18.納涼会
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準備を済ませて屋敷の廊下を歩く。
夜会などに主席するような堅苦しい服装ではなく、飾らない服装に身を包む。しかし腰には剣を佩く。剣の鞘にはラウノアからもらった藤色の紐を巻き付けている。これがあるのがすっかり定着してしまった。
己の支度を終えれば次は相棒竜の支度だ。
そのため屋敷の外へ向かおうとするシャルベルは準備を終えたらしい母に視線を向けられ、呼び止められた。
「シャルベル。少し顔色が良くないようですが……体調に問題は?」
「いえ。特には」
「そうですか……。ですが、あまり無理はしないように。あなたはここ最近ずっとそんな顔ですから、心配で……」
「ご心配をおかけして申し訳ありません。母上。今夜はしかと休むようにしますので」
「ええ、そうしてちょうだい。絶対ですよ?」
心配そうに柳眉を曇らせた母が忙しそうに去っていく。
それを見送って、シャルベルは軽く額に手をあてた。
(ここ最近……。それほどに悪いのか?)
自分ではあまり気にしていないが、母にはそう見えていたということか。そういえば、ラウノアにも以前同じように心配をかけた。頬に手をあて、案じられた。
しかし熱はないし、どこか痛むような症状もない。食欲もあるし、疲れもとくに感じてはいない。どこにも問題はない。
なので、とりあえず今夜はゆっくり休むようにしようと決め、シャルベルはすぐに歩みを再開させた。
屋敷を出て、庭を抜ける。その先の竜舎に足を向け、舎内へ入った。
今日の納涼会にはヴァフォルも連れていくことにした。
会場警備は騎士が担っている。その中には数名の竜使いもいる。シャルベルはあくまで納涼会の参加者だが、王城のような守りの中ではない会場に王族が参加するので万が一には騎士団副団長としての仕事が発生する。
そのためにヴァフォルを連れていく。シャルベルがいない間は自由に空を飛ぶか、近くの森でのんびり過ごすことになり、招待客には近づけない。
(ラウノアもいるからな。懐かれるということを知られないようにしなければ)
マクライ王やライネル王子はラウノアが古竜の乗り手かもしれないと解っているが、ヴァフォルにも懐かれるとは知らない。
知られては余計に興味を引く。ラウノアはそれを望まない。
「ヴァフォル。仕事に行くぞ」
今日のために昨夜は連れ帰った。理解しているヴァフォルも身を起こし、伸びをするようにしてからふんっと鼻を鳴らす。それも、シャルベルを見てわざとらしく。
(最近のこの不機嫌……いや、不満は何が原因だ?)
自分を見て、不満げに鼻を鳴らす。もしくはぷいと視線を外す。
自分の何に不満が?
考えているのだが一向に思い浮かばない。
ヴァフォルも乗り手以外を乗せない竜であり、乗り手にも懐かない竜だ。こういった態度は過去にもあった。例外はラウノアだけ。
しかし、そういうときは何かしらのヒントをくれた。あれかこれかと探って、そして答えを見つけていった。
なのに今回、あれかこれかと探っても一向に答えが出てこない。ヒントすらくれない。ラウノアに会いたいのかと問うてみたが、答えらしい返答はなかった。
こうなるとお手上げだ。竜の思考は分からない。
しかし、これがずっと続くのもよろしくない。
頭痛がしつつもヴァフォルの準備を行い、シャルベルはヴァフォルを外へ連れ出した。
外へ出ればヴァフォルの白い鱗が太陽の光で輝く。その立派で威風ある姿がはっきりと視界に映り、相棒も自由に動ける外を喜ぶように翼を広げる。
「シャルベル」
竜舎の周囲は短い芝生が広がっている。その先には庭があるのだが、その庭から声をかけてきたのは父であるギ―ヴァント公爵。
傍には公爵夫人や弟レオンの姿もある。
「そろそろ出発しよう」
「分かりました。では、俺はこのままヴァフォルに乗っていきます」
「ああ。向こうで合流しよう」
事前に話しておいたので公爵も頷く。これではまるで仕事に行くようだと思い少し笑う公爵の隣では、公爵夫人が困ったように肩を竦めた。
今日の納涼会にはラウノアも参加している。このままでは仕事の顔で会うことになりそうだ。
