127話 温泉
村長の秘書に村役場から“ホテルクレイドル”へ送ってもらう道すがら、ノルは村長が言っていた『大成功』について聞いてみた。
「フラワーフェスティバルの大成功って、やっぱりお花が沢山降って来る事でしょうか?」
ノルの質問に秘書は少し困った表情で少し考えてから答える。
「そうですね、もちろんそれもありますが村長が言っているのは、近年では滅多に見ることが出来ない虹色の花が降って来る事でしょうね」
3人は首を傾げ「虹色の花?」と口を揃えた。
「ええ、とはいえ私もドライフラワーになった物しか見た事が無いのです。 カスミ山のどの植物に咲く花なのかも分かっていないくらい珍しい花なのですよ。 色は薄い薄い虹色で花自体はそれほど大きくは無いですが、花びらが幾重にも重なっていたのでふんわりとボリューム感がありました」
「やっぱり虹色の花も花茶になるんですか?」
秘書は恋する乙女のような表情で頷く。
「それはもう、味も香りも口では言い表せ無いほど素晴らしかったです。 花茶にするためお湯の上に乗せると、周りの光を受けた花は水面に優しい色とりどりの影を落とすのです。 花が水分を吸ってゆっくりと沈んでゆくとき、色とりどりの光がポットの中で柔らかく広がる様は、まるでステンドグラスのようでした。 それから虹色の花で淹れた花茶には、どのような病や傷も治す効果があるらしいですよ。 かく言う私も飲めたのは1度限りでしたけどね」
その味を思い出したのか、秘書はうっとりした様子だった。
“ホテルクレイドル”に到着し、秘書とエントランスで別れるとロナが出迎えた。
「皆様、お疲れ様でございます」
「あっロナさん、お出迎えありがとうございます。 そういえば温泉ってどこにあるんですか?」
「あちらにございます。 よろしければご案内しますよ」
「申し訳ないが俺は結構だ。 風呂は部屋で済ませる」
温泉を固辞したサミューと別れ、ノルとチラはロナの案内で温泉へ向かった。
「こちらが女湯でございます。 チラ様もノル様とご一緒に女湯へお入りください。 お食事はレストランの者に声をかけていただければ直ぐにお出し出来るようになっております。 それではごゆっくりおくつろぎください」
ロナと別れ女湯の脱衣室に入ると夕食前の時間のためか、はたまた女の人には綺麗好きが多いためかは分からないが賑わっていた。
2人は服を脱いでさっそく浴場に出た。 ここの温泉は露天風呂のようで、混雑を感じないくらい広々としており開放感がある。
2人は湯船に入る前にまず髪と体を洗った。 温泉に入った事が無いノルとチラでもそれくらいの事は知っている。 だが湯船を覗き込み内心驚いていた。
「お、お湯が濁ってる……! これは入っても大丈夫なのかしら?」
「うーん、底が見えないね」
周りを見回すと皆気にせずに浸かっているようだ。 勇気を出してお湯にチョンっと指先を入れると、ノルとチラには湯の温度が高く感じられた。 だが周りを見ると大人達はやはり気持ち良さそうに浸かっている。
ノルは少し背伸びして大人になった気持ちで勇気を出して湯に浸かった。 始めは熱くピリピリ感じられたが、次第に日頃の疲れが溶けて体から流れ出ていくように感じられる。 ノルの口から思わず「ふぁ〜」と声が出る。
「こんなに気持ちいいんだから、サミューも来ればよかったのにね」
ノルがそう言いながらチラを見ると、未だ指先をチョンチョンと湯に浸けては引っ込めていた。
「うーん、ボクには熱いや、もう出る」
チラはそう言って脱衣室へ戻って行く。
「待ってー、私も行くわ」
やはりノルにも熱かったため長時間は浸かっていられない。 ノルもチラを追って脱衣室へ戻り服を着ると、夕食に誘うためサミューの部屋へ向かった。
