21.あなたを蝕むもの
ラウノアは握っている手に意識を向け、同時に己の内を流れる魔力を意識する。
この鍛錬はすでにギルヴァと何度も行っている。未熟な自分ではまだ触れているとき限定であるけれど、ギルヴァの教えで少しずつ、魔力を感知するための『目を開く』という感覚が身についている。当初はギルヴァに強制的に感覚を叩き起こされ気分の悪さを感じたものだが、だんだんと慣れてきている。
己の魔力ならすぐに感知できる。そして、触れているシャルベルの魔力も感知する。
両方を感知し、ラウノアは己の魔力を触れ合っている手を通して少しずつシャルベルへと流し込む。それに気づいていないシャルベルの様子をラウノアは横目に確認した。
違和感を与えないように、魔力を流し込む間は世間話に興じることにする。
「殿下がそろそろ婚約者をお決めになるのではないかというお話がでているそうですが……」
「その話なら俺の耳にも入っている。王家はいろいろとあって、早く、多く、血筋を残すことを強く求められるからな。殿下がどう思っておられるかまでは分からないが、未婚の令嬢たちは意識しているんだろう」
王家はその立場上、命を狙われることも少なくない。赤子であっても、成長しても、それは変わらない。
事故死や不審死、歴史では毒殺や暗殺なども起こっている。
血を残すということをどの家よりも求められ、同時にいつ消えるか分からない。
そういったことが起こらないために近衛隊があり騎士団がある。王家を守るためにありとあらゆる力が集結され、影はすぐに排除される。
狙う者より守る者が多く、それが逆転すればそのときは王家の血が絶える危機である。
「陛下はご兄弟がおられない上、すでに第一王子殿下を亡くされている。妃殿下と同じで、殿下の婚姻問題には早く手を打ちたいんだろう」
少しだけ沈むシャルベルの声音にラウノアも瞼を震わせた。
王家の血が入っている貴族は多少なりと存在する。ギ―ヴァント公爵家も過去にその血が入っている。
しかし、そういった事態がそもそもに少ない。
王族はどうにも、薄氷の上を歩んでいるようだ。
歴史では、当時の国王が妻を亡くし、幼かった息子も亡くし、成長したもう一人の息子は生まれたばかりの我が子を亡くした。なんてこともあったそうだ。
あまりの不幸の連続に、王家は呪われている、などという話まで出たこともあったらしい。
(命を狙われる危険が多かったのは、他国との戦がよく起こっていた時代。近代はそういった不幸は少なくなっているけれど)
もっとも最近の王家の悲劇は、ライネル王子の兄であった第一王子殿下が亡くなったこと。まだ幼かった王子が階段から転落、頭を打ってしまった。
歴史上のことや息子のこともあり、国王夫妻は第二王子の婚姻問題に安堵が欲しい……が、シャルベルはひとつため息をついた。
「なにせ、ライネル殿下だからな。どこまで考えておられるのか……」
「……候補者はいらっしゃるのですよね?」
「ああ。ただ……殿下は寄り道をなさる方だから。いつ決めるつもりなのか……」
寄り道とは?
首を傾げるラウノアにシャルベルは少し懐かしそうに目を細めた。
「殿下は学生の頃から城や学生寮を抜け出して城下のあちこちに赴いていた。俺も何度か連行されたことがあるんだが……。そういった寄り道をする方だから陛下も頭を悩ませておられるだろうと思ってな。殿下も己の立場と責務を理解しておられるから、答えは出すと思うんだが」
「もう少し自由な寄り道をなさるかもしれないのでいつになるかは分からない、ということですね」
「そういうことだ。……殿下の寄り道を止められなかった俺がどうと言えるものではないんだ。俺は……寄り道を教えてくれた殿下には、感謝しているから」
感謝。そう言ったシャルベルの目が何かを見つめて口許が柔らかくなる。
シャルベルが話さぬ限り過去は問わない、聞かない。その姿勢を貫いてきたラウノアはこぼれた言葉に思わずシャルベルを見た。
ラウノアの視線に気づいたシャルベルは一度視線を逸らし、頬を掻いてから視線を戻す。
「幼い頃は、父の跡を継ぎ国と領地のために尽くすことが俺の道だと思っていた。だが、殿下が寄り道を教えてくれて、騎士になるという道が見えたんだ。両親にそれを伝えたときには驚かれて、逆に、道を狭めてしまってすまないと謝られてしまったんだが……」
「……家督を継ぐ前にできる人生の寄り道ですね。それは無駄ではなく、そこに至る努力と至ってからの経験は、より人生を豊かに、己の道を広げ、増やすものだと」
