119話 吟遊詩人の歌
程なくしてテーブルに運ばれてきた料理は、タコのトマトソーススパゲッティとエビのグリルだ。
「このエビは赤いけど生簀に居たのは灰色だったわ。 種類が違うの?」
ノルは皿の上に乗った真っ赤なエビを見て首を傾げる。
「俺も詳しくは知らないが、エビは火を通すと赤くなるらしい」
ノルは「へぇ〜」と頷きながらエビをフォークで刺そうとしたが、殻が邪魔をして上手く刺さらない。 前に座るサミューの手元をじっと観察した。
スプーンとフォークを使い綺麗にエビの殻を剥いている。 ノルの視線を受けてやや気恥ずかしそうにしながら、手で掴んでそのまま齧り付こうとするチラの分も剥く。 ノルはサミューの見様見真似でエビの殻をどうにか剥くと、食べられる部分の少なさに驚きつつ口に入れた。
弾けるようなプリっとした食感と甘み、口の中から鼻に抜ける香ばしい独特の良い香り。 噛めば噛むほどふわふわとした食感に変化し、染み出す旨みと香りがたまらない。 いつまでも噛み締めていたいという思いと裏腹に、喉の奥から『早く寄越せ〜』と言われているようだ。 気付いたら飲み込んでいた。
続いてタコのトマトソーススパゲッティだ。 初めはタコを避けて食べていたが、流石に無視する訳にはいかないような残りの量になってきた。 生き物の命をいただいている以上、食べられる部分は残さず食べる事がモットーのノルは、意を決してタコを口に入れる。
あの見た目から奇抜な味を想像していたが、想像に反して淡白な味わいだ。 味はあまり無いようだが、微かに海の香りを感じ独特のコクがあるような旨みが感じられた。
最大の特徴は食感だ。 歯がスッと通るのに押し返してくるような不思議な食感で、以前チラが食べていた“地獄のタコグミ”を思い出し笑いが込み上げてくる。 タコをトマトソースに絡めながら食べていたが、ニマニマ笑いが止まらない。
「どうした?」
「去年のスイーツフェスティバルでチラちゃんが“地獄のタコグミ”を食べていたのを思い出しちゃって……」
「“地獄のタコグミ”美味しかったし、楽しかったよー!」
「確かにそんな物もあったな」
肩を震わせるノルと幸せそうに頬っぺたを押さえるチラを見てサミューは苦笑したのだった。
♢♦︎♢
飲食店が並ぶ通りを真っ直ぐ下って行くと船着場に出る。 船着場では、漁から帰ってきた漁師が網の手入れをしており、網に引っかかった売れないような小魚をその辺に放り投げると、海鳥が咥え飛び去って行く。 漁師が投げるおこぼれを狙う海鳥は人馴れしているのか、チラが駆け寄っても飛び去る事は無い。 少しして肩を落として戻ってきたチラは口を尖らせていた。
「あの鳥さんたち、ボクを睨むの……」
サミューが頭をポンポンと撫でながら返す。
「ここの海鳥は図太いからな、食い物を持ってると襲われるぞ」
それを聞いたノルは持っていたカバンをそっと抱く。 これにはお菓子がたくさん入っている。
『な、なんか海鳥の視線を感じる気がする』
ビクビクしながら周りを見回すノルを見て、サミューは何を考えているのか理解した。
「別に荷物に入れておけば問題無い。 とにかく海鳥の前で食い物は出すなよ」
ノルはガクガクと頷くと、恐々と海鳥の横を通り抜け歩みを進める。
ラタンド島行きの船着場に近づくとハープの音色と歌声が風に乗って3人の耳に届いた。 船のロープを結ぶボラードに吟遊詩人が腰掛け歌っている。
「時の流れは〜大河のようで〜、流れが変わる事はあれど〜決して遡る事は無い」
……詩はあまり上手くなさそうだ。 だがそこから吟遊詩人の歌声と見た目の美しさを差し引きすると美しさが勝るらしい。 金色の長髪を緩くひとつに纏め、キャスケットを斜めに被ったサミューより少し歳上に見える男性だ。 美人を見慣れたノルが見ても、顔立ちが整っていると思えるのだ。 ハープを奏でる吟遊詩人の周りでは何人もの女性がウットリと聞き惚れていた。
ノルは今まで何度か吟遊詩人に会った事はあるが、その回数はあまり多くない。 知らない話を歌に乗せて聞かせてくれ、どこか非日常を感じられる存在。
1曲聞いていこうと足を止めかけたが、ラタンド島行きの船の出航時間を調べる方が先決だ。 船着場の係員に聞いてみるとそろそろ入港するらしい。
