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慎まし令嬢が目立ちたくない理由  作者: 秋月
第三部

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19.微笑みの下に

「ラウノア様。少し、昔話に付き合ってくださいますか?」


「? はい」


 不意に出された言葉に内心で怪訝としつつも、ラウノアはウェルバーン子爵を見つめた。

 ウェルバーン子爵の目は頭上を隠し広がる枝葉に向けられ、どこか懐かしむように細められた。


「将来、小さくとも領地を預かることになるある人は、あるとき、領内の問題をひとつ父から任されることになりました。だけど、考えてもいい案が浮かばない。あれはこれはと資料と睨めっこ。解決案を父に伝えても却下されるばかり。どうしようかとほとほと困っていたそんなとき、ある人に出会いました」


 上を見上げていた目が、ゆっくりとラウノアに向けられる。

 その柔らかな瞳の奥に見える、懐かしさと悲しみ。ラウノアも逸らさず見つめた。


「その人は悩みを見抜いて相談に乗ってくれました。そして解決策のヒントをくれた。本来なら自領のことを他者に相談するなんて褒められたことではないけれど、その人はそれを他言することはありませんでした。――生涯。ずっと」


 ウェルバーン子爵の瞳は微かに揺れた。それを見逃すことはなく、ラウノアは見つめた。

 少しだけ、握った手が痛い。


 一歩、ウェルバーン子爵がラウノアに歩み寄る。そしてラウノアの握ったその手を、そっと握った。


「それからは社交界で個人的にご挨拶を交わすくらいだったけれど、今でもとても、感謝しています。私の大切な思い出として。あんなにも素晴らしい方と親しくさせていただけたことは私の誇りです。だからどうかラウノア様も誇らしく思っていて? あなたの母君は、数少ない女性領主の中でも心から尊敬できる御方です」


「……初めて……知りました。母からそういう話を聞いたことは、憶えがなくて……」


「もっと早くお伝えしたかったのですが、家同士の付き合いがあるわけでもない私が突然声をかけるわけにもいかず……。これも、主人とシャルベル様のご関係あってこそなのですけれど」


 そう言って、過去と未来の縁を喜ぶように笑みを浮かべる。そんな表情にラウノアも笑った。


 記憶にある母はあまりにも薄い。

 侍女であるマイヤや執事であるガナフからたまに聞く話や、それこそ夢の中でしか知らない。


 けれど、目立たずを意識していただろう母も、こうして社交界で親しく話をする人はいたのだ。

 そしてその人は今、思う以上に近くにいて、今も母を憶え、感謝を抱いている。


 自分だけではない。側付きたちだけではない。

 きっと人々の記憶の中では薄い母を、憶えている人はいる。


(憶えられていないなら消えるのはあっという間。でも――……)


 まだ、母はいる。

 自分や側付きたちだけではない、人の心に。


「ありがとうございます。ウェルバーン子爵様。母の存在を感じられて、とても……嬉しいです」


 ラウノアの笑みにウェルバーン子爵も微笑んだ。


 あまりにも突然に母を喪い、それでもめげず、くじけず、罵られようとも、今この場所に立っている。

 そんな娘を見たら彼女はなんと言うだろう。考えてもけれど、答えは出てこない。


 だけどきっと、いつも微笑んでいた彼女はその笑みを崩さないだろうと、そう思えた。


 ラウノアは外見こそルフにはあまり似ていない。けれど、まとうその雰囲気はそっくりだ。

 そう思わせるほど、社交界で見るラウノアの姿はルフに通じるものがある。


 懐かしさに頬を緩ませるウェルバーン子爵の傍で、ラウノアは胸に温かさを感じつつも内心で首を傾げた。


(だけど、どうして母様は家の付き合いがあるわけでもなく、まして他領のことに口を出すようなウェルバーン子爵の相談に乗ったのかしら……? 母様の個人的な付き合いのため? それともその件がカチェット伯爵家に関係があった?)


 目立たずを意識していたルフが動いたのならば、必ず自領や国に関係があったはずだ。かといって、それが解決し過去の話となっている今、それを蒸し返すのも躊躇われる。


「ウェルバーン子爵様。その……もしよろしければ、また、母の話を聞かせてくださいませんか?」


「ええ。もちろん」


 誰かの心にいる母はどんな姿なのだろうか。それを知りたいと思う気持ちが強くなる。


 思わず頬を緩めたラウノアだったが、すっと腕を引かれて半歩下がった。


「アレク?」


 下がらせたのは黙って控えていたアレクだ。

 その行動にはウェルバーン子爵も怪訝と首を傾げる。しかしアレクの目はウェルバーン子爵を見ていないと分かったラウノアは、その視線の先を見た。


 誰かがこちらへ来る。その様相からどこかの夫人であることが解る。

 堂々とした歩みと伸ばす背。幼少からの教育がしかと身についていると一目で分かる。


 ラウノアの視線にウェルバーン子爵も背後を振り返る。そして見えた人物が近くまで来たとき、すっと礼をした。


「あら。バークバロウ侯爵夫人。夫人も涼みに?」


「ええ。よい場所があると聞きまして」


「ええ、本当に。私は皆さまのもとへ戻りますが、ごゆっくり」


 ウェルバーン子爵とバークバロウ侯爵子息夫人に個人的な付き合いはないのだろう。二人がいる場所へわざわざ来たバークバロウ侯爵子息夫人の用件がラウノアにある、もしくは涼みに来たと読んだウェルバーン子爵はすぐにラウノアに目配せをして背を向ける。