その道をシャルベルに提示してくれたことに感謝を。
そして同時に少しだけ解った。ギ―ヴァント公爵夫人がシャルベルに少しだけ控えめに接する理由も、公爵夫妻が己を戒めるように自制を利かせる理由も。
親子でもうまくいかない。シャルベルと公爵夫妻も。ラウノアと実父トルクも。
「ラウノアは何か、寄り道の経験はあるだろうか?」
「……いえ。幼い頃は母や父と町に出るくらいで、母が亡くなってからは……そういったこともなくなってしまいました」
「そうだったのか……。すまない」
「いえ。シャルベル様と出かけた演劇場や露店は初めてで、一人であればしなかった寄り道かもしれません」
「それは光栄だ」
少しだけ申し訳なさそうにしたシャルベルに、ラウノアは気にさせないように微笑んだ。そんな笑みと出てきた言葉にシャルベルも少し口許を緩ませる。
思っていた人生とは違う道を歩む。
シャルベルにとってそれは己の意思で決定したもの。ラウノアにとってそれは、己の力の及ばぬところでなされたもの。
(寄り道……というよりも、歪に曲がった一本道ね)
生まれたときから、進まなければいけない道はずっと一本。そこにどういった道が合流しても、その道を外れることはない。
だからシャルベルとの婚約も、分かれた道ではなく最初からある道に合流した一本の細い道にすぎない。
瞼が震えて、ラウノアは握っている手に意識を集中させた。自分の手からシャルベルに流れる魔力。
シャルベルの身体を巡ったそれを自分のもとへ引き戻す。戻ってくる魔力に若干の違和感を覚えながらも、欠片もなく魔力を回収したラウノアは小さく息を吐いた。
(これで、大丈夫)
シャルベルが少し頭痛を覚えているかのように額に手をあてているが、すぐに収まったように手を離す。それを見てラウノアもほっとした。
このことに気づいて、ギルヴァに相談して、急いで対処法を特訓した。
ギルヴァは「俺が行こうか?」と言ってくれたけれどそれを断り、特訓した対処法は上手くいった。
(だけど、一体誰がシャルベル様に呪いをかけたのかしら……。ここ最近お顔の色が優れなかったのもそのせいだろうけど)
シャルベルと触れて感じた違和感の正体は、シャルベルにかかった呪いが原因だ。
呪いとは、体内に自身のものではない魔力が流れ込むことで起こる身体の不調。
他者の魔力が体内を流れれば、己のものではない魔力に対する拒絶反応を起こしたり、魔力に対する免疫がなければ最悪死に至る。だからこそ呪いと呼ばれる。
だからラウノアも、己の魔力をシャルベルの身体に残さない。巣食っていた魔力を、それより強い自分の魔力に捕食させ、そして回収する。
魔力を感知し、己の意思で操作する。ギルヴァとの特訓がなければできなかったことだ。
しかし残念なことに、こういったことができる者は、ウィンドル国にはいない。
――魔力についてさえ、誰も知らない。
――魔力を使って魔法が使えることも、誰も知らない。
全てを知るのはただ一人、ギルヴァだけ。
そんな友がいるから、ラウノアは他の誰も知らないことを知っている。
「シャルベル様」
「なんだろうか?」
「お忙しいのか、お顔の色が優れぬようにお見受けいたします。……何か変事でも?」
そっと問うと、シャルベルはラウノアを見て僅か目を瞠った。そんな婚約者をラウノアはじっと見つめる。
ラウノアが密かに呪いを解いたことでシャルベルの顔色は少し良くなっているように見られる。しかしまだ少し悪いことにしてラウノアはシャルベルを見る。
「……母にも言われたが、それほど悪いか? 自分では普段と変わりないんだが……」
驚いたような、呆然としたような声音にラウノアは頷きを返した。
呪いをかけられている当人が気づかぬ類のもの――いや。意識して見なければ、シャルベルが言うように普段と同じ程度の顔色なのだろう。
(公爵夫人が気づいたのはきっと、それだけシャルベル様のご様子を気にされていたから。母君でもあるし、シャルベル様とのご関係もあるのかもしれない)
自分が気づいたのはヴァフォルの訴えと、触れたことで感じた僅かな魔力の違和感があったから。
ギルヴァに魔力感知の特訓をつけてもらっていなければ感じることもなかったかもしれない。そう思うと、ギルヴァからの特訓の提案があってよかったと思える。
「古竜のときは忙しくはあったが……。――ああ。少し社交の場に出る機会が多かったからかもしれない。いや……すでに随分前のことなんだが」
「社交……。お忙しい中で、ですか?」
「あのときは、仕事絡みで少し用件があって」
