122話 ラタンド島到着
煙幕の煙の中、サミューの足下を通り過ぎようとしている人物は、初めにサミューが倒した客室の扉の前にいた海賊だった。 誰にも気付かれていないと思っているのか、四つん這いになり片手で煙を払いながらそろりと通り過ぎて行く。
だが白く煙るの中で何処に進めば良いのか分かっていないようで、右往左往している様子が見て取れた。 恐らくこの海賊が乗ろうと思っている海賊船はもうこの側にはいないだろう。 少し前に船が発進する音が聞こえた。
それでもこの船から必死に抜け出そうとする海賊をサミューはほんの少し哀れに思いつつも、スタスタと歩み寄り背中を足で踏み付ける。
「ギャッ!」
ベチャッと間抜けな体勢になった海賊の手をサミューが背中に回すと、吟遊詩人がどこからともなくロープを取り出し手渡してきた。 サミューは手にしたロープを見ながら内心『これは何処から出たんだ?』と思ったが、敢えて突っ込むことはせず海賊を拘束する。
「イテテ……。 俺はケガ人なんだ、もう少し優しく扱ってくれ!」
「……ん? その声何処かで聞いたような気がするな」
サミューが海賊のバンダナを剥ぐ。 その下から出てきた顔は、何とギナハラでノルとチラを襲った奴隷商だった。
「お、お前海賊までやっていたのか?」
「ちがわい!」
ジャンと名乗ったこの男は、イルーグラスでイチトに高台から蹴り落とされた事で全身を骨折した。 そのまま捕まったり野垂れ死んでいてもおかしくなかったが、運が良い事に親切な近所の一家に看病されていたらしい。
その間にあるファッツ男爵が捕えられた事で、なし崩し的に奴隷商はギナハラ自警団に一斉摘発され自然解体した。 奇しくも全身骨折してイルーグラスから動けなかったジャンはギナハラ自警団の一斉摘発を逃れたのだ。
ある程度動けるようになり、そこの家を出るとジャンは職を失っていたため、直ぐに職探しを始めた。 決して裕福では無いのに、何処の馬の骨か分からない自分を親切に看病してくれた優しい一家にせめて看病へのお礼を渡したいと思ったからだ。
そのためには真っ当な方法で稼いだ金が必要だと気持ちを入れ替えて職探しをした。 したのだが……ジャンが選んだ仕事はこのようなものだった。
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「これだ! と思って飛びついたらバンダナ渡されて『それで顔を隠せ!』って言われて海賊活動させられてたんだよ。 そしたら襲った船に“花吹雪”がいるしよ、本当は海賊なんてしたかねぇのにたまったもんじゃねぇ、真っ当な生き方をしようと思ったらこれだ。 奴隷商やってたときから心の何処かで絶えずビクビク怯えてたけどよ、俺は伸び伸びと日の当たるとこを歩いちゃいけねぇのか?」
ジャンは腹の底から鬱屈した感情を吐き出すように盛大なため息を吐くと、サミューを睨み付けた。
「……それに比べてお前は良いよな、苦労なんて無さそうで。 見てくれが良いから女も放っておかないだろうし、“花吹雪”とかお前の見てくれにピッタリな華やかぁ〜な二つ名をお持ちのエリート冒険者様でよ。 それに比べて俺はナンパしても振られてばっかだし、あのガキとかイチトにやられたところもまだ痛むし。 ハァ……何か馬鹿らしくなってきた、生きてても良い事なんて何もねぇよ」
サミューは始め話を聞いて同情していたが、ジャンがため息混じりに愚痴を言い終えた頃にはサミューの視線は氷のように冷たいものとなっていた。
「そうか。 ──それならば俺が引導を渡してやろう」
「……へっ?」
ジャンは驚いてサミューを見上げかけたが、耳に届いたあまりの声の冷たさに思わず俯く。 サミューは刀を抜き振り上げると、後ろ手に縛られ座らされたジャンを見下ろした。 ジャンは冷や汗をかきながら足元で動いたサミューの影を見ていた。 その動きで刀を振り上げた事が嫌でも分かる。
まさか本当に殺される事になるとは……。 ジャンはゴクリと唾を飲み込み勇気を振り絞ってサミューを見上げた。
サミューは口を真一文字に結び眉間に皺を寄せている。 その目は先ほどとは比べものにならないほどの静かな冷たさを湛えていて、見ていると身体の芯から底冷えするほどゾクリとするのに不思議と引き込まれ、目が離せない。
そしてサミューの目が僅かに見開かれ、刀が振り下ろされたのが分かった。 死んでも良いと思っていたが、次の瞬間にはもう自分はこの世にいないのだ。
『──やっぱり死ぬのは嫌だ、怖い!』
だが自分は拘束されていてしかも一瞬の出来事だ、動く事などできない。 ジャンはあまりの恐怖に目をギュッと瞑り、風切り音と首の辺りに風圧を感じると走馬灯を見る暇も無く意識が途切れた。
「……フンッ」
サミューが刀を鞘に収めふと横を見るとコーネリウスと目が合った。 僅かに驚いた表情をしている。
その背後にある客室では乗客達が開いた扉の間から、窓から凍りついたようにこちらを見ていた。
ノルとチラも客室の扉の間から顔を覗かせ固まっている。 だが平然とした顔でこちらへ戻って来るサミューと後ろから付いて来るコーネリウスを見て、ノルはどうにか口元に笑みを取り繕い客室へ迎え入れた。
「お疲れ様」
「ああ」
ノルもサミューも今はとても笑える気分ではない。
閉まる扉の間から船員が慌ただしく片付けやら掃除やらで駆け回っている姿が見えた。 しばらくするとラタンド島へ入港するために鳴らされた汽笛と鐘の音が聞こえた。
♢♦︎♢
船を降りた先の港でコーネリウスは3人に声をかけた。
「それでは僕はこれで〜」
「さようなら。 あっ、そういえばコーネリウスさんは何でラタンド島へ来たんですか?」
コーネリウスはノルの手を取るとニコリと笑う。
「上司から指令を受けましてね。 お嬢さん、またいずれお会いしましょう。 それまでしばしお別れです」
コーネリウスは3人に向けてウインクすると、遊歩道の方へ走り去った。 船から降りた乗客達も思い思いの方向へ歩いて行く。 サミューが助けた女性も3人に会釈して通り過ぎて行った。
「私たちはまずラタンド村へ行くように言われているから遊歩道とは違う方向ね」
ノルが案内板を指さすとサミューが頷いた。
「ああ、そのようだな。 宿泊費は村長が持つという話になっているはずだから、ラタンド村に着いたら先ずは村長に取り継いでもらおう」
ラタンド島は半分以上が原生林になっており、少し進んだ先にこの島唯一の集落ラタンド村がある。 ラタンド島は年間を通して温暖な気候のリゾート地として有名だ。 また“コーンフラワー号”の船内放送でもあったようにラタンド島は火山島だ。 そのため温泉が湧いており、大自然に囲まれて入浴出来るという事で湯治客が多く訪れる。
またカスミ山に登るためにラタンド島を訪れる観光客も多い。 カスミ山の中腹まではロープウェイが出ており誰でも気軽に行く事が出来る。 だが、どうせラタンド島に来たのなら独自の自然を満喫したい! そんな人のために登山をしながら山頂へ行ける遊歩道も用意されているのだ。
「さて……ラタンド村へ行く前にやっておかなければならない事がある」
3人は案内板から少し離れると、サミューがその場に下ろしたジャンを見た。
放置して“コーンフラワー号”の船員に迷惑をかけるのも悪いので、とりあえずサミューが引き取り船から降ろしたのだ。