27話 必ず、救ってやる
すべての脅威を排除した俺はレティの元へ向かった。
横になっているレティのそばにしゃがみ、その細い喉に軽く指を添える。
――よかった、まだ息がある。
もう絶え絶えだがレティは微かに命を繋いでくれていた。すぐに体内魔力を俺から移すため、レティの額にぴたりと手を当てる。
だが――
「くそッ……!」
レティの身体に注いだ魔力が、体内に留まらずに抜けていった。
最悪の結果だった。他者による体内魔力の注入は魔力の性質が身体に適合しないと行えない。レティの魔力と俺の魔力は適合していなかった。
外界魔力ならいくらでも性質を変えられる。でも体内魔力は俺の魂から身体の中に作られるもので、性質は一切変えられない。
それでも何度も何度も繰り返して、その度に漏れ出ていく。
焦りで歯を噛みしめる。冷静になろうとしても感情が抑えられない。
どうする、どうすればいい、今からレティを連れて街へ急いで適合する人間を探す? 間に合うのか? いま息をしているだけでも奇跡なのに?
できるわけがない。そもそも、他人の体内魔力を移し替えても数時間の延命にしかならない。レティ自身の体内魔力をどうにかして作らない限りは意味がない。
だけど、そんなこと……できるのか?
寿命の死には抗うことはできない。自然死で死んだ人間は《蘇生》でも生き返らない。
それこそ、俺が神でもない限りは――
「……神?」
はたと思い当たり、俺は顔を上げた。
神……そうだ、神の奇跡に近い人知を超えた力があればいい。
俺はその力をすでに持っているじゃないか。
気付いた途端、身体から黒く禍々しいなにかが溢れ出す。それは意思を持つ生き物のように蠢いて、俺の身体に纏わりつき始める。
ヘンリーの魂を悪魔から引き剥がし、儀礼剣に宿すことができたこの力。
ヘンリーの肉体を作り出すことができると確信した、この意味の分からない力。
この力を使えば――レティの体内魔力を作り出せるかもしれない。
レティに手をかざして、念じる。
だが――何も起こらない。
「動け……動け!」
黒い魔力は動かない。ただ俺の周りを蠢いているだけだ。
なんで、どうしてだよ、あのときはできただろ、どうしてできないんだよ……!
「――めねえ」
怒りで噛みきった唇から血が流れ落ちた。
「認めねえぞ、俺は」
何度も何度も何度も何度も何度も――できるまで繰り返し続ける。諦めるなんて選択肢は存在するはずがない。こんな終わりは、結末は認めない。
「まだ、聞いてねえだろうが……!」
なんで俺に大事なことを相談しなかったのかを聞いていない。散々俺をパーティーに勧誘して迷惑をかけておいたくせに、勝手に何も言わず別れたことを叱れていない。
「俺に許可なく――勝手に死ぬんじゃねえ!」
叫んだ、そのときだった。
『まったく……まだ使い方を思い出していないみたいだね。世話が焼けるなぁ――』
前方から、そんな女性の声が聞こえた。
はっと顔を上げる。そこに立っていたのは長い銀髪の少女。
黒いゴシックドレスに身を包んだその少女――エンリは地面につくほど長い銀髪をやれやれと手で掻き上げて、爛々とした瞳をこちらに向けている。
俺はすぐ魔弾を飛ばして牽制した。だが、放った魔弾はエンリの身体を通り過ぎ、奥の壁に激突する。
『あぁ、攻撃しても意味ないよ。このボクは幻だ、助言するためだけの種だからね』
エンリは両手を上げてひらひらと振る。
よく見れば、その身体は透けていて後ろの壁が写っている。しかも、なぜか周りの物体がピタリと静止して動いていない。まるで時間が止まっているようだった。
エンリから敵意はみられなかった。助言って……この力について教えてくれるのか?