それを見つつも、シャルベルはすぐさまヴァフォルの背に乗る。
乗り手を乗せたヴァフォルは身を起こし、翼を広げ飛び立つ。
強靭な翼が風を生み出し、高度を上げる。同じように空を飛ぶ鳥たちと視線が同じになり、ヴァフォルはシャルベルの指示に従って動き出した。
♦*♦*
納涼会は夏の時期に開かれる社交の場。
ウィンドル国の夏はうだる程に気温が上がるということはなく、湿度が上がるようなものでもない。陽射しは強いが風は爽やかで、季節のめりはりを感じられる時期である。
納涼会の会場は王都のはずれにある、草原が広がる涼しい川辺だ。川辺の近くに天幕を張り、涼を感じながら過ごす。
大人たちは談笑し、子どもたちは川辺で遊ぶ。家族のだんらんのような会がこの納涼会だ。屋敷で開かれる夜会などとはまた違う。
だからこそ、服装も堅苦しいものではなく、涼むに相応しいゆったりとしたものであることが多い。
その空気のとおりに、ゆったりとして平穏な社交の場。これまでの場とは違うことにラウノアは少しほっとしつつ臨んでいた。
会場には天幕がいくつも設置され、警備のための騎士も配置されている。制服から見て騎士団と近衛隊、両隊の騎士がいると分かる。
そして、頭上では竜使いが空から警備をしている。
納涼会は王族も参加する場。この警備は当然のものであり、参加者も気にせず楽しんでいる。
(竜が妙な反応をしないといいのだけど……)
乗り手が手綱を握っている以上、竜も勝手はできない。乗り手のいない竜が好きに行動できるわけでもないのだが、用心はするに越したことはない。
顔見知りの相手や挨拶程度の相手。招待客と挨拶を交わして過ごす。
ベルテイッド伯爵家に引き取られてからできた繋がりや、ベルテイッド伯爵家が持つ繋がり。ラウノアもすでに頭に入れた相手への挨拶も忘れない。
その合間にラウノアは周囲へ視線を向ける。
天幕それぞれの中で談笑が広がり、互いの天幕への行き交いもある。
もっとも大きい天幕には、参加している王族、ライネル第二王子とグレイシア第一王女がいる。
二人も貴族たちと談笑し、納涼会の様相どおりに気負いない姿と態度で過ごしている。ラウノアも今は同じ天幕にいるが、ベルテイッド伯爵家から挨拶に伺えるほどの関係性はない。
ライネル王子やグレイシア王女の傍には護衛である近衛騎士、侍女の姿もあるが、どちらもさりげなく後方に下がっている。
その姿勢は、カチェット伯爵家にいた頃に参加していた社交界でのラウノアの姿。目立たず控えめに、けれど周囲はよく見て。
それが今やどうなっているか……。
本当に、人生は何が起こるか分からない。身に沁みてそれを痛感しているラウノアはそっと瞼を伏せた。
ベルテイッド伯爵家に加わり主要人物への挨拶を終えたラウノアはそっと天幕の端に下がって息を吐いた。端は落ち着く。
さりげなく周囲を見回せば、ベルテイッド伯爵夫妻は別の貴族と談笑、クラウやケイリスは友人たちと楽しそうに過ごしている。ココルザードは開始早々に別天幕へ年長者の集いに向かっていった。
ベルテイッド伯爵家の面々を確認してからは、視線は自然とギ―ヴァント公爵家へ向かう。
公爵夫妻はどこかの貴族と談笑中。シャルベルは弟のレオンと一緒に年の近い面々と集まって何かを話している様子。
それを微笑ましく思いつつ、ラウノアはそっと天幕を出た。
天幕は壁となる布をくるくると巻き上げられるようになっており、風通しがよく、熱がこもることもない。
全方面を開けているのではなく、布が下ろされている面もある。それを壁代わりにラウノアは天幕内の視線から隠れるように外に出て、ほっと息を吐いた。
天幕の周囲に配置された騎士。離れて警備する騎士。
貴族から騎士へと人が変わった中、ラウノアのもとへすぐにやってくるのは護衛官のアレク。
ラウノアの傍で足を止めたアレクは、どうしたのかと問うように軽く首を傾げる。そんな様子から言いたいことを悟って、ラウノアは安心させるように微笑んだ。
「少し息抜き。アレクも一緒にしましょう」
アレクのことだ。きっと、ずっと警戒で周囲を睨んでいたことだろう。
どれほど優れた騎士がいても。どれほど抜け目のない警備であろうとも。アレクはラウノアを守るために己が動く。
