125話 ホテルクレイドル
落ち着いた色合いの照明に照らされたホテルのロビーは、旅装束の3人が入るのには少し気後れしてしまうくらい洒落た造りだ。 ノルはもしかしなくても場違いなのでは無いかという思いをぐっと飲み込み、フロントに立つ受付係に声をかけた。
「イルーグラスのラナシータさんから紹介を受けたノルと言います。 村長さんに会いに来ました」
「かしこまりました。 担当の者を呼んで参りますので、そちらにお掛けになってお待ちください」
受付係はもう1人の受付係に目配せをして、入り口の近くを手で示し1礼すると扉の奥に消えた。 受付係に示された場所には籐で編まれた椅子とローテーブルがある。 3人は籐の椅子に座りロビーを見回した。
目の前のローテーブルのガラスの天板には南国の花が飾ってあり微かに甘い香りを放っている。 他にも間接照明や観葉植物などの調度品があり、木の温もりを感じられるこのホテルに上手く調和していた。
フロントの右手はレストランへ繋がっており、左手には温泉へ繋がる扉と1階の客室へ繋がる扉、緩やかな螺旋階段が見える。 天井でゆったりと回るシーリングファンが、この空間の心地よいのんびりとした雰囲気を表しているようだ。
ノルがシーリングファンの動きを目で追っていると、髪をお団子にした30代くらいの受付係の女性が、柔らかな笑顔を浮かべこちらへ歩いて来た。 それと入れ替わるように先程ノルが声をかけた受付係がホテルの外へ出て行く。 お団子髪の受付係の女性は3人の前に立つと手をへその位置でそっと合わせた。
「お待たせしました。 ノル様、サミュー様、チラ様ですね?」
「「「はい」」」
「遠路はるばるラタンド村へおいでくださりありがとうございます。 申し遅れましたロナと申します」
ロナは綺麗なお辞儀をした。 その美しい礼にノルは反射的に立ち上がりペコリと頭を下げたが、椅子に座ったままのチラとサミューの驚いたような視線を受け、恥ずかしさで赤くなり再び椅子にぺたんと腰掛けた。
ロナはその様子を見て微笑ましく思ったのか、優しい笑顔を浮かべたが、ハッとした様子で表情を取り繕う。
「皆様がこの島にご滞在の間サポートをさせていただきます。 何かお困り事などがございましたらお気軽にお声掛けくださいね。 それではお部屋へご案内させていただきます。 ノル様、お荷物お持ちしますね」
ロナはノルの荷物を持つと螺旋階段を登った先にある扉を抜けた、目の前にある2つの扉を手で示す。
「3名様と伺いましたので、コネクティングルームを手配させていただきました。 こちらがそれぞれのお部屋の鍵でございます。 2つのお部屋は室内の扉で行き来する事も出来ますし、壁を畳んでいただけば大きなひとつのお部屋として使っていただく事も可能でございます」
ロナがノルとサミューにそれぞれ部屋の鍵を手渡すと、サミューは鍵を開けて部屋へ入って行った。 ノルもそれに続いて鍵を開け、部屋へ入ろうとするとロナが呼び止め囁く。
「コネクティングルーム内の扉についてなのですが、ノル様にお渡しした鍵のお部屋からのみ鍵を掛けることができます。 安心してお休みください。 男は狼になる事もごさいますからね! それでは失礼します」
ロナは悪戯っぽく微笑む。
「ありがとう、安心して休むわ」
ロナがお辞儀をして居なくなるとノルは首を傾げた。
「男の人が狼になるってどう言う事かしら?」
学校に通い語彙力が増えたと自覚していたノルだったが、これは初めて聞いた言葉だ。 初めて会った人に知らない言葉を聞く事が少し恥ずかしかったため、知ったかぶりしてしまった。
「うーん、人間の男の人は狼に変身する事があるのかな? あっ、ボクは木になれるよ! ほら!」
得意気に人差し指を枝に変えるチラと扉を抜けると、エアの笑いを堪えたような声が頭に響いた。
『俺もそんな言葉があったなんて知らなかったなぁー。 後でアイツに聞いてみれば? アイツ難しい言葉とかよく使ってるじゃん!』
「ああー、確かに! そうするわ。 そういえば船に乗ってからずーっと黙ってたけど、どうしたの?」
『ちょっと気になる奴に会っちゃってさ』
「気になる人ってジャンさんの事?」
『いや違──』
エアが答える声をノルとチラの歓声が掻き消した。
「うわぁ〜! 素敵ね!!」
「すごーい!」
ロビーの洒落た雰囲気で期待していたが、期待以上だ。 見るからにふっくらしたダブルベッドが2つあり、足元には丸くて毛足の長いフッカフカの絨毯があった。
思わず素足で歩いてみたいという衝動に駆られる。 だがこれから人と会うのに靴と靴下を脱ぐのはいかがなものかと考え、楽しみは寝る前に取っておくことにした。
ベッド同士の間には籐とガラスで出来た半円状の小さなテーブルがあり、その上に花型のランプが置いてあった。
日の光がたっぷりと差し込む窓辺にはローテーブルとカウチソファがあり、カラフルなクッションが置いてある。 ノルがローテーブルの上に置いてあるクッキーの詰め合わせに手を伸ばそうとしたとき、扉をノックする音が聞こえた。
「ロナです、お茶をお持ちしました」
「「どうぞー!」」
ノルとチラが口を揃えて返事をすると、お盆を持ったロナが入って来た。 お盆にはカップとポットが乗っている。
「失礼します、よろしければ皆様ご一緒に外のバルコニーでお茶をお飲みになっては如何でしょうか?」
ロナの視線の先、大きな窓の外はウッドデッキのバルコニーなっており目の前にはカスミ山が、斜め前には海が見えた。
「わぁ、良いですね〜」
「ボク、サミュー呼んでくる!」
ノルはひと足先にテラス席にある作り付けのテーブルに着く。 少し遅れてチラとサミューも着席すると、ロナは片腕に乗せたお盆の上でポットからカップへお茶を注ぎ、3人の前に置いた。
「ラタンド島特産の花茶にフルーツを混ぜた当ホテル特製のウェルカムドリンクでございます。 それと……到着したばかりで大変恐縮なのですが、村長が皆様に会いたいと申しておりまして、1時間ほど経ちましたらまたお迎えにあがらせていただこうと考えております。 よろしいでしょうか?」
「ええ、分かったわ」
「はーい!」
「承知した」
「ありがとうございます。 それではまた後ほど、お時間になりましたら伺いますね。 失礼します」
ロナはテーブルにポットを置いて1礼すると部屋から出て行った。