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8話 遠吠え

「朝星高校《あさぼしこうこう》」


 僕のいた学校の名前が出てくるとは思わなかった。


「そこ、僕の高校です。一昨日までいました」


 陸上自衛隊、三等陸曹《さんとうりくそう》の松本が僕を見る。


「本当か? 運が良いな。学校の状況を知りたい。どうなってる?」


「感染者であふれてますよ。全校生徒四百人が体育館に集まって……終わりです」


「そうか…………残念だったな。君は国花しおん。朝星高校一年。彼女について何か知っていないか?」


「ははははっ!」


 松本が怪訝《けげん》な顔をする。


「何か可笑《おか》しいか?」


「いや、出来すぎでしょ」


「知ってるのか?」


「知ってるも何も、一緒に学校から逃げましたよ」


 松本の目つきが変わった。


「今どこにいる」


「正確には分かりませんがまだあの街にいますよ」


「どういう意味だ」


 僕は魚住から渡されたカードキーを思い出す。


「商店街の裏に個室のバーがあるんです」


「カラオケ?」


「僕たち、途中で二手に分かれたんですよ。僕、あぁ名乗ってなかった。ダイチと言います。僕と魚住っていう女子生徒。それからリョウタと国花さん。魚住が隠れ家として用意してくれた場所にお互い向かって落ち合う事になってます」