困惑する俺を無視してエンリは喋り出す。
『いいかい、一度しか言わないよ。その力をキミ以外に使うには条件がある。相手のことを正しく理解していないといけないんだ』
「相手を、理解……?」
『別に相手を隅から隅まで知る必要はないよ。ただ、相手と自分が共有した記憶に齟齬がある場合、使うことができないのさ。間違っているのは彼女との記憶だ』
「……間違ってるも何も、俺とレティの記憶なんて少ししかない」
『本当に? よくよく思い返してごらんよ。最初にキミと彼女が出会ったときのことを』
言われるままに思い返す。
レティと初めて会ったとき……それは、俺が5年前に【試練の谷】に挑戦した帰り、そこに生息しているモンスター――大王熊を乱獲していたときだ。
森の中で大王熊に襲われていたレティを間一髪で助けた俺は、そのまま街へ戻り、そこでレティと別れた。
そのときに痛々しい発言を何度かして、それをレティが大切な思い出と言い張って覚えている。俺は大したことをしていないのになぜかあいつが美化してくるのだ。
ああ、そうだ、何も間違いはない。
……。
……。
…………。
……………………。
……………………………………あれ?
本当に、そうか?
強烈な違和感。何かが違うと、身体が叫んでいる。
気持ちの悪い何かが喉につっかかった。これ以上考えるなと頭が言っている。
『ヒントをあげよう、大王熊はどこに生息しているんだい?』
「大王熊は……森の中に――」
言って、すぐに気付いた。
違う。
大王熊は、洞窟に生息するモンスターだ。
あいつらは暗い洞窟の中で死肉を食べて生きている。森の中にいるはずがない。
でも、それはおかしい。俺は確かに森の中でレティを大王熊から助けた。記憶にしっかりとあるし景色も覚えている。間違いないはずなのに――
「……なんだ、これ」
考えれば考えるほど記憶と事実が食い違っていく。身体に流れる汗と胸の動悸が止まらない。なんだよこれ、おかしいだろ、どうなってんだよ。
『思い出すんだ、正しい記憶を。奪われている大切な記憶を』
「俺は――――」
瞬間、記憶の導線が繋がった。
知っていたはずの記憶が頭の中へ一気になだれ込んでくる。
レティと【試練の谷】の中で出会った記憶、
魔物の倒し方を教えた記憶、
街の中で一緒に食事をした記憶、
宿が見つからずに共に野宿した記憶、
二人で依頼をこなして感謝されている記憶、
離れたがらないレティと――別れた記憶。
出会ってから別れるまでのすべての記憶を思い出した。混乱と驚愕で視界がくらみ、地面に膝をついて唖然とする。
大したことをしていない? 助けただけ? 何を言っていたんだ俺は?
思いっきり、世話を焼きまくってるじゃねえか。
俺の痛々しい発言にキラキラした目で見てくるレティに気をよくして、まだなってもいないくせに勇者がなんたるかとか語って、まるで自分の妹みたいに世話焼きまくってる。
何で忘れていたんだ俺は。馬鹿か、あまりにも馬鹿すぎる。
「思い出したようだね?」
「……ああ」
俺は呆然と頷く。エンリは「そうかい」と口の端を上げた。
「もう忘れないでおくれよ。じゃあね」
そう言ってエンリの姿が消えた。止まっていた時間が動き出し、俺ははっと顔を上げる。
まるで夢でも見ていたかのようだった。だが記憶は鮮明に刻まれている。
そばにはレティの姿。俺は無言で、自分の右手を見た。
すると黒い魔力が集まり、右手が黒く染まっていく。
あのときとまったく同じ現象。
……正直、まだできるかは疑っている。なんせヘンリーのときとはわけが違う。
ヘンリーのときは、魂が残っていたからこそ、そこに宿った記憶を頼りに悪魔と魂を切り離すことができた。
でもレティは違う。作られた器に体内魔力が入っていただけで、本来人間が持っている魂が存在しない。
つまり俺がレティを人間にするには――魂を作り出さなくてはならない。
それも記憶を保たせたまま、レティに適合する体内魔力を作り出して。
そんなのは、もはや神の所業だ。
……できるのか、俺に?
………………いや、違う。できるかどうかじゃない、やるんだ。
俺はいつだってそうだった。自分は天才だから何でもできると信じて突き進んできた。
なら、今回だって同じことだろ?
自分を信じないでどうする。信じろ、俺にできないことはない。
俺は息を吸って、吐く。手を前に出し、レティの頭にかざす。
「レティ……安心しろ」
――俺が、お前を。
展開された禍々しい魔力がレティを包み込む。
「必ず、救ってやる」