船のチケットを買い領収書を出してもらう。 ラタンド村の村長に支払ってもらえるかもしれないので念のためだ。 そうして3人もラタンド島行きの船を待つ列に並び、吟遊詩人の歌に耳を傾けた。
どうやら“クリストファーの5日間”に登場する英雄クリストファーについて独自の解釈を交えて歌っているようだ。 吟遊詩人の歌を簡単にまとめると──。
英雄クリストファーには妹がいたらしい。 だがその妹が家族と意見が食い違った事で家を飛び出した。 妹を探す旅に出たクリストファーは方々探し回り、ついに妹を見つけたが妹は魔王ソルキトに食べられてしまった。 クリストファーは“魔王ソルキト”を倒したが、妹を連れて帰る事は叶わなかったという。 なんとも悲しいラストだ。
“クリストファーの5日間”は人気がある物語なため、クリストファーが半分負けたような内容に観客のほとんどは拍手を贈らなかったが、吟遊詩人はそんな事はどこ吹く風と言わんばかりに一礼する。
ノル、チラ、サミューは一応拍手をしたが、拍手をした人は僅かだったため、かえってパラパラと寂しく目立った。 ちょうど入港してきた船が鳴らした汽笛で3人の拍手もかき消される。
吟遊詩人はまるで大勢の聴衆に割れんばかりの拍手をもらったような表情で頭をあげた。 そして3人の方へ歩み寄り、ノルの前で傅くと手を取りそっと指先に口付けする。
ノルは自分でも自覚しているが、色恋沙汰に疎くトキメキなどと言う言葉を語るには自分はまだまだお子ちゃまだと思う。 そんな自分でも例え指先であれ、美しい人に口付けされればドキドキする。 少し取り乱しつつも口角が上がってしまうのを止められない。
吟遊詩人は膝をつきノルの手を取ったまま名乗りを上げた。
「僕はコーネリウス・スピネス・マドレーと申します。 以後お見知り置きを」
『お見知り置きを』と言われても吟遊詩人と会う機会はそうそう無いのではないかと思うノルを他所に、コーネリウスはスッと立ち上がり身振り手振りを交えて話し出した。
「僕の歌を真剣に聴いてくださったのはあなた方だけです。 他の方々は僕のこの美貌に惹かれて集まったようなものなのです。 ほら、僕はあのお伽話に出てくる妖精族と見紛うくらいには美しいでしょ? だからお嬢様方は目の保養として、お兄さん方は嫉妬して『あの男はどんな歌を歌うのか聞いてやろうじゃないか』という思いを抱くようなのです」
いちいち言う事がわざとらしく、動きが演技のように大げさで怪しい事この上ない。 それなのに潤んだようなコーネリウスの目を見ていると、まるで自分の心臓では無いかのようにノルの胸はドキドキした。
頬を染めるノルを見てコーネリウスは微笑み口を開こうとしたが、それをサミューが遮りノルの手を引く。
「行くぞ、そろそろ乗船できそうだ。 それにお前は吟遊詩人にかかずらっていられるほど暇ではないだろ」
「え?」
スタスタと歩くサミューに手を引かれながらノルが振り返ると、コーネリウスはニコニコ笑いながら手を振っている。
それに比べサミューは明らかに機嫌が悪そうだ。 怒ったような低い声と手を引く力の強さ、歩く速さにノルは驚く。 今までは少し子供っぽい理由だったとしても何に対して不満があるのか何となく分かったが、今回は全く見当がつかない。
「ちょ、ちょっと何をそんなに怒っているの? ──うわっと!」
半ば走るように付いて歩いていたノルがつまづく。 直ぐにサミューが受け止め心配そうにする素振りを見せた。
「すまなかった、別に怒ってなどいない」
だが吟遊詩人が目に入るとノルとチラに背中を向け船の方へスタスタと歩いて行く。
「サミュー? ……あ、行っちゃったわ。 チラちゃん、私たちも逸れないように追いかけましょ」
「うんっ!」
サミューは何故自分がこんなにイライラするのか訳が分からず更にイライラが募っていた。 それと同時に後ろにいるであろうノルを困らせてしまった事が気がかりで、振り返って様子を確認したい、謝りたいとも思う。
だが、ただでさえ最近は自分で自分の事が分からなくなる事があるのだ。 何をしでかすか分かったものではない。 顔を見ればまた強引に手を引いたり、憎まれ口を叩いて困らせてしまうかもしれない事が怖かった。