社交の場は人も多く、人の思惑が絡み合い、誰かが身の内の少ない魔力を無意識に動かして呪いをかけてしまうことがあってもおかしいとは言えない。知らないからこそ起こる、不運な事故だ。
可能性を考えつつ、ラウノアはふとある人物がよぎった。
「……シャルベル様。もしや、バークバロウ侯爵様のお屋敷でのパーティーにご参加されましたか?」
頭をよぎった先程の人物。
その名前にシャルベルは僅か目を瞠った。
「ああ。だが、なぜ?」
「先程の夫人の様子が少し……。わたしはご一緒できませんでしたので、もしやそれでかと……」
「いや。あれは俺に――……いや。なんでもない」
何かを言いかけたシャルベルが口を閉ざし、ラウノアから視線を外す。
それを見て、ラウノアも問うのをやめた。
(わたしはまだ、人の魔力は触れないと感知できない。夫人がどれほどの魔力を持っているのか分からないけれど、ヴァフォルに選ばれたシャルベル様よりも強いのかしら……)
もしそうであったとして、これを無意識に行っているのだとしたら少々問題だ。
自覚がない行動は直すことも難しく、また、教えても聞き入れられる場合も少ない。誰も知らない知られてもいない話をするとまず不審者扱いだ。
今回はシャルベルが呪いをかけられたが、もっと身近な相手にかけてしまうことも考えられる。そうなるとラウノアにも解呪は難しい。
少し考えてしまっていると、気まずさを感じたのかシャルベルが慌てたように口を開いた。
「いや、その……体調は本当に問題ない。今夜はきちんと休むつもりだ」
「はい。あまりご無理なさいませんよう」
「ああ。……ラウノア。その――……」
きゅっと眉根を寄せたシャルベルの目がラウノアを見る。
一度視線が外され、迷うように動く。あてた手の下でその口を開くか閉じるかと考えている様子だ。
そんなシャルベルをラウノアは急かすこともなく待った。
「その……彼女は――」
「おーい。シャルベル。ラウノア嬢」
シャルベルの声を掻き消したのは、こちらへやってくる人物が発した呼びかけ。
耳に入ったその声にシャルベルもラウノアもそちらへ向いた。
夏の太陽に照らされた髪。気さくに手を振る姿と普段の堅苦しさよりも少し砕けた服装。
護衛を二人つけやってくるライネル第二王子殿下に、ラウノアはすぐに体ごと向き直って礼をした。同様にシャルベルもライネルを見る。
「ここにいたのか。話をしたいと思ってもいないからどこに行ったかと思ったぞ」
「お手数をおかけしまして申し訳ありません」
「いや。俺も一息つきたい気分だったんだ。ちょうどいい。――で、シャルベル。何を怒っているんだ?」
「いえ。なにも」
頭上の樹の葉が風に揺れれば、足元の影も同じように揺れる。
その間に立つライネルとシャルベルはどこか気さくに語り合う。「嘘だな」「なにもありません」と笑みと淡々とした声音を勝負させ、ライネルだけが楽しそうだ。そんな二人にラウノアは口を挟まない。
語ろうとしないシャルベルに笑いながらも肩を竦め、ライネルの視線がラウノアに向いた。
「ラウノア嬢。こいつがあまりにも愛想がないときには言ってやって構わないからな」
「お気遣い感謝いたします。殿下」
隣のシャルベルは少々不服そうであるが、それを言葉にすることもあからさまな表情にすることもない。
納涼会という公的な場でのシャルベルの王族に対する振る舞いにはライネルも慣れた様子だが、他者の目がないせいか笑みは抑えきれていない。
「ああそうか。シャルベルが怒っているのは、逢引きの最中に俺が邪魔をしたからか」
「「!?」」
「そうだなそうだよな。それは怒るな。シャルベルもそういったことをするようになったのか、それは野暮なことをした。戻るか」
「「殿下っ!」」
完全に揶揄いにきているライネルにラウノアもシャルベルも待ったの声をかける。息が合った二人にライネルは笑い声をもらす。
くるりと身を翻し去ろうとしたライネルは首だけ振り返り、二人の表情を見て喉を震わせた。そんな王子殿下にシャルベルは大きく息を吐く。
「殿下。お戯れを」
「いやいや。おまえたちの仲を邪魔したなら戻ろうと思ったのは本当だ」
「お気になさらず。お話があるのならばどうぞ」
もうこれ以上はやめろ、と言わんばかりのシャルベルにラウノアも内心深く同意する。
そんな二人を見てライネルはまた笑うと、身を翻しながら本題に入った。
「この近くに滝がある。一緒に行かないか?」
その誘いにラウノアとシャルベルは顔を見合わせた。




