142話 正体6
──時はほんの少し遡る。 エアはロープウェイを降り一直線に登山道へ向かおうとしたが、管理事務所の人に引き止められた。
「坊や1人かい? 坊やくらいの年齢の子が1人でこの先に登るのは危ないんだ、帰りなさい」
『ああもうっ! 急いでるのに!!』
エアは歯軋りをしそうになるのを必死に堪えながら、ロープウェイに乗る時と同じ文句で誤魔化す。
「注意事項も聞いてるし、姉と兄が先に行っているんで心配しないでください!」
昨日ノルが書いていたのと同じように名簿に必要事項を走り書きし、入山登録を強引に済ませるとゲートを通り抜け、原生林の中の登山道を駆け登った。
「ハァッ、ハァッ……。 まだちょっと坂道を登っただけなのに、早くノルとチラとサミューに知らせなきゃいけないのにっ!」
エアは息を切らし、焦燥感に駆られながらも必死に手足を動かす。 それでも昨日ノルの中から見た景色と同じはずが、今のエアにはとても登山道が長く感じられ、先程コーネリウスに言われた言葉を嫌でも実感してしまう。 そうした考えが手足の動きを鈍らせる事が無いよう、頭を振って弱気な考えを追い払った。
「──ッ!」
バッとエアの足が止まる。 僅かにだがノーガスの魔力を感じた。 正確に何処にいるかは分からないが大まかな居場所は分かる。
『こ、この周辺に間違い無くアイツが居る』
エアはまるで小動物のようにキョロキョロと周りを見回す。 今さっき追い払ったはずの弱気な考えが手足の震えを連れて帰って来た。 ひとりぼっちだとこんなにも心許ないのだと今になって気付く。 口では強気な事を言っておきながら、今の自分は敵の存在を感じ取り震えるような弱くちっぽけな存在だ。
だが自分が知らせねばノルの命が危ない。 ノーガスの邪魔をすればサミューだってタダでは済まないだろう。 なにせ相手は父ラミウを昏睡状態にまで追い込んだ男なのだから。
エアはビクビクと震える体を何とか精神力で動かし先を急いだ。 それからしばらく登山道を駆け登ると、緩やかなカーブを曲がった先の方にようやく開けた場所が見えてきた。 そこに人の姿も見受けられる。
『あの背中は、サミューか?』
エアは要件を伝えるため声をかけようと、くっつきかけた喉から声を絞り出そうとしたが、サミューと相対するノーガスの姿が目に飛び込んで来た。 それと同時にノーガスもエアに気付き、こちらへ駆けて来る。
父ラミウが襲われたあの日と同じように、ノーガスの見開いた目を見てエアは体を硬直させた。 エアの目にはこちらへ駆けて来るノーガスと異変に気付き振り返ったサミュー、両者の動きがまるでスローモーションの様に見える。
「エアッ!!」
エアに向かって手を伸ばすサミューの声はきちんと聞こえるが依然として体が動かない。
『このままじゃダメだ! 動け! 動け!』
そう自分に念じても、ただ喉の奥からヒュッと変な音が出るだけだ。 そうこうしているうちにいよいよノーガスが目の前まで来ていた。 ノーガスのカッと見開かれた目と目が合っても尚、動けないままのエアは死を覚悟するしかない。 だが気付くとサミューに突き飛ばされ、茂みの中で尻餅をついていた。
「隠れるぞ!」
腰が抜けて動けないエアの二の腕をサミューが掴み、引きずるように原生林の中へ逃げ込む。 少し離れた茂みの中で身を屈め2人で息を潜めた。 登山道の方からノーガスがぶつぶつと独り言を呟く声が聞こえてくる。
「あの少年はやはりエアか? それにしては小さいが、魔力の質は同じだ。 てっきりあの日死んだものだと思っていたが、生きていた……だと?」
エアはその声を聞きながらノルとチラの身の安全を心配したが、横でしゃがむサミューの息が荒い事に気付いた。 サミューの方を見て思わず声を上げかける。
左肘周辺に深い切り傷があり、そこから流れた血が地面に血溜まりを作っているではないか。 サミューは折りたたみナイフで服の袖を切ると、上腕部を縛り簡易的に止血をしたが、エアの視線に気付き困ったように笑顔を浮かべた。
「そんな泣きそうな顔をするな。 これくらい問題無い。 少し深いかすり傷だ。 それよりもあの男がノーガスで間違い無いな?」
エアが頷くとサミューは続けた。
「それでは俺が時間を稼ぐから、お前はノルとチラを連れて少しでも早くここから離れてくれ」
エアはサミューの血で濡れた服から目が離せない。
「お、お前はどうするんだよ?」
サミューは苦笑しながらちらりと自分の腕を見た。
「見て分かると思うが今の俺にはお前たちを庇って戦えるほどの余裕が無い。 俺が合図をしたら、ノーガスに見つからないよう2人を探せ。 例えお前が武者震いで動けなかったとしても動くんだ。 分かったな?」
サミューに有無を言わせぬ表情をされてしまうと、エアはもう諦めて頷くしか無い。
「そうじゃなくってさ……うん……分かったよ」
サミューに足止めしてもらっている間に逃げる事しか選べない。 そんな自分の未熟さが悔しくて、エアは内心歯噛みしつつも気付いた事を話した。
「アイツ、しばらくまともな魔法は使えないと思うんだ。 詳しくは分かんないけど、親父に羽を引きちぎられた影響か、前と比べ物にならないほど魔力が弱ってるみたいでさ。 それに俺達は羽を出してないと強い魔法は使えないんだよな」
それを聞いてサミューはふむふむと頷く。
「ほう、それは思わぬ僥倖だ。 恩に切る。 ──それでは、行けっ!」
エアが身を低くして駆けて行き、茂みの向こうへ姿を消した。 サミューはエアが周辺から離れた事を確認し、バッと茂みから立ち上がる。
「──ノーガス! 俺と戦いたいのだろう? 俺はここにいるぞ!!」
そう叫びながらノーガスが居る方へ駆け込んだ。