新時期は未定となっています。
絶賛制作中で、十分な書き溜めが終わってから、
もしくは書き終わってから投稿したいと考えております。
更新時期の詳細が決まりましたら活動報告に記載いたしますので、
お手数おかけしますが、そちらでご確認いただければ幸いです!