106話 ある人形職人の告白2
それから1年ほどは仕事に追われる日々で事件の事もダグラスの記憶から薄れていた。
ちょうどその頃だ、あの思い出すのも恐ろしいような依頼主が現れたのは。
その日もダグラスは工房で仕事をしていた。 扉が開く音で目線を上げると、マントを着てフードを目深に被った如何にも怪しい人物が工房へ入って来た。 その人物はどこか懐かしそうに工房をじっくり見て回り、最後にダグラスを見つめる。 フードを目深に被っているが、ダグラスは自分が見つめられているとハッキリ分かった。
「お、お客様はどの様なご用件でいらしたのですか?」
「メンテナンスをお願いね」
そう言いながらその人物はツカツカとダグラスの前まで歩いて来ると、スッと作業台の端に腰掛けた。
予想外の行動にダグラスが面食らっていると、まるでその反応を楽しむかのように「クックック」と笑う。
「メンテナンス?」
笑われた事で少し気を悪くしたダグラスは眉を顰めて見つめ返した。 その人物は荷物を持っているわけでもなく手ぶらだ。 馬鹿にされているのだろうか?
ダグラスは自分の腕に自信を持っているため、確かに自分が作った人形はもちろん他の職人の作品までメンテナンスや修理を請け負っている。 だがそういった仕事の依頼はほとんどが郵送で届く。 いくら腕自慢のダグラスでも現物が無ければメンテナンスをする事など出来るはずがない。
すると何がおかしいのかその人物は再び「クックック」と笑いながらフードを下ろした。 それを見た瞬間、ダグラスはあまりの衝撃に椅子に座っていたことも忘れて後退りをし、床に尻餅をつく。 椅子が作業台の足に当たり物凄い音を立てたが、ダグラスにはそんな事を気にしている余裕など無かった。
フードの下から以前ダグラスが作ったあの最高傑作の人形の顔が現れたのだ。
とはいえその人形を作ったダグラスだから人形だと分かるのであって、初めて見た人は人間以外の何者でも無いと思うだろう。 完成させたときは木目など人形らしい要素も少なからず残っていたはずだが、目の前に座るそれには全く無い。 正に人間そのものだ。
事件の話を聞いたときに感じた恐怖と不安と不気味さの正体は、この人形だと嫌でも突き付けられた。 自分の目の前にいる存在は異様で言い表し様の無い不気味さの塊だ。
正直、あまりの恐怖で逃げ出してしまいたいくらいなのに、人はあまりの衝撃に直面すると声が出ず体も動かなくなる。 まさにダグラスもそんな状態だった。 腰が抜け、膝に力を入れることが出来ず尻餅をついた間の抜けた体制のまま口をパクパクさせる。
人形はダグラスの反応を楽しむように「クックック」と笑いながら品良く口元に手を当てる。 手の端から僅かに口角が上がった様子が見えた。
ダグラスは依然として腰が抜けたままだが、どうにか唾を飲み込むとやっと声が出せた。 とは言え震える指先で人形を指さし、しわがれ掠れた声が口を突いて出るだけだ。
「え、え、え、えっ!? ええーっ!! う、嘘!? なんで? に、に、人形が動いてる!?」
まるで引き付けを起こしたようなダグラスに人形はスッと立ち上がると歩み寄り、ダグラスを助け起こすでもなくただ手を握った。
「どう? どこに触れても温かくて柔らかいの。 まるで生きているみたいでしょ?」
確かに人形の手は柔らかい女性の手そのものだ。 それなのに話す声は無機質で抑揚があまり無い。
ダグラスはあまりの不気味さに全身が粟立ち、毛穴という毛穴から冷や汗が吹き出ていたが、体に思うように力が入らず握られた手をどうする事も出来ない。
「もっと触ってみる?」
人形は首を傾げてそう言うと、ダグラスの心情を知ってか知らずかまるで感動を分かち合うかのようにダグラスの手を自身の頬に触れさせ、唇、顎、首筋を通りローブの袂に近づけ、片手で金具を外そうとする。
それまでダグラスはされるがままだったが、ハッとして手を引きながらどうにか声を絞り出した。
「こ、これではメンテナンスができんぞ」
「……それもそうね」
人形はつまらなそうにそう呟き作業台に横になると、次の瞬間には元の木で出来た人形になっていた。 それからの事はあまり覚えていない。
どうにかメンテナンスを終え人形にローブをかけると「ありがとう」と言いながら起き上がり、帰り際に多すぎる代金を置いて行った事を断片的に覚えているくらいだ。
自身が作った人形を使ったタチの悪い悪戯か、はたまた魔道具として改造されたのか、他に自分が思い浮かばないような使い道があるのか──。
色々な考えが頭を巡ったが敢えて考えないようにした。 やっと解放されたという安堵と同時に目の前にある多額の報酬は口止め料だと確信したからだ。 それ以前に人形について考える事自体を心が拒否する。
それから1年に1度その人形はメンテナンスにダグラスの工房を訪れるようになったそうだ。
再びメンテナンスに訪れたその人形に名前を尋ねた事があったが、偽名だとしてもかなり悪趣味な名を答えたと言う。
──ソルキトと。
それはダグラスが幼い頃に親から聞かされたお伽話に出て来る魔王と同じ名だ。 もっとも魔王と同一人物だとしても納得できるほどの不気味さがある。
それとソルキトはダグラスの事を気に入っているのか、聞いてもいないのにこんな事を言ったらしい。
──自分は人形である事を気に入っているのだと。
老いて醜くなる事は無く、男でも女でも無い生物を超えた存在。 メンテナンスさえ怠らなければいつまでも動く事が出来、そして何より美しい。
「俺は今まで妻の治療費のためにあの恐ろしい仕事をどうにか気力だけで受けていた。 だが妻が亡くなった今はもう絶対に受けたく無い。 断ったら俺は殺されるのだろうか?」
ダグラスはそう言うと話を終えたが、しばらく誰も感想はおろか何も言えなかった。
怪談という形で始めたが、ただダグラスはこの話を誰かに聞いて欲しかったのだ。