 それを見送り、ラウノアもアレクを下がらせて辞去しようと――……


「ラウノア様はギ―ヴァント公爵子息様に一目惚れされたのですってね。ふふっ」


「……」


 婚約直後からの話題を出され、ラウノアは辞去する間を逃して曖昧な笑みを浮かべた。


 シャルベルの一目惚れ。ラウノアとシャルベルの婚約においては、それまでつながりがなかったことからそういった説が出ている。ラウノアが否定してもそれが消えることはなく、シャルベルも「してません」などと言い返すわけにもいかず明確な回答はしていない。

 当初に比べれば鳴りを潜めた話題だが、こうして時折話題にされるのも何度目か。もう慣れているのでラウノアも対処は心得ている。


「女性に見向きもしないあの方からはとても想像できないのですけれど、そうなのかしら?」


「シャルベル様が願ってくださったというのはそうですが、その御心までは……」


「あら。そうなの?」


 バークバロウ侯爵子息夫人は面白そうに喉を震わせ、ラウノアを見つめる。


 婚約がシャルベルの意思であるというのはすでに知られている。

 令嬢たちからは嫉妬の眼差しを向けられることがあるが、夫人たちからは基本的に微笑まし気に見られる。バークバロウ侯爵子息夫人も同じようだ。

 それが分かって、内心少し困る。迷惑と思ったことはないが噂というものはどうしようもない。


 笑っていたバークバロウ侯爵子息夫人はしかし、笑みを保ったまま「だけど……」と目を細めてラウノアを見つめた。


「いくら従者とはいえ、それほど傍に男性を控えさせるのはいかがかと思いますよ? ギ―ヴァント公爵子息様もご不快でしょうし」


 その言葉に、ラウノアはアレクへ視線を向けた。


 バークバロウ侯爵子息夫人が来てから、それまでずっと離れて黙って控えていたアレクが急に距離を詰めた。

 いくらアレクとはいえ、ラウノアの社交界での振る舞いや必要な挨拶などを無視して相手を不快にさせるような行動はとらない。ラウノアはそう知っている。

 だからつまり、アレクのこの行動は理由がある。


(アレクがこういう行動をとる理由は一つ。敵意や悪意が感じられるから)


 ――つまり、そういう相手なのだ。


 しかし、それが解ってもラウノアは表情を変えることはなくバークバロウ侯爵子息夫人を見た。


「シャルベル様は、常からわたしの護衛がこうしてわたしを守っているとご存知ですし、くれぐれもと、わたしの護衛に念押しすることもありますので」


 アレクが視線だけをラウノアに向けた。


 ラウノアと時折会うラウノアの婚約者。アレク自身はさして接点も関心もないが、シャルベルからそんなことを言われたこともない。

 けれどラウノアがそう言った。だから、それでいい。


「あら。とても仲睦まじいのね。お二人は」


「シャルベル様は気遣い溢れるお優しい方です。だからこそ、想うことは必ず伝えてくださいます。もしわたしの護衛にそういった感情を抱いているかもしれないならば、わたしからもお伺いしてみます。ご助言感謝いたします」


 躊躇いつつも、慣れない様子でも、伝えてもらった言葉がたくさんある。どれも嬉しくて、胸があたたかくなった。

 いいことも悪いことも。シャルベルは嘘を吐かない。


 自然と口角が上がる。そんなラウノアを見てバークバロウ侯爵子息夫人は扇で口元を隠した。

 扇を持つ手に力が入っているように見られる。ちらりとそれを確認しつつ、ラウノアは少し気を引き締めて対峙する。


 バークバロウ侯爵子息夫人の目が、それまでとは違う。微笑みの中でも笑っていなかった瞳だが、今ははっきりと不快が見受けられる。


 ラウノアはカチェット伯爵家にいたころから、バークバロウ侯爵子息夫人と接点はない。家名と顔を一致させたのはシャルベルの婚約者になってから。

 ギ―ヴァント公爵家とは少々関わりのある家であったようで、婚約発表の夜会にも招待されていた。


(そういえば、あのとき、シャルベル様が見ていた人って……)


 シャルベルがレリエラやウェルバーン子爵夫妻を紹介してくれる少し前、シャルベルが視線を向けていた先。

 あまりはっきりと憶えているわけではないが、そうだったような……という朧げな印象が浮かんでくる。


 長いような短いような睨み合い。何かを言いたそうに、けれど堪えている様子のバークバロウ侯爵子息夫人。

 アレクの動きを制しながら受けていたラウノアの前、バークバロウ侯爵子息夫人との間に大きな背中が割り込んだ。


「何をしている」


 少し低い、どこか不機嫌そうにも感じられる声音。

 背中からは見えないけれど、その目はバークバロウ侯爵子息夫人へ向いているのだろう。


 突然割り込んだシャルベルにはバークバロウ侯爵子息夫人も驚いた様子で、アレクだけが平然と表情を変えない。

 驚いた様子だったバークバロウ侯爵子息夫人だが、すぐに表情を戻すとシャルベルをねめつけた。


「あら。そんなにも血相変えていらっしゃらなくても。なにもしていませんわよ。少しお話をしていただけです」


 シャルベルがぴくりと眉を動かす。それを見てふんっと顔を逸らすと、バークバロウ侯爵子息夫人は挨拶もなく身を翻した。






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