3.その声は無視できない
「古竜が反応した臭いについては現在騎士団でも調査中です。ですので、ラウノアも説明が難しかったのでしょう。――大切なご息女を危険に晒してしまい、申し訳ありません」
身を縮めるラウノアの隣でシャルベルも頭を下げた。そんな二人を見て、ベルテイッド伯爵も気持ちを切り替えるように頷いた。
頭を上げるシャルベルをラウノアは横目に見る。
シャルベルはもともと、ラウノアと古竜の接触を騎士団長に報告したとは言っていたが、その内容もその場にいたということだけ。竜に懐かれているのではないかという推測はずっと胸の内にしまっている。
(古竜にもとなると、シャルベル様だっておかしく思うはず)
なのに、不審は一切向けられない。感じない。
約束したからと、本当に胸の内に、己だけに、しまっている。
――信じている。
そう感じれば感じるほどに。思えば思うほどに――少し、胸が痛む。
「古竜が今になってその臭いを追ってきた、というわけではないでしょう?」
「ああ。それならばもっと早くに来ていたはず。それだけではなく、俺たちの想像が及ばない古竜の思考が絡んでいるはず」
眉根を寄せるクラウにシャルベルも頷く。
以前古竜が反応した丸薬ではない別の理由で古竜はここに来た可能性がある。
だからこそ、その理由が分からずにいる竜使いも騎士も、どう動くか分からない古竜の周りで警戒するしかない。
そして、どうやって古竜を竜舎に戻すか。
古竜と、警戒する騎士たちを見遣り、シャルベルはラウノアへゆっくりと視線を向けた。
「ラウノア」
「はい」
「……古竜は、恐いか?」
少し躊躇いがちに出された問いに、ラウノアはシャルベルを見つめた。
古竜は他の竜とは違う。その強さは圧倒的で、威圧感も強い力も本能が感じ取る。
長命で、最古の竜は、人間も他の動物も簡単に殺すことができるほどの強者だ。その威嚇を向けられれば老若男女問わず腰が引ける。生きているものとして本能的な反応。騎士の中でもそれは同じだろう。
「――いえ。恐ろしいと感じたことはありません」
肌が粟立つのは、まだその強さに慣れていないから。
目を合わせたくないのは、関わることを避けたいから。けれどもう見られてしまっているから、気になる人物として認定されているのだろうけれど。
古竜が気にする人間となれば騎士たちの中でも注目され、王家にも目をつけられる。それは避けたい。
ラウノアが気にするのはそれだけだ。竜を恐れる理由などなに一つない。
迷いなく告げられた言葉にシャルベルは僅か目を瞠り、ベルテイッド伯爵たちもラウノアを見つめた。
ほんのわずかな沈黙。それを打ち破ったのは、高い鳴き声だった。
はっと一同が視線を向ければ古竜が鳴いているのが見えた。普段聞かない、泣くような声で。
笛のような鈴のような、けれどどこか寂し気な声。
そんな音に騎士たちも思わずといった様子で古竜を見つめ、竜たちも古竜を見つめて中には鳴くものもいる。
竜の声に包まれ、ラウノアは思わず、古竜を見てしまった。視線に気づいたように古竜はラウノアを見て鳴き続ける。
まるで、何かを訴えるような声。
(ああーー……)
――もう、避けることはできない。
古竜は気づいている。古竜だけが知っている。だから、ここに来た。
(それなら、わたしは……)
どうすればいい。どうすることが正解か。
分からない。古竜がどこまで自分の言葉に耳を傾けるのか。心を許すのか。
分からないからこそ、不用意に近づくことはできない。
古竜に近づき竜舎に戻れと指示をして、それが受け入れられれば余計な波風が立ってしまう。それは、できるならば避けたい。
今ならまだ。古竜が騎士の指示を聞いてくれれば――。
この現状をどう打破すればいい……?
