107話 あれから1年
──サミューが旅に出てから約1年後。
ノル、エア、チラの3人は楽しく日々を過ごしていた。 変わった事と言えばシャーマンの仕事を始めた事と、インノ村に出来た学校に通っている事だ。 それと旅先で出会った飴細工職人のエマやシダー夫妻、ラナシータやイオと文通を始めた。
そんなノルだが実は文字を読む事は出来ても書くことが上手く出来ない。 そのため文字の練習や、言葉遣い、お小遣いを超える数の計算を学びにノルは半年ほど前から学校に通い始めたのだ。
エアは幼い頃から父ラミウに教育を受けていたので、人間の子供が学校で教わる範囲の事は全て知っているが人間の学校に興味津々だったため、よくノルの中に隠れて学校に付いて来ていた。 チラは学校に付いて来たり留守番したりと様々だ。
インノ村にある学校は周辺の村からも子供が通えるように馬車での送迎付きだ。 その馬車は元々ファッツ男爵が率いる奴隷商の物を改装したものだった。
何と先生は元“花吹雪のスカーフ団”のスミスとウィリアムズが日替わりで勤めている。 スミスの連れている猿のブラウンは子供達に人気で、よくフルーツを貰って頬張っている姿が見られた。
他の元“花吹雪のスカーフ団”のその後はというと──。
ジョンソンは自分の飲食店を開くため“仔羊の蹄亭”で修行中。 ジョーンズは自由気ままな冒険者生活に戻ったそうだ。 ムーアは美の伝道師として各地を周っているらしく、たまに手紙をリッチーが運んで来る。
それからサミューはここ1年全く帰って来ていない。 正確には時々ノルに会いにスカベル村の家へ来ていたのだが、ちょうどノルが学校に行っていたり、シャーマンの仕事で出かけている時に来ていた。 またノルが家に居るときはサミューに予定があったりとすれ違っていたのだ。
サミューの家はインノ村の人達が週末に集まり少しづつ作っていたため、ゆっくりとだが確実に完成へ近づいて来ている。 ノルは毎週、週明けの学校終わりにサミューの家を眺めていた。
サミューに会えないのが寂しく無いと言えば嘘になるが、スミスから授業終わりにサミューの近況を教えてもらっている。 サミューとスミスはまめに近況報告をし合っているらしい。 その話を聞きながらノルは『私にも手紙をくれたらいいのになぁ』と思っていたが、スミスに見せてもらったサミューの手紙はまるで報告書のようだった。
そこでノルとチラとスミスは面白味がないサミューの手紙の内容に想像で脚色を加えながら話をしていた。 気付けば興味津々の生徒が集まり始め、今ではサミューの手紙発表会は本人が知らない所で生徒皆の授業終わりの楽しみとなっていた。
そして今日はいよいよノルが学校を卒業する日だ。
無事に卒業できたのは元々ノルに多少知識があった事に加え、エアが勉強を見てくれたからでもある。 エアは父ラミウがかつてそうしていたように、人間界を見て回りたいという夢があった。 そのためにはノルに少しでも早く学校を卒業してもらわなくてはならないと、よく家で予習復習を手伝ってくれていたのだ。
学校を卒業すれば毎日のようにインノ村へ来る事は無くなるため、サミューの家を見ておこうとそちらへ向かうと何やら人だかりが出来ていた。 よく学校へ差し入れを持って来てくれるおばちゃんにノルは声をかけてみる。
「こんにちは。 ねえ、この人だかりって何?」
「おやノルちゃん、遂にサミューが帰って来たんだよ! さっき家の中を案内してね、おっとそんな事より──。 みんなどいとくれ! ノルちゃんが通るよー!」
おばちゃんの大きくよく通る声を聞いて観衆はサッと道を開ける。 自身の目の前に突然道ができた事で恥ずかしくなったノルは、赤くなり俯きながらサミューがいるであろう方へ向かった。
顔を上げると、肩の辺りに届く長さの髪を結んだ長身の男性とハナの姿が見えた。 風貌は多少変わっているが、村娘に言い寄られて見せるあの困り顔は間違いなくサミューだ。 見知ったサミューの雰囲気にノルは安堵のため息を吐いた。
サミューは斜め後ろからの視線で振り返ると、ノルが見えた。 久しぶりに見たノルは背が伸びてほんの少し大人びた顔立ちになっている。 サミューは手を挙げて声をかけようと思った。
だがノルは赤くなりながらプルプルと震えており、あろう事かこちらを見てため息をついている。
それを見た瞬間、自分でも驚くくらいの勢いで村娘を振り切りノルの方へ駆け寄った。 そしてノルの目の前に立った頃には顔から火が出るほど熱く、ノル以上に赤くなっていた。
『俺は何をここまで焦っている? 若い村娘に言い寄られている姿をノルに見られただけだろう!?』
何が何だかわからないままノルの手を掴むと、居た堪れなさと村娘の声から逃げるように新しい自宅へ駆け込んだ。 やっとの思いで扉を後ろ手で閉めると肩で息をしながら、ごちゃごちゃな頭の中を整理しようとした。 だが外から微かに聞こえる村娘の黄色い悲鳴と、こちらを見上げるノルの視線がサミューの思考を邪魔する。
ノルは真っ赤な顔で苦しそうにするサミューを見て心配になっていた。
「ねぇサミュー大丈夫?」
「も、も、問題無い! 今はそっとしておいてくれ」
ノルはサミューの言葉を聞いてある日ジョンソンに言われた『例え調子が悪くても“問題無い”って言われて終わりですから』という言葉を思い出す。
「本当に大丈夫なの?」
ノルがそう言いながらサミューのおでこに手を当てると、サミューはビクッとしながら「汗臭いだろうから、あまり近寄らないでくれ……」と呟き、扉にもたれたままズルズルとしゃがみ込む。
「汗臭い? そんな事ないわよ。 だけど確かに汗ばんでいるみたいだし、サミューのおでこはやっぱり熱いわ。 熱があるのよ、休んだ方がいいと思う」
ノルがそう言葉をかけてもサミューは蹲ったままだ。
「ほら、ちゃんと寝ないと治らないわよ。 えーっと寝室は……」
やはり蹲ったままのサミューを見て少し心配になってたノルは、屈みながらサミューの肩をポンポンと叩いた。
「ねぇサミュー、大丈夫なの? サミューったら、おーいサミュー?」
サミューは蹲ったままビクッとすると、擦れる声で呟く。
「あまり話しかけないでくれ、お前の声が頭の中でぐるぐるして胸が苦しいんだ……。 ああ、やはり熱があったのか。 ここまで調子がおかしく前に気付けないとは、体調管理がなってないな……」
心配そうに見つめるノルをよそにサミューはふらりと立ち上がりよろよろと寝室へ向かうと、付いて来ようとするノルを追い出すように寝室の扉をピシャリと閉めた。
「移るものだといけないからお前はもう帰れ」
「それなら尚更看病が必要じゃない、私なら大丈夫。 笛の力があるもの」
「いや、明日1日ゆっくりすれば良くなるはずだ。 そしたらそちらへ行く、頼むから今日は帰ってくれ」
「分かったわ、帰るけど何かあったら誰かに頼る事を忘れてはダメよ、調子が悪い時くらい誰かに頼ってもバチはあたらないわ。 絶対よ! お願いだからね。 それじゃあ、おやすみ」
「ああそうする、おやすみ」