第二章 セイレーンの解説
水曜日のつもりが諸事情あって遅くなってしまいました。申し訳ありません。
テニスコートの整備を終えて外に出ると、ちょうど帰り支度を終えた浅倉と一緒になった。
テニスラケットの入った袋を肩にかけ、タオルを首からかけた浅倉は俺を見てひょいと片手をあげた。
「よう、セイレーン。お疲れさん」
一切悪びれずにひょうひょうと言ってのけるところがイラッとくる。
「何度も言うが、セイレーン言うな」
つっけんどんに言い返してさっさと歩き出す。
浅倉はやれやれというように肩をすくめた。うざったるい動作だが、妙に決まっているのは顔がいいからかね。人間、ルックスがすべてではないということをもっとわかっておくべきだ。
「つれないな。ノリが悪いと嫌われるよ」
「余計なお世話だ」
浅倉みたいな面がいいだけでモテる男に言われると、余計に腹が立つね。放っておいてくれ。俺は別にモテたいとは思わん。告られたら即オッケー出す自信は70パーセントくらいあるけどな。
「そんなのだから、彼女できないんだろ。たまにはもっと、」
「もっと何だよ?」
「別になんでも」
「じゃあ言うな」
「気が短いな、セイレーンは」
「さっきからセイレーンセイレーンしつこすぎんだよてめえ!!」
言っておくが、部活が終了した時点で停戦協定は解除されてんだからな。いつでも俺は戦闘に入れるぞ。油断してると、顔面ぶっ飛ばすからな。
「物騒な奴だ」
「悪かったね」
足元の石ころを意味もなく蹴飛ばすと、数メートル転がって溝にはまった。
……さて、ここいらでなぜ俺がセイレーンという呼び名をここまで嫌がるのか、説明しておいたほうがいいかもしれない。
その理由は、セイレーンという言葉の意味にある。
辞書によると、セイレーンは『上半身は女、下半身は鳥の姿をした海の魔物』とでてくる。魔物と書くと物騒だが、魔物というよりは女神に近く、妖艶な女の人をセイレーンといったりもするそうだ。この辺、昔調べた記憶なので違うところもあるかもしれん。詳しくはググってくれ。
で、要するに俺が不満なのは、何故男子高校生の俺に海の女神だか女だかのあだ名をつけるんだ、ということだ。実に筋が通っているわかりやすい反論だと思うね。
でもこの俺の反論を浅倉は「別にいいじゃないか、苗字『水』城だし」と、実に理不尽でめちゃくちゃな意見でもって一刀両断した。
はじめはセイレーンと呼ばれるたびに無視していたのだが、あまりの浅倉のしつこさに辟易として文句を言いつつ返事はしてやることにしている。
まったく、困ったもんだ。
浅倉と押し問答を繰り返しているうちに、校門を通り過ぎていた。
俺たちの中学校は中高一貫校なため、敷地がやたらと広い。
校舎となる建物は二つあり、南側から校舎棟、管理棟という名前が付けられている。体育館とグラウンドは管理棟のおくにある。
ここから先、長くなるかもしれんが、校舎の説明をしておこう。
中学生の教室は管理棟、高校生の教室は校舎棟に入っている。管理棟と校舎棟は、西側の渡り廊下でつながっている。
管理棟の一階は事務室と応接室、二階は職員室と進路指導室、三階と四階に教室が入っている。
複雑なのは校舎棟で、東西に長い廊下が一本あり、右側に教室、左側に専門教室がずらりと入っている。
俺たち高2の教室は二階にある。階段が東と西にあるため、そう遠回りする必要はない。
まあ、こんなくらいか。
長々と説明下手で申し訳ないが、伏線と思って読み流しておいてくれるとありがたいね。
外に出ると、やや傾いた陽が地面に長い影を描かせていた。
俺も浅倉も電車通学なので、二人で駅までの道を歩く。
俺たちの少し前を、鞄を肩にかけた苅谷崎が歩いていた。俯いて早足で歩く苅谷崎の後を、俺たちは口論を繰り広げながら歩く。
「そもそもだな、お前俺の本名覚えてんのか?まともに呼んでもらった覚えないが」
「一応頭には入れてあるが、セイレーンのほうが呼びやすいというか」
そんなの俺が知ったことか。お前の基準で俺のあだ名を決められては構わん。
「それにお前『セイレーン』のファンだろ」
「それとこれは話が別だ」
今浅倉が言ったセイレーンというのは、数年前まで人気だった女性歌手のニックネームだ。
本名はわからないが、正確な芸名は木野花梨という。
30代前半の歌手で、恋愛ソングを中心に人気が広がった。
しかし、最近…というか、ここ数年、新曲がない。最後の曲が5年くらい前になるのか?俺が中学のころだ。
だがそんなことは彼女の人気を下げる理由にはならなかった。今でも、彼女の曲はあちこちで流されている。
彼女がセイレーンと呼ばれているのは、その歌声の綺麗さゆえだ。
さっきのセイレーンの説明には追加事項があって、セイレーン(女神のほうだ)は、その歌声で海に出ている漁師やら何やらを惑わし、おびき寄せていたという。惑わされた漁師やらは、嵐に巻き込まれて亡くなられたそうな。
まあ、よくある伝説的なやつだろう。惑わされる男どものほうが悪い。
自分がそこに入らないとは言い切れんがな。
「にしても、新曲ないよな、木野花梨さん」
話の流れついでに俺は言った。
「何、やっぱ気になるのか?セイレーン同士」
ふざけたことをぬかしやがる浅倉の足を踏んづけるのはいつものことで、俺は少し気になることがあった。
前を歩いていた苅谷崎が、一瞬……ほんの一瞬、足を止めたような気がしたのだ。
「どうした?」
「いや……なんでもねえ」
俺の気のせいか。
「気になるんだよ、セイレーンの新曲が」
自ら墓穴を掘るようなことを言って、俺は気を紛らわした。
次は月曜日に更新できたらなーと思います。あくまで予定です。
気長に待っててください。