そういうアレクだと知っているからこそ、アレクの息抜きはラウノアがさせるしかない。
ラウノアはアレクを伴い、近くにある木の下へ歩いた。
その木は大きく、根が地上に剥き出しになっているがどしりとした風格は弱さなど見せない。頭上で茂る枝葉が影になり、陽の光と竜の視線から遮ってくれる。だから少しだけほっとできる。
そんな木の根にハンカチを敷いて、そっと腰を下ろした。
(これなら古竜のような反応はされないでしょうけど……)
それでも、こうした警戒は続けなければいけない。
最近は随分といろいろなことがあってどうすればいいのかと考えることが増えているけれど、目立たず平穏は変わらない。
吹き抜ける風を感じながらほっと息を吐く。風は頬をなで、木の葉を揺らす。
葉が擦れ、枝がしなる。そんな音が耳に入り、閉じた瞼の下で思い出す。
(あの場所も、こんな場所だった……)
緑の柔らかな草原が広がって。小さな花が咲いていて。頬を撫でる涼やかな風が吹き抜けて、太陽は優しくて周りを照らす。
そっと木の根に触れる。硬くて、少し冷たくて、少し土の匂いがする。自然の中を生きている植物の鼓動は強くて、どこかほっとする。
けれどあの、幼いころから感じていたものを感じられない。もうないのだと思い知らされる。それが少し、悲しい。
「……姫様。どうしたの?」
「ううん。なんでもない」
表情を変えずとも心配そうに声をかけてくれるアレクにゆっくりと首を横に振り返し、ラウノアは今に意識を戻す。
と、こちらへやってくる人物が見えた。その人物が誰なのかが分かりラウノアはすっと腰を上げる。
やってきて柔らかに微笑むウェルバーン子爵にラウノアは礼をした。
「ごきげんよう。ラウノア様」
「ごきげんよう。ウェルバーン子爵様」
夜会のときとはまた違う様相でラウノアの前に立ち、ウェルバーン子爵はラウノアが涼んでいる大きな木を見上げた。
「自然の中はやはり町中とは違って涼しいですね。納涼会に相応しい場所で」
「はい」
大きな木の枝には鳥が止まる。鳥も涼みにきているのかと思うと微笑ましい。
といっても、のんびり涼むことができるのは参加者くらいで、警備を担う騎士たちは涼を楽しむどころではないだろうが。
「ラウノア様。お疲れではありませんか? 私がお休みのところにお邪魔してしまいましたけれど」
「いえ。皆さまへのご挨拶も終わりましたので」
「そう。よかった」
少し悪戯めいた表情で笑みを浮かべたウェルバーン子爵にラウノアも笑みを返した。
ウェルバーン子爵の夫であるロベルトは、今回の納涼会には参加していない。
常から仕事が忙しく、性格から自分に社交の場は合わないと感じているロベルトは積極的に参加をしない。ウェルバーン子爵はそれを承知の上なので、やむを得ない状況でしかロベルトを伴わない。
「ロベルト様にもご挨拶をしたかったのですが……」
「ふふっ。ありがとうございます、ラウノア様。主人に伝えておきます。主人はあまりこういった場が好きではなくて、本当はやればできる人なのですけれど」
そう言って、ふふっと楽しそうに笑うウェルバーン子爵にラウノアも微笑を浮かべた。
ロベルトに会ったのは、夜会と古竜の件でだけ。古竜の件は騎士としての仕事からであったが、婚約発表の夜会で会ったロベルトは気さくでありながらもウェルバーン子爵の立場を想い、礼を逸脱するような人ではなかった。
そんな夫をもつウェルバーン子爵は、当主と社交という二重仕事をこなしている。
(母様も、カチェット伯爵としての仕事と社交、どちらもこなしていたし、わたしもそうなるはずだった)
夫であるトルクが当主として忙しいルフに代わり代理として社交界に出ることもあった。そういった面で支えていたのは間違いなくトルクだった。
もとより、目立たず平穏を心がけていたルフもあちこちと社交に出ることはなく、領地の近隣や家同士の付き合い、王家の主催、必要なうちをこなしていたのではないかとラウノアは思っている。
ラウノアがそういったことを知るよりも先に、ルフはいなくなってしまった。ラウノア自身も社交界に出るようになってからは最低限を保っていた。
風が葉を揺らし、髪がふわりと揺れ動く。
「ラウノア様。少し、昔話に付き合ってくださいますか?」