「そのリョウタという男と一緒なのか」


「無事なら」


 あいつなら簡単には死なない。


「場所は分かるか?私も同行しよう」


「地元ですよ?」


「分かった。待ってろ」


 松本はスマートフォンを操作した。


「捜索《そうさく》地点を変更する。朝星高校への進入は一旦《いったん》保留。対象者と行動を共にしていた生徒に接触した」


 少し間を置く。


「商店街方面へ向かう」


 誰かから返答があったのか、松本が「通信終わる」と呟《つぶや》いてスマホをしまった。


「じゃあ移動するぞ」


「今から?」


「今じゃなきゃいつ行く」


「いや、それはそうなんですけど」


 僕は店のドアを見る。


 その向こう。


 さっきまで人間を焼いていた連中がいる。


「また暴徒《ぼうと》……っていうか、町の連中がいたらどうするんです?」


「あいつらか」


「猟銃《りょうじゅう》持ってましたよ」


「ああ」


 松本はパーカーの裾《すそ》をめくった。


 腰。


 黒いホルスターが下がっている。


 中には拳銃《けんじゅう》。


「これがある」


「さすが自衛隊。頼もしいですね」


「……嫌味か?」


「正義のヒーローですよ。国民が困ってたら颯爽《さっそう》と現れて、全員助けてくれる」


「やっぱり嫌味だな」


 松本は小さく笑い、店のドアを開けた。


「行くぞ」


 僕もその後を追って、外へ出た。


 国花しおん。


 政治家がわざわざ自衛隊を使って探すほどの人間。


 教室の隅で、ずっと肩を震わせていたあの子が。


「……そんな風には見えなかったけどな」


◇◇◇


二日目――


 自転車を止めて、ポケットを探る。


 タバコの箱。


 振っても音がしない。


 指を突っ込んでも、何も引っかからなかった。


「……空かよ」


 箱を握り潰《つぶ》して、道端へ放る。


「リョウタさん。ポイ捨てはよくないです」


「この町のどこにゴミ収集車が走ってんだよ」


 俺はペダルに足をかけ直した。


 路肩《ろかた》には乗り捨てられた車、道路には割れたガラスや金属片まで転がっている。


 何度目か分からない舌打ちをした。


「国花、ちゃんと掴《つか》まってろよ」


「掴まってます」


「掴まり方が弱えよ。落ちても知らねえぞ」


 背中側で少し間があった。


 それから腰に腕が回る。


「これでいいですか」


「おう」


「なんか嫌です」


「じゃあ落ちろ」


「もっと嫌です」


「なら我慢しろ」


 面倒くさい奴だ。


 ダイチや魚住とは違う。


 国花の事はまだよく分からない。


 風が吹くたび、後ろから長い黒髪が流れてきて、俺の頬《ほお》や鼻先をくすぐる。


「へっくし! ……おっぽろぽい!」


「おっぽろ、ぽい……?」


「くしゃみだ」


「あ、ごめんなさい」


 国花が慌《あわ》てて片手で髪を押さえた。


「別にいい。手を離した方が危ねえ」


「わかりました。我慢してくださいね」


「わざとこっちに髪の毛を飛ばすな」


 自転車が道路の小さな段差を踏んだ。


 ガタン。


「きゃっ」


 国花の腕に力が入り、背中へ身体がぶつかった。


「ちゃんと掴まってろって」


「リョウタさんの運転が荒いんです」


「道が悪ぃんだよ」


 学校から一緒に逃げて、じっちゃんの家にも一晩泊まった。


 それでも、こいつについて俺が知ってることなんてほとんどない。


 長い黒髪に眠そうな目じり。


 知ってるのは名前くらいだ。


「なあ」


「はい?」


「住所どっち?」


「住所?」


「お前ん家だよ。送るんだから場所分かんねえと無理だろ」


「ああ……」


 後ろから返ってきた声が、少し小さくなった。


「行かなくていいです」


「あ?」


「私の家はいいです」


「よくねえだろ」


「大丈夫です」


「何が?」


「誰もいないから」


 俺はペダルを漕《こ》ぐ足を少し緩める。


「親は?」


「……お父さんも、お母さんも家にはいないんです」


「一人暮らしってことか?」


「はい」


「何でまた?」


 後ろが静かになった。


「私のお父さん、政治家なんです」


「へえ」


「でも、お父さんには奥さんと子供がいます」


「ん?」


「私のお母さんは愛人です」


「お、おう」


 ようやく意味が分かった。


「そういうことか」


「反応軽くないですか?」


「重く『うおぉ!』とか言った方がいいのか?」


「別にいいですけど」


「で、母ちゃんは?」


「中学までは一緒に住んでました。私が高校に入った時に出ていきましたけど」


「どこ行ったんだ?」


「知りません」


「じゃあ今は一人か」


「はい。生活費はお父さんから振り込まれてます」


「そっか」


 俺はまたペダルを踏んだ。


 家に誰もいないなら、行っても仕方ない。


 でも、そこで一つ引っかかった。


「じゃあなんで、学校から脱出する話に乗ったんだ? ダイチが窓から降りるとか言い出した時だよ」


「ああ……」


「家族探しに行くわけでもねえなら、教室に残るって手もあっただろ」


 返事がない。


「何かあったのか?」


「……知ってたんです。あの時、大勢で固まって行動するのは危ないって」


「何で?」


「私のスマホ、あの日はまだ回線が繋がってたんです。お父さんの秘書の人から連絡が来ました。感染がかなり広がってるから、人が集まる場所には近づくなって」


「それで体育館にいなかったのか」


「はい。魚住さんを誘ってお手洗いに行って、クラス全員と離れた後、二人で時間を潰してました」


「最初から体育館に行く気なかったんだな」


「はい」


「その後、俺らと会った」


「はい。……私の回線が完全に死んだのは、あの教室です。バリケードを作ってる途中でした」


 俺はペダルを踏む足を止めた。


 加藤が全員に聞いた。連絡手段は誰かあるか、と。


 ――私たちも全然だめ。


 こいつは、そう答えた。


「あの時はまだ繋がってたのか」


「……少しだけ」


 二人は体育館への避難に遅れたんじゃない。


 最初から、避けてたのか。


「だったら最初から言えばよかったじゃねえか」


「……言えませんでした」


「なんで?」


 しばらく返事がなかった。


「私だけ、連絡が取れてたからです」


「それが何だよ」


「みんなのスマホが繋がらないのに、私だけ繋がってるんですよ」


「お、おう」


 国花の声が少しずつ小さくなる。


「その理由を私は口にしたくなかったんです」


「そんなに嫌だったのか?」


「嫌でした」


 即答だった。


「学校で誰にも知られたくなかったんです。お父さんが政治家で、お母さんが愛人で、お金だけもらって一人で暮らしてるなんて……普通じゃないでしょ?」


 腰に回された腕が、ぎゅっと締まる。


「怖くて、魚住さん一人だけ連れて逃げました」


