105話 ある人形職人の告白
ノルとエアとチラはハイストという村のすぐ近くにある、人形職人の家に来ていた。 森を背にポツンと佇む平屋は街道沿いの少し奥まった場所にあり、その立地も相まって不思議な雰囲気を醸し出している。
人形職人のダグラスは先日亡くなった最愛の妻の葬儀のためにシャーマンのノルを呼んだ。 ダグラスから提示された金額が良かったため、ノルがホクホクしながら仕事へ向かったのはここだけの秘密だ。
ノルは初め人形職人の家だと聞いていたため、沢山の人形に囲まれた不気味な場所を想像していたがそうではなかった。 どうやら住居兼工房の様で工具と材木で溢れている。
人形も見本として何体か置いてあるだけでそれ程の数は無い。
考えてみればダグラスは人形を作って売る人形職人なのであって、人形コレクターの家では無いのだから当然だ。 ノルはそんな事を考えていたが、頭を振りシャーマンとしての仕事に集中した。
香草と香木を混ぜた香を焚き呪いを唱え、ダグラスの妻が無事にあの世へ行ける様に祈る。 そうする事でこの世への未練を薄くし、心安らかにあの世へ旅立つことが出来るのだ。 とは言え死者の霊は基本的に自分の意思であの世へ旅立つ。
本当は葬儀はここまでなのだが、ダグラスがノルにたんまりと料金を渡した事が功を奏した。 気をよくしたノルがオルゴールの音に合わせて踊った事で妻の霊と話す事ができたのだ。
「ありがとう、本当にありがとう。 あんなに楽しそうな妻と話せたのは一体いつぶりだろうか……。 暗くなってきたし、よかったら今夜は俺んとこに泊まってかないか? 今から帰ってもきっと夜明けだろ?」
ダグラスは話し相手に飢えていたからなのか、そんなお誘いを受けたため、3人は泊めてもらう事となった。 夕食を食べ終わり、まだ室内に残る蒸し暑さで皆がぐったりしていた時に「少しでも涼しくなれば」とダグラスがある話を語り始める。
「俺の妻は病気がちでな──」
ダグラスは体の弱い妻の様子に気を遣いながら仕事をこなす日々だったらしい。 妻の看病のため仕事の量を減らしていた訳だが何故、食うに困らなかったのか?
それは5年程前に舞い込んだある人形制作の依頼が理由だった。 病が悪化して妻が寝たきりになり、嵩んでいった高額な治療費に頭を抱えていたのは丁度その頃だ。
そんなダグラスの心情を知ってか知らずか分からないが、普通の人形制作の10倍の報酬を提示された。 ダグラスはこの国1いや、世界1と言っても過言ではない人形制作の腕がある。 そのため報酬も決して安いものでは無い。
更に奇妙な事にどんな人形を作って欲しいのか、資料はおろか依頼に来た老婆は何も希望を言わなかった。
──何かがおかしい。
そうは思っても妻の治療費欲しさにその依頼に一も二もなく頷いた。 その瞬間、頭の中に今まで自分が作った事が無いくらい美しく完璧な女性の人形の姿が思い浮かんだのだ。
後から思い返せばそれもおかしな事だったのだが、そのときは頭の中の理想の人形をいっときでも早く目の前に、自分の手で作り出したいという思いに駆られた。 職人の悪い性だったのだろう。
報酬の半分を前金として受け取り、1年ほどかけて人形を作り上げた。 その1年間は寝食を忘れ、小さな失敗を繰り返しつつも新たな技法を発見できたりと、まるで職人魂に火をつけられたように楽しく感じる日々を夢見心地で過ごした。
それこそ妻の治療費目当てで受けた依頼だったはずが、妻の看病を面倒くさく感じて最低限しかやらなくなるほどに……。
そうして完成した人形は頭の中に思い浮かんだ人形の何倍も美しく完成度が高かった。 間違い無くダグラスの最高傑作だ。 張りのある四肢は生身の人間の様な肉感を感じさせ、木で出来た人形だと言われなければ気付かないほどの完成度だった。
とりわけ素晴らしいのは顔だ。 上向きの長いまつ毛が影を落とす柔らかな頬は、指で押すと控えめに押し返して来る感触が想像できるほどで、やはり生身の人間の様だ。
だがあまりに端正な顔立ちで作り物だと言われても納得できるほど美しい。
綺麗な形の爪が付いた白魚のような指を始め体中の全ての関節が人間と同じように動き、ガラス製の瞳が収まる切長の目は薄く削った木を貼り合わせて作ったため、瞬きをする事も出来る。
人形を受け取りに来た老婆はいたく感動し、自分より大きなその人形をとても大切そうに抱き抱えて工房を後にした。
それから数日経った頃にはダグラスの夢見心地な気分は少しずつ薄らいでいたが、そんな気分を途端に恐怖へと変える事件が起きる。
近くの湖で人形を受け取りに来た老婆の遺体が発見されたというではないか。 近くには身元を証明するものはおろか、ダグラスが納品した人形も無かったという。
その事を知らせてくれた人は、名高いダグラスが作った人形だから誰かが持っていったのだろうと話していた。
だがダグラスは恐怖、不安、不気味さをごちゃ混ぜにした渦に引き摺り込まれていくような感覚に襲われ、暫くは妻の看病に明け暮れ家に引きこもる事となる。
そうは言っても根っからの職人であるダグラスが、妻の看病だけをして引きこもる生活に満足できるはずが無く、暫くすると仕事を再開させ人形制作と修理、妻の看病に追われる日々を送りはじめた。 だがこのときのダグラスは自身が更なる恐怖に襲われるとは想像もしていなかった。