120話 出航
乗船して少しするといつものサミューに戻ったようでノルはホッとした。 何故急にサミューの機嫌が悪くなったのか気になったが、聞けばまた不機嫌になるかもしれないし、別に自分達のせいで怒っていた訳では無いようだ。
『こういうときはあまり気にしないのが1番ね』
ノルはそう思いながら畳まれた帆が括り付けられたマストを見上げていると船内放送が流れた。
[当船“コーンフラワー号”はスプリッチ発ラタンド島行きです。 お乗り間違いの無いようご注意ください。 間もなく出航いたします]
“コーンフラワー号”はラタンド島へ行き来する人々や物資を運ぶため1日3回運行しているらしい。
『コーンフラワーってトウモロコシの粉の事よね? 変わった名前の船だわ。 ああそっか、きっとこの船で沢山トウモロコシの粉を運ぶのね!』
ノルがひとり頷いていると出航を知らせる鐘が鳴る。 係員が確認を済ませるといよいよ出航だ。 港で手を振る係員にノルとチラは元気に手を振り返した。 港から離れしばらくするとノルは2本のマストを見上げて首を傾げていた。
「あれ? 帆が畳まれたままなのにどうしてこの船は動けるの? 誰かが漕いでいる様子もないし。 船って帆に受けた風で進むものなんでしょ?」
「ああ、これは機帆船らしい」
「機帆船って?」
サミューが答える前にノルの頭の中に得意気なエアの声が響く。
『蒸気機関で動く帆船の事だ。 蒸気機関っていうのはな──』
その後のエアの話はとても長かったため、ノルは半分聞き流しながら船内を見て回る事にした。
3人で船首へ行くと再び船内放送が流れた。
[皆様こんにちは、コーンフラワー号にご乗船いただきありがとうございます。 当船の目的地ラタンド島は独自の生態系が息づく自然豊かな火山島です。 ラタンド島と言えば花祭り。 当船の名前も花祭りとこの辺り近海のブルーサファイアのような青色にちなみ“コーンフラワー号”と名付けられました。 宝石のような美しい海を見るために船体から大きく身を乗り出したり、船内を走り回ったりする行為は大変危険ですのでご遠慮ください。 それでは皆様、ゆったりとした船の旅をお楽しみくださいませ]
3人は潮風を浴びながら、ぼんやりと海を見ていた。 キラキラと輝く海の模様は刻一刻と形を変えて面白いし、うねる波が船に当たって白く泡立つレースのようだ。
しばらく夢中で見ていたが、何だか引き込まれそうな気がして目を上げた。 近くは淡い水色だが遠くの方は深い青色をしている。
「ブルーサファイアってどの辺の青色のイメージなのかしらね?」
「うーん1番奥の方の色かな?」
ブルーサファイアを見た事が無いノルとチラが首を傾げると、2人の横で頬杖をついていたサミューがボソッと呟く。
「ブルーサファイアというより、緑がかったアクアマリンやパライバトルマリンの方が合っている気がするな。 コーンフラワーというのはブルーサファイアの最も美しいとされる色のうちのひとつを指すもので、矢車菊の青色に近い」
「矢車菊なら知ってるわ」
「ボクも!」
3人はしばらく波の音に耳を傾けていたが、うねる波と船の揺れの微妙なズレを見ているうちに目が疲れてきたため、客室へ行く事にした。 だが客室に近付くとサミューが眉を顰める。 ハープの音が聞こえたのだ。
やはり客室の中では入り口の近くの椅子に腰掛けた、コーネリウスが女性に囲まれハープの演奏をしていた。 3人に気付き手を振ってきたため、ノルとチラは手を振り返したが、サミューは無視して1番離れた席にドカッと座り足を組む。
一見すると普段の表情とあまり違いは無いが、眉根が僅かに寄っており腕を組みながら肘を指でトントンと叩いている。 それはサミューが明らかに不機嫌になっているときの状態だとノルとチラには分かった。 2人は笑顔を作ると努めて明るくサミューに声をかける。
「お昼食べたばっかりだし船酔いとかしてない? 私、薬持ってるから辛くなったらいつでも言ってね」
「問題無い」
「海綺麗だったねー!」
「そうだな」
ノルとチラは顔を見合わせた。 明らかにサミューの口数が少ない。 機嫌が悪いときは口数が減る事は無く、むしろ憎まれ口を叩いてくるはずだ。 ノルは何なら『飛行船に乗る前に菓子を食い過ぎたお前と一緒にするな』くらい言われるかもしれないと予想していた。 だが帰ってきたのは素っ気ない返事だ。
『そういえばサミューって思い悩んだとき口数が減るのよね。 そういうときは気分転換が1番よ! 気分転換といえばやっぱり音楽かしら?』
あのコーネリウスという吟遊詩人は、詩が下手なだけで演奏と歌は上手い。
「ね、ねえコーネリウスさんのハープでも聴きに行かない?」
ノルがそう提案しながら立ち上がり、チラもサミューの服を引っ張るが、サミューはただ首を横に振るだけだ。
その様子を見てますます心配になったノルとチラはサミューの両脇にストンと腰を下ろす。 最近サミューの様子が少しおかしい事には気づいていたので、元気を出してもらおうとノルとチラはそれぞれ頭の中で作戦を考える。
肘を指でトントンと叩くサミューをちらっと見つつ2人でアイコンタクトを取っていたが、気付くとサミューの肘トントンが止まっていた。
「ん? お前たち行かないのか?」
「だってサミューが心ここに在らずって感じで心配なんだもん」
「そ、そうか? それは心配かけたな……」
サミューが申し訳なさそうにしつつも、心なしか嬉しそうに人差し指でポリポリと頬を掻いたそのとき、船がかなり激しくグンッと揺れた。
3人は座っていたため驚いたくらいで済んだが、コーネリウスの周りにいた女性何人かが体勢を崩し軽く悲鳴を上げる。 初めの激しい揺れの後も船体は断続的に上下左右に揺れていた。
「お嬢さん達、落ち着いて。 ひとまず様子を見ましょう。 でも何かあったときには僕がお嬢さん達を守ります。 僕の側から離れないで」
サミューはその様子を半目で見ながら立ち上がる。
「何があったのか確認してくる。 お前たちは客室から出るなよ」
2人にそう言い聞かせ、客室から出たタイミングで船内放送がかかった。
[当船は海賊に狙われております! お客様方は係員の指示に従い至急客室へお戻り願います。 海賊から逃げ切るため全速力で航行しますので、大きな揺れに備え手すりや備え付けの椅子などにおつかまりください!]