「……」


「私、弱いですよね」


「弱い?」


「自分が変な目で見られるのが嫌だっただけで……クラスの皆を助けられたかもしれないのに」


「でも魚住は助けたんだろ?」


「もっと他の人にも言えたかもしれない」


「あぁ、最低だなぁ」


 背中の向こうで、息を呑《の》む気配がした。


「……やっぱりそう思いますよね」


「でも別にいいんじゃねえか。もうやっちまったんだろ?」


「そんな簡単に……」


「じゃあ次から動いて助けりゃいい」


「何を言ってるんですか」


「百人助けろって言ってんだよ。そうすりゃくだらない悩みも気が晴れんだろ」


「ひゃくにん??」


「足んねえなら千人でもいいぞ」


「増やせばいいわけじゃないです!」


「じゃあ何人ならいいんだよ!」


「そういう問題じゃないんです!」


「面倒くせえな!」


 背中から。


 小さく笑う声が聞こえた。


「ふふっ」


「何笑ってんだ」


「リョウタさんって、馬鹿ですね」


「うるせえ」


 国花がくすくす笑うたび、背中越しに身体が小さく揺れた。


 国花の笑い声がようやく収まった頃。


 俺はブレーキを握った。


「リョウタさん?」


「静かにしろ」


 交差点の角に、一軒の店があった。


 シャッターが腰の高さで止まっている。


 色あせた看板には、肩を寄せ合う犬と猫のイラスト。


 『ペットショップ わんにゃん堂』


 シャッターの隙間から、音が漏れていた。


 キュッ……キャン。


 甲高《かんだか》いくせに途切れ途切れで、ひどく弱い。


「……生きてる子がいるんですね」


「いるな」


 俺はペダルに足を戻した。


「行くぞ」


「え」


「犬が吠えりゃ奴らが寄ってくる。関わってる暇ねえだろ」


 返事の代わりに、背中から重さが消えた。


 振り返ると、国花はもう自転車を降りていた。


「おい」


「少しだけです」


「話聞いてたか?」


「聞いてました」


 国花はシャッターの前にしゃがみ込んだ。


 長い黒髪の先が地面につきそうになっているのも気にしていない。


「百人、助けるんですよね」


 さっき自分で言ったばかりの台詞《せりふ》が、一番間の悪い形で返ってきた。


「……犬は人じゃねえだろ」


「じゃあカウントしなくていいです。だから手伝ってください」


 どういう理屈だ。


 俺は頭をがしがし掻《か》いて、自転車のスタンドを蹴《け》り下ろした。


 シャッターの下に指をかけ、一気に持ち上げる。


 ガラガラガラ、と派手な音が通りに響いた。


「リョウタさん、音」


「だから言ったろ、やめとけって」


 シャッターの奥のガラス扉は、鍵がかかっていなかった。


 押し開けた途端、むわっとした空気が流れ出てくる。


 糞《ふん》と小便と、餌《えさ》の粉っぽい匂い。


 国花が口元を押さえた。


 それでも一歩も下がらなかった。


 店の中は薄暗かった。


 壁一面にガラスのショーケースが並び、子犬が一匹ずつ入っている。


 奥には金属のケージが二段に積まれ、猫がうずくまっていた。


 どの水入れも空っぽで、餌皿には粉すら残っていない。


 俺たちに気づいた子犬が、ガラスを前足でかりかりと引っかいた。


 声はもう、ほとんど出ていない。


「開けるぞ」


 ショーケースの扉に手をかける。


 開かない。


 小さな鍵穴がついていた。


「鍵かよ」


「たぶん、この辺に……」


 国花がレジの奥へ回り込み、壁のフックから鍵の束を外して戻ってきた。


 一本一本に、マジックで番号が書いてある。


「なんで分かんだよ」


「お店の人って、毎日使う鍵はレジの近くにかけておくものなので」


 妙に自信のある声だった。


 二人で手分けして、端から開けていく。


 子犬たちはケースから転がり出ると、よたよたと床を歩き、ぺたりと座り込んだ。


 猫は開けても、すぐには出てこない。


 ケージの奥からこっちを睨《にら》み、しばらくしてから音もなく床へ降りた。


 一番奥のケースの一匹だけは、扉を開けても動かなかった。


 国花の手が、そこで止まる。


「……」


「国花」


「分かってます」


 国花は目を閉じて手を合わせて、それから次の鍵を回した。


 全部開け終わると、国花は棚からドッグフードとキャットフードの大袋を引きずり下ろした。


 レジにあったハサミで、次々と封を切っていく。


 中身を床の何か所かに分けて、ざあっと山にした。


「わざわざ分けんのか」


「一か所だと、強い子が独り占めしちゃうので」


 それからペット用の水のボトルを片《かた》っ端《ぱし》から開けて、空っぽの水入れやプラスチックのトレイに注いでいった。


 子犬たちが一斉に顔を突っ込む。


 ぴちゃぴちゃという音が、店中に広がった。


 国花はそれを見届けると、封を切った大袋をさらにいくつも床に下ろし、口を開けたまま横倒しに並べた。


「そんなに出してどうすんだよ。食いきれねえだろ」


「今日の分じゃないです。明日も、明後日も。お腹が空いたら、いつでも戻ってきて食べられるように」


「外に逃がすのか、ここで飼うのか、どっちだよ」


「どっちでもいいんです」


 国花は立ち上がって、手についた粉を払った。


「この子たちが決めればいいので」


 国花は足元に来ていた柴犬をなでる。


 子犬じゃない。身体はもう大人の大きさで、首に値札だけがぶら下がっている。


 赤いペンで『値下げしました!』。


「……お前、売れ残りかよ」


 柴犬は俺を見上げて、ふん、と鼻を鳴らした。


「なんだその顔」


「リョウタさんに似てますね」


「似てねえ」


 その時。


 柴犬が急に、店の外へ向かって低く唸《うな》った。


 通りの向こう。


 電柱の陰から、人影が三、四体。


 ゆらり、と。


 こっちへ顔を向けていた。


「国花、早く乗れ」


俺は自転車にまたがって国花に手を伸ばす。


「でも」


「いいから!」


 次の瞬間、柴犬が弾《はじ》かれたように通りへ飛び出した。


 吠えながら人影の脇をすり抜け、反対方向へ走っていく。


 何匹かの犬が、その後を追いかけた。


 人影は犬たちの声の方へ首を振り――そっちへよろよろと歩き出した。


 俺と国花は顔を見合わせた。


「助けてもらいましたね」


「ヒヤヒヤしたぜ」


 俺は自転車を再度漕ぎ始めた。


 国花は柴犬が消えた方をじっと見続けている。


「じゃあね、元気でね」


 答えるように、遠くで遠吠《とおぼ》えが上がった。

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ここまで読んでいただきありがとうございます!リアクションめっちゃうれしいです!!

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