ぎゅっと拳をつくったとき、シャルベルから少し離れたヴァフォルが鳴いた。
相棒の鳴き声にシャルベルも視線を向ける。ヴァフォルは古竜を見て何かを訴えるように、少しの怒りと懇願を込めるように、鳴いた。
他の竜とは違う声に、古竜が鳴くのをやめ視線を向ける。訴えるようにヴァフォルはさらに鳴いた。
古竜はそんなヴァフォルを見ると、その視線をラウノアに戻す。そしてゆっくりとその大きな翼を広げた。
最後に一度だけ鳴き、古竜は翼を羽ばたかせる。
「竜使いは古竜を竜舎まで誘導しろ! 騎士は地上から古竜を追跡!」
「はっ!」
古竜が飛び立つ様子にすぐさまシャルベルから指示が飛ぶ。それを受けた騎士たちが動き出す。
古竜はそんな騎士たちを待つことなく飛び立つと、ベルテイッド伯爵邸の上空を一度旋回し、王城へ向けて飛び去っていった。
その姿を見送り、ケイリスが大きく息を吐いた。
「はあ……。こんな近くで古竜を見れたのは嬉しいけど、朝から騒々しすぎる……」
「ケイリス。出勤次第騎士団長に報告を。いいな?」
「了解です」
すでに疲労を滲ませるケイリスだが、シャルベルの指示にすぐに頷く。
そしてシャルベルもベルテイッド伯爵に礼をし、ラウノアを見た。
「朝から騒がせてすまなかった」
「いえ。シャルベル様のせいではありません」
「今後はこのようなことがないよう騎士団でも対処する。……できるだけ早く対処して予定は変えないようにするから、待っていてほしい」
「はい」
真摯な謝罪に返ってくるのはいつもどおりの微笑み。
それを見たシャルベルは建国祭でのことが脳裏をよぎりながらも、ラウノアの前を辞してヴァフォルに騎乗した。
古竜と騎士たちが去り、やっと静かになったベルテイッド伯爵邸。
使用人たちも突然のことに慌てふためいたが何事もなかったことにほっと息を吐き、ベルテイッド伯爵や伯爵夫人も声をかけることを忘れない。ケイリスは早々に出勤し、クラウは普段どおり過ごし、ベルテイッド伯爵から仔細を聞いた先代伯爵ココルザードも珍しいことに笑った。
古竜の行動にベルテイッド伯爵は首を捻っていたが、とくにラウノアに何かを問うこともなかった。
解っていても分からないふりをしてベルテイッド伯爵たちの前を辞したラウノアは、自室に戻ってソファに座り込みため息をこぼした。
「お嬢様。大丈夫ですか?」
「大丈夫……。ありがとう、マイヤ」
心配そうに見つめる目は、子を見守る母のものに少し似ている。その眼差しが好きだ。
少し気力が戻ったラウノアの傍ではガナフもイザナも眉根を寄せ、アレクも沈黙を保ったまま。そんな四人を見てラウノアは力なく笑みを浮かべた。
「皆、そんなに怖い顔をしないで。さすがに予想外だけれど、古竜が距離を詰めてきたわけではないし、幸い、直の接触はないから」
「そうですけど! でも……もしもがあれば……」
思わずといった様子で声を上げたイザナを見つめる。
イザナの目は揺れていて、想ってくれているのがよく伝わる。素直なイザナらしい反応にラウノアは自然と笑みが浮かんだ。
「考えたくないのは、古竜が二度目を起こすこと。だけどこれは騎士団でも手を打つでしょうから、怯えてしまう必要はないわ。竜舎には、騎士団には、行かない。いくら古竜でも無理やりに来ることはできないはず」
「今回の古竜の行動を果たして騎士団がどう判断するか、ですね。竜の気ままとするか、それとも建国祭の件を踏まえお嬢様に関わる何かがあると判断するか」
「その場合は……?」
「気ままとされれば問題は少なくて済むだろう。だけど……乗り手の候補とされる可能性が高い」
不安げなマイヤにガナフの冷静な声が答える。その答えにはマイヤもイザナも瞳を揺らす。
気持ちは同じ。けれど、ガナフは冷静にその視線を主に向けた。
「ラウノアお嬢様。お嬢様ならば古竜に指示を与えることも可能だろうと推測いたしますが……」
「可能性はある。けれど分からない。――あの方はそうおっしゃっていたわ。仮にそれができたとしても、それはきっとわたしじゃない……。だって、歴史ではハーウェン王を乗せていたなんて言われているけれど、古竜の乗り手はただ一人だもの」
その唯一がそう判断した。
竜の意思は、竜にあると。その行動も意思も人の想定には収まらない。収めることなどできはしない。
「ひとまずは様子を見るわ。拒めないような事態にならない限りは関わらない。これに関してはあの方にお知らせするから、皆もそのつもりでいてちょうだい。わたしの方は分からないを貫くから」
「「承知いたしました」」
主の言葉に側付きたちは背筋を正して応える。
カチェット伯爵家にいた頃なら絶対に遭遇はしなかった事態。王都へ来るなど王家の夜会程度であり、竜に接することもなかった。建国祭だって式典に参加もしなかったかもしれない。
けれど、家を出てしまった今では、そうはいかない。
目立つことは望まない。平穏に、平凡に。
そうあろうと思っているのに、どうにも忙しいことが続いている。
(古竜のことでまたシャルベル様はお忙しくなってしまうのかしら……。予定は変えないっておっしゃっておられたけれど……)
数日後にあるシャルベルの休日。その日には以前できなかった外出をしようと、先日約束を交わした。
建国祭が終わり、やっと二人の時間を少しずつ増やすことができる。
それなのにこの事態。それに対処しなければいけない立場。
婚約者の多忙さを思い、ラウノアは窓の外へ視線を向けた。




