2.思った以上の厄介事
♦*♦*
なぜだろう。何かに意識をくすぐられたような気がして目が覚めた。
重い瞼を開いて映る霞む視界。ぼんやりとした頭でも分かるのは、部屋がまだ暗く、日は昇っていないらしいということ。
だからラウノアはもぞりと動いて掛布を被り直した。
体はまだ睡眠を欲している。まだ眠たい。まだ眠っていられる時間は長く残っている。
その欲求のままに、もう一度瞼を閉じた。
ラウノアは普段から中途覚醒というものはほとんどない。夜眠れば、次に目が覚めるのは朝。
起床時間はバラバラだが、遅くなりすぎないようにマイヤやイザナが必ず起こしにくる。なのでそれを待って眠っていても問題はない。
目を閉じればすぐに意識が薄れ――その直後、ばんっと扉が音をたてて開いた。
「っ!?」
何事か。
薄れていた意識はすぐさま覚醒し、ラウノアは思わず体を起こした。
ベッドは天蓋の薄布が覆っている。外から中は見えないようになっているが、中からは薄らと見える。
薄く隔てられたその向こうをラウノアはじっと見つめた。心臓が音をたてて激しく早鐘を打ち、体は緊張で強張る。
しかし、その緊張はすぐに解けた。
「アレク……? どうしたの?」
「危ない。姫様、下がって」
入ってきたのが誰なのかを理解し、そうだと思考が正常に動き始めた。
そもそもに、ラウノアの部屋の前には護衛官であるアレクが立っている。不審人物が入室することはできないのだ。
当然、アレクもきちんと睡眠をとりながら務めているのだが、アレクはベッドで眠るというのが苦手で床に座って片膝をたてて眠ることが多い。
なので、睡眠中も基本的にはラウノアの部屋の前から離れない。
アレクはラウノアの身を守るのが役目だ。ラウノアをあらゆる危険から守る。それでも、ラウノアの私室にノックもなく入るような無礼者ではない。
それがないということは……そう考え、ラウノアはすぐさまベッドを下りて天蓋の薄布を越えてアレクの後ろに急いだ。
暗い室内だがアレクは目が良い。窓を睨むように体を向け、腰元の剣に手をかけ抜こうとしている。
それを認めつつ、ラウノアは扉の方へ下がった。
「ラウノアお嬢様!」
「お嬢様、ご無事ですか!?」
アレクに続いて慌てたようにラウノアの部屋に飛び込んできたのは、侍女のイザナとマイヤ、その後ろには執事のガナフ、それにベルテイッド伯爵夫人、屋敷の使用人たちの姿もある。
突然の面々にはラウノアも意表を突かれて瞬いた。
これではまるで、ベルテイッド伯爵邸の大騒動である。
誰もがラウノアの姿を確認してほっとした様子ながらも、まだ気が動転している様子はそのまま。
(わたしが寝ている間に何が……。それにまだ日も昇っていないのにおば様までもう起きていらっしゃるなんて……)
格好もそうだ。出かける予定がない日中に着用するドレスはコルセットで締め付けるものでもなく比較的楽なものだが、それをきちんと着用している。
よほどの事態が起こっているらしいと冷静に周囲を観察し、ラウノアは状況を冷静かつ正確に把握しているだろうガナフを見た。
「ガナフ。何があったの」
主の問いにガナフが動じた様子なく口を開きかけたとき、ラウノアは視界に射しこんだ光に思わず手をかざし、アレクがいる方へ視線を向けた。
視界にはアレクの背中が映っている。さきほどまでと変わらず剣に手をかけたまま。
睨んでいるのは外の暗闇を映す窓……だったはずなのに、暗闇が動いて窓から光が射しこんだ。
(夜明け……じゃない)
暗闇が、上方へ動いた。はっきりとそれが確認できた。
ありえない。まるで暗幕で窓を覆っていて、それが外されたような動きだ。
一瞬言葉が出ないでいると、また、窓が暗闇に覆われ――白と黒のつるりとした眼球が見え、それがぱちりと瞬いた。
瞬間、ラウノアの全身が粟立った。
あれは夜の暗闇ではない。なぜ気づかなかったのか。
――この、肌が感じる独特の気配。
寝惚けていた自分が恨めしい。意識をくすぐったのはこれであったはずなのに。
(どうして、古竜がここに……!?)
