152話 落ち着かない朝3
大男がテーブルを叩いた衝撃で食器がカシャンと音を立てた。ノルのプリンが皿から跳ねて崩れ、サミューのコーヒーが溢れている。崩れたノルのプリンを無言で見つめるサミューに眉毛の濃い大男が詰め寄り、がなるように捲し立てた。
「しらばっくれてんじゃねぇぞ〜? お前のせいで新聞に載っちまったじゃねぇか! 山には入れなくなるし商売あがったりなんだよ。 オイ! 聞いてんのか!?」
サミューの胸ぐらを掴もうとする大男を見て、正気を取り戻した勇気あるホールスタッフ数人が大男達の腕を掴んで引っ張る。
「お、お客様! 乱暴は困ります。どうか──」
大男達は掴まれた腕を力一杯振り払う。いとも簡単に吹っ飛ばされたホールスタッフ達は、尻餅をついたり、テーブルの足にぶつかり呻き声をあげた。
「お前らバッカじゃねぇの? そんな弱っちくて、よく俺らを追い出そうと考えつくよなぁ? 俺らは人間相手に負けた事が無ぇんだよ! 魔物だろうと俺らを見たら尻尾巻いて逃げ出すに決まってらぁ!」
大男達がゲラゲラとバカ笑いをしているとサミューが尋ねた。
「先ほどの言い様から推察するに、魔物除けの魔道具を盗んだのはお前達なのか?」
「そうだぜ。どこぞの有名なシャーマン様がわざわざ置いて行ってくださったこの島の財産だからな。島民の俺ら2人が売っぱらって金にして何が悪い? ったくよォ、買い手の目処も付いてたってつうのに、オメェのせいで全部パァじゃねぇか! この埋め合わせはしてもらわねぇとなぁ?」
眉毛の濃い大男がそう言うと、もう1人がもみあげを弄びニヤニヤしながらノルとご婦人方を物色するように見た。
「そういやぁ兄貴、コイツ女シャーマン連れてるって話だったぜ? こん中のどれかがそうなんじゃねぇのか?」
「おっ弟よ、良い情報持ってるじゃねぇか! そうと決まれば慰謝料代わりに女シャーマンを寄越しな。どっかの貴族か金持ちにでも売っぱらってやるからよ」
ゲラゲラとダミ声で笑う大男2人をサミューが睨み付ける。サミューから怒りのオーラを感じ、ノルは背中をゾクリと震わせた。それに気づいていないのか、あえて無視しているのか定かでは無いが、大男達がサミューを睨み返す。
「ああん? オメェ、何ガン垂れてんだ?」
ノルはゴクリと唾を飲み込んだ。何度か経験したあの感覚だ。
『あ……マズイわ……。サミューがキレてる』
こうなると間違い無くサミューは何かしでかす。ノルはビクビクしながらもチラとご婦人方を連れて壁際へ下がり、サミューをどうやって止めるべきか考えた。
だがサミューは片腕を怪我しており、今は刀を持っていない事に気付くと、途端に心配になった。そんなノルの心配を他所にサミューがスッと立ち上がる。
「──お前達は何を言っているか分かっているのか?」
大男達は無駄にぶ厚い胸板を見せ付けるように仁王立ちになる。これでは目の前の相手が碌に手を出せないとの計算の上だろう。それでもサミューは自分より頭ひとつ分背が高い大男達に対して臆する事無く睨み付ける。大男達はニヤニヤ笑いながら腕を組んだ。
「詫び入れて女シャーマンを差し出すなら、今のうちだぜ?」
その言葉を聞いたサミューから立ち上る怒りのオーラが倍増する。その目付きは身体の芯から凍えるように冷たく、突き刺すような鋭さへと変わっていた。ノルの頭の中にエアの声が響く。
『よくあんな表情で睨まれて、おまけに身が竦むような殺気まで向けられてあいつら平気でいられるよな? 頭悪いんじゃないの?』
どうやらサミュー相手に凄む大男達に関心しているようだ。だが流石の大男達でも一瞬怯んだ様子を見せた。そんな自分を奮い立たせるように、眉毛の濃い大男がそう言いながらサミューの胸ぐらを掴み、顔を近付けて因縁をつけた。
「そんな細腕で俺らとやろうってのか、コラァ?」
勢い良く胸ぐらを掴まれた影響でサミューの上体が後ろに反る。顔に唾が飛ぶのかサミューは顔を顰めると足を踏ん張り、自分の胸ぐらを掴む大男の腕の付け根をガシッと握った。そして次の瞬間には上体を起こすバネの力と、腕を引く勢いを合わせて、大男の顔に渾身の頭突きを喰らわせた。
ゴッ! という鈍い音がシーンとしたレストラン内に響く。
「痛ってぇー!!」
次いで大男の悲鳴が響く。
「……喚くな」
自身も額から血を流しながら表情ひとつ変えず、吐き捨てるようにそう言うサミューを見て大男は額を抑えながら後ずさる。相手が怯んだのを見てサミューはすかさず大股で近づくとスッと腿を上げ、大男の片足を踵で思いっきり踏み抜いた。
「うあぁぁー!!」
大男の悲鳴が再びレストラン内に響いた。たまらず足を引き摺りながら後ろへ下がろうとする大男の悲鳴を聞いても、サミューは表情ひとつ変えずツカツカと歩み寄る。
それを見ながらノルはゾクリとした。いつものサミューなら戦意を喪失した相手に追い討ちをかけたりしないはずだ。だがキレているせいか、見境が無くなっているように見えた。
サミューは無表情のまま、しゃがみ込もうとする大男の顔面に容赦なく膝蹴りを喰らわせる。大男が大きく後ろに吹っ飛んだ勢いで周りのテーブルや椅子が大きく動いた。脳震盪を起こたのだろう、大男はピクピクと痙攣するだけで起き上がれない様子だ。
サミューはだらしなく伸びている大男を一瞥すると、もうひとりに向き直り、射抜くように見つめながら額から流れる血を手の甲で拭った。
「どうした、お前はかかって来ないのか?」
兄が一方的に、しかもあっという間に伸される様子をあんぐりとしながら見ていたもう1人の大男は、ハッとしてホルダーからナイフを取り出しサミューに向ける。
「こ、これで近付け無ぇだろ!」
大男が一心不乱に振り回すナイフを、サミューはヒラヒラと躱しながら後ろへ下がって行く。ヒュンヒュンとナイフが風を切る音だけが聞こえた。
レストラン内の客は初めこそサミューと大男達の戦いを戦々恐々と見守っていたが、目の前で繰り広げられる非日常の光景を見ているうちに恐怖心は麻痺し、怖いもの見たさで小さく歓声をあげるようになっていた。
だが自分達の方へやって来ては呑気に見物は流石にしていられない。壁際へ避難していた客達は少しづつ2人がこちらへ近付いて来るのを見て、悲鳴をあげながら蜘蛛の子散らすように別の場所へ移動して行く。
ノルは少し離れた場所から固唾を飲んで戦いの様子を見守っていたが、サミューの腕の傷が開いたのか服に血が滲んでいる事に気付き気が気ではなかった。