♢♦︎♢
その晩サミューは日課の稽古終わりに汗を流すため温泉に向かっていた。 夕食の際に湯上がりで頬を上気させたノルに温泉の良さを語り尽くされ、周りを見ても同じように風呂上がりでご機嫌な様子の人々が多かったため、入ってみたくなったのだ。
『我ながらミーハーだな……』
苦笑しながら男湯の脱衣室へ入ると、人っこ1人いない。 深夜の時間なため人が少ないのは当たり前だが、誰も居なくて内心ホッとした。 これで古傷だらけの体を誰かに見られる心配は無い。
だが温泉を利用出来る時間に変わりないため、他にも人が来る可能性はある。 極力人と会わないためにもサミューは急いで服を脱いで浴場へ足を踏み入れた。
誰も居ない事を確認して急いで髪と体を洗い、湯船に浸かる。 温泉に入るのは久しぶりだ。 以前師匠の故郷へ付いて行った際に入ったきりかもしれない。
あの頃は湯の温度が高くて長時間入っていられなかったが、今はもう平気だ。しみじみとそんな事を考えていると、視界の端で何かが動いた。
どうやら先客がいたようだ。
サミューは自分以外誰もいないと思っていたため、思わず飛び上がりそうになるのを、すんでのところで堪える。
「申し訳ない、驚かせてしまいました? あなたがあまりにキョロキョロしていたもので、いないふりをしようかと思ったのですが私には無理だったようです……」
湯気が上がっているだけでは無く、暗がりにいるせいもあり男の顔や表情こそ見えないが、声音からこちらを気遣ってくれている事は伝わってきた。 深呼吸をして早鐘を打つ心臓を落ち着かせると、サミューは頭を下げる。
「こちらこそ気を遣わせたうえ、変な反応をしてしまい申し訳ない」
「いいえ、気にしないでください。 ところでお兄さんは何故この島へ?」
不躾な質問にサミューは訝しみつつも返す。
「俺はカスミ山に出た魔物討伐の依頼を受けたもので……」
サミューの声音から警戒の色を感じ取ったのか相手は慌てたように話した。
「私は湯治のためこの島へ来てたのですが、フラワーフェスティバルの開催が危ういと小耳に挟みました。 やはりカスミ山の植物は魔物に荒らされているのですか。 それは良く無い、見逃せないですね」
湯治客の男は植物が好きなのだろう。 言葉の端々に植物を荒らす魔物への強い怒りを感じた。 湯治と言えば長期間逗留する事も珍しく無い、この時期に島にいるという事はフラワーフェスティバルも目当ての一つなのかもしれない。
「いえ、フラワーフェスティバルならどうにかなるかもしれません。 カスミ山の植物を回復させる依頼も併せて受けていますから、例年通りとは行かなくても中止にはならないと思います。 ……しかし2ヶ月で植物を回復させろだの、虹色の花が降ってくれば報酬を2倍にするだの、依頼主には好き勝手言われてほとほと困り果てたものです。 おっと失敬、つまらない話をしてしまいました」
サミューは顔も見えない初対面の相手に思わず愚痴を漏らしていた事に気付き謝る。
「ハハ……冒険者とは大変ですね。 依頼の度に色々な場所へ出向き解決して、正に影のヒーローのような存在です」
「いやぁ……」
褒められて照れるサミューに湯治客の男は尋ねた。
「ところで虹色の花とは何です?」
「どうやら虹色をした珍しい花だという話ですが、俺も詳しくは知ません。 ただ珍しい分、薬効が凄いらしく虹の花で淹れた花茶を飲むと、どんな病や傷でも治るらしいです」
「ほぉ、そのような凄い物があの山にはあるのですか」
カスミ山の方を見上げる湯治客の男にサミューは会釈する。
「温まったので俺はお暇します。 それではお先に失礼」
湯治客の男はサミューに会釈を返すと再びカスミ山を見上げた。