135話 整列したどんぐり
──時はほんの少し遡る。
サミューは沢で魔物の返り血がついた手を洗いながらぶつぶつと文句を言っていた。
「まったく、奴らは倒すと地面に吸い込まれるように消えるくせに、何故血は残るんだ?」
サミューはノルとチラと別れたすぐ後に狼型の魔物を1頭倒したのだが、うっかり返り血を浴びてしまったのだ。 幸い返り血を浴びたのは手と靴だけだったため、洗えば落ちるだろうし靴に関してはそこまで目立たないだろうが、ベッタリ付いていてなかなかに手強い。 どうにか手を洗い終え、刀と靴に付いた魔物の血も綺麗に拭き取る。
それから直ぐに昨日魔物の咆哮を聞いた辺りへ向かいながら、先ほど倒した魔物について思い出していた。 あの魔物は何かに酷く怯えた様子で茂みから出てきたのだ。 まあサミューを見た途端イラついた様子で襲いかかって来たため、呆気なく倒されたのだが。
だが昨日聞いた咆哮は明らかに複数頭の魔物が発したものだった。 先ほど倒した1頭は恐らく群れから逸れたのだろう。 魔物は仲間という概念がとてつもなく薄いようだが、その癖に群れるという不思議な性質がある。 そう考えると仲間の魔物はもうこの辺りには居ない可能性が高いが、何も無い状態から探すよりは何か痕跡があるかもしれない場所から探す方が楽だ。
目星をつけていた地点に到着し、辺りを注意深く見回すと、低木の茂みの中に獣道が出来ている事に気付いた。 登山道から外れ獣道に分け入り少し歩いて行くと開けた場所が見えてきた。 いや、開けた場所というには語弊がある。 魔道具の結界の中と同じ様に、生えている木が薙ぎ倒され、この場所だけ見晴らしがよくなっているのだ。
サミューは辺りを警戒しながら開けた場所に出た。
恐らくこの山で魔物の被害が顕著になったのは最近の事だろう。 前から魔物が活発に暴れていたのなら、冒険者組合に依頼が来ているはずだが見た覚えが無い。
では何故最近になって魔物が活発に暴れ始めたのか。 それは理性がほとんど無い、そんな魔物ですら怯える存在が現れたという可能性が考えられる。 普通の動物でも怯えていると警戒心が高まり強固に自分を守ろうとし、過剰な反応を示す事がある。 他にもあの村長が隠していた可能性や縄張り争いなども考えられるが、考えうる最悪の可能性を想定して動くべきだ。
幸い開けた場所には何もおらず胸を撫で下ろしながら魔物の痕跡を探していた。 だが霧雨が降ってきたため、1番分かりやすい痕跡である足跡が消えてしまう前に探す事にした。 雨の影響で土が柔らかく滑りやすくなっており、歩きにくいがその分艶が出て表面の凹凸が見やすい。
『ん? これは……』
生き物の足跡と思しき窪みを見つけしゃがみ込む。 そのとき、突然サミューの背中の上に何かが降って来た。
「──ッ!!」
警戒は怠っていなかったはずだが、背中に飛びかかられるまで接近に気付かなかった。 全身が総毛立つのと同時に反射的に振り払うようにガバッと立ち上がる。
「うわぁっ! そんなに暴れるとボク落ちちゃうよー」
だが背中から慌てたような声が聞こえ、肩に手をかけられた感触を感じた。
「…………チラか?」
「そうだよ、ノルからハサミを取って来るように頼まれたの!」
緊張が解け、その場にしゃがみ込むサミューの背中からチラは下りるとサミューの胸ポケットをまさぐる。
「ハァー……。 ハサミはそこじゃない、ウエストポーチの中だ」
チラは首を傾げる。 ウエストポーチと言われてもポケットが何個も付いており、どこに入っているか分からない。 チラは片っ端からポケットを開けていく事にした。
「分かった! んーっとハサミ、ハサミ……。 切るやつだよね? あっ、あったー!」
チラは忘れないうちにサミューのウエストポーチから折り畳みナイフを取り出し、サッと自分のポシェットに仕舞った。 チラにはハサミとナイフの区別が付かなかったが、生憎サミューもチラの間違いに気付いていない。 チラはひと仕事終え安心したのかサミューの背中を見て楽しそうに声を上げた。
「ねえねえ、さっきブンブンしたの楽しかったの! もう1回やって!」
未だ早鐘を打つ心臓を落ち着かせるため深呼吸をするサミューに、チラは満面の笑みで小さな両手をパッと上げた。 サミューはため息を吐きながら立ち上がるとチラに尋ねる。
「それよりチラ、お前どこから来たんだ? 恥ずかしい話だが俺はお前が近付いて来るのに全く気付けなかった……」
サミューは自分の索敵能力に少なからず自信を持っていたが、チラの接近にすら気付けなかった事ですっかり自信を無くしていた。
「瞬間移動して来たの!」
「しゅ、瞬間移動……? お前瞬間移動が出来るのか?」
面食らった様子のサミューを見てチラはハッとして口に手を当てた。
「あっ……ノルに『秘密だよ』って言われたんだった。 だけどサミューなら良いよね?」
「秘密だったのなら俺は聞かなかった事にする」
だがチラはサミューの気遣いにお構い無しで話を続ける。
「えへへ、サミューが腰に付けてるバッグに入れたボクのどんぐり目掛けて飛んで来たんだよ。 だけどね、ボクはまだ小ちゃいから瞬間移動は沢山出来ないの」
「ん? 俺のウエストポーチにどんぐり?」
ウエストポーチをまさぐるサミューを見て、チラが得意気な表情で脇に付いてる小さなポケットを指さす。
「ここに入ってるよ! サミューからこのポシェットをプレゼントしてもらったとき、とっても嬉しかったからお礼にボクの良いどんぐりを入れておいたの!」
サミューがウエストポーチの脇ポケットに付いたチャックを開くと、帽子を被りツヤツヤとした立派などんぐりが3つ綺麗に並んで入っていた。
「いつの間に……。 しかも整列している」
サミューがそっとチャックを閉めると、チラが再び両手を上に上げた。
「ねえねえ、さっきのもう1回やって!」
「しょうがないやつだな。 ほら」
サミューはチラが背中に乗れるように屈む。 その後チラの「もう1回」に5、6回付き合った頃に霧雨が止んだ。
「そうだ、お前ノルにハサミを届けるのではなかったか?」
「あっ、そうだった。 サミュー、バイバイ!」
サミューはチラがその場からいなくなると、無意識にウエストポーチに手を当てた。 輪っか状の持ち手が手に触れる。
『ん? ハサミあるじゃないか』
先ほどチラがハサミを『切るやつ』と言っていた事を思い出し、手前のポケットに入れていた折り畳みナイフを探したが見つからない。
『あいつハサミとナイフを間違えたのか……。 まぁ、きちんと入っている場所を説明しなかった俺も悪いし、交換しに行こう』
サミューはノルと別れた地点へ向かった。