突如としてベルテイッド伯爵邸に舞い降りた最古の竜。
友が危惧した面倒が思った以上に厄介で面倒な事態となり、ラウノアは言葉を失い崩れ落ちそうになるのを必死に堪えた。
古竜の来訪という珍事に見舞われたベルテイッド伯爵邸は、のんびりな朝……なんて時間を過ごせるわけもなく、悲鳴やら驚愕やらでてんやわんや。普段なら静かに始まる一日が騒々しく始まった。
朝の珍事に、ラウノアはすぐに服装を改めてベルテイッド伯爵のもとへ急いだ。
屋敷の廊下を普段ならしない駆け足で移動し、使用人に案内されるまま屋敷の外へ出る。
「伯父様!」
「ラウノア。何事もないか?」
「はい。大丈夫です。ですがその……」
ベルテイッド伯爵と、従兄でもあり今は兄であるクラウが、屋敷の外で離れて古竜を見つめている。その周囲には古竜を追ってきた数名の騎士と、同じように騎士服に身を包んだ出勤前のケイリスもいる。
一同へ礼をしながらも、直視しないよう目だけを動かして古竜の様子を探る。
屋敷の庭に降り立っている古竜は、当初はその視線をラウノアの部屋に向けて覗きこんでいたが、ラウノアが外に出てきた今、視線はラウノアに向いている。
その視線に目を合わせることができないラウノアは古竜を見ないようにしながら、ベルテイッド伯爵やクラウへ視線を向けた。
ラウノアが見つめる前ではベルテイッド伯爵も頭痛がしているようで額に手をあてる。
「まさか今度は古竜が降りてくるとは……。我が家は何か因縁でもあるのか……?」
「あればとうの昔から竜が降り立つ屋敷になっていますよ」
「こんなことあるんだなあ……」
冷静なクラウがばっさり切り捨て、ケイリスは感動しているようにすら見受けられる。そんな息子たちに余計にベルテイッド伯爵は項垂れた。
そんな様子は気苦労を感じさせてラウノアもかける言葉に迷う。
(これは、わたしのせいね……)
古竜が降り立つ理由は、自分だけが知っている。けれどこれを言うことはできない。
古竜の動きは騎士たちでも分からない様子で、さてどうしたものかと次の行動に困っている。
当然だ。古竜は誰の指示も聞かない。独断での行動ならば気が収まるまで待つしかない。
どうしたものかと一同が困惑している中、上空から聞こえた音にラウノアは顔を上げた。
太陽の光に眩しい白い鱗。迷いなく降り立つ白い竜。その背に乗り、手綱を操る一人の騎士。
「副団長!」
救いの手に、騎士たちからも安堵の声が上がった。
騎士たちではどうともできなくとも、建国祭で古竜に指示を与えたシャルベルならば古竜も指示を聞く可能性がある。
騎士団副団長にして優秀な竜使いは、庭に降り立つとすぐさま竜使いたちに指示を出し古竜のもとへ向かわせる。そして自身はベルテイッド伯爵のもとへ来て礼をした。
「ベルテイッド伯爵。朝早くから申し訳ありません」
「いえ。それで、これはどういうことでしょうか?」
「古竜の竜舎を世話する者によると、朝いつものように舎を開放した直後に古竜が飛び立った、と」
「……つまり、目当てでここへ来た可能性が高いと」
ベルテイッド伯爵の真剣な声音にシャルベルは僅か眉根を寄せ、頷いた。
舎が開放されるのを待ってすぐに動いたように思われる。そうではなく竜の気ままであるなら、わざわざ近づけたがらない人間がいる屋敷へ降り立つ理由がない。
古竜は騎士相手にすら威嚇するほどに、一向に警戒心を解かない竜なのだから。
竜の意思や行動の理由を人間が推測したところで、それが竜の心であるとは限らない。
人間にできるのは、あくまで推測でしかない。竜の本心は竜にしか分からない。
シャルベルはすぐさま周囲の騎士たちを竜使いたちのもとへと向かわせた。
万が一にも古竜が突発的な行動を起こし、ベルテイッド伯爵邸の者たちに危害が及んではならない。それから守るのも騎士の務め。
シャルベルの指示にすぐに騎士たちも動き、周囲にはラウノアとシャルベル、ベルテイッド伯爵とクラウ、ケイリスが残される。
その中で、ずっと思案している様子だったベルテイッド伯爵の目がラウノアを見る。
「古竜はラウノアの部屋を覗いていたが……。ラウノア。古竜が近づいてくるような心当たりはあるか?」
クラウやケイリスの視線もラウノアに向けられる。
それを感じるラウノアは口許に力が入り、両の手をきゅっと握り合わせた。
心当たりも、明確な理由も――ある。
けれど周囲の皆にとって、あくまで自分は控えめで目立たない令嬢。そうあるように自分でも振る舞う。
唇を引き結ぶラウノアの隣でシャルベルが先に声を出した。
「ベルテイッド伯爵。少し、よろしいですか?」
「なんでしょう」
「実は、建国祭の折、ラウノアは古竜に近距離で接近しています」
驚いたのはクラウやケイリスも同じで、シャルベルに視線が向いた。
ラウノアも自分に代わって口を開いたシャルベルに驚き視線を向ける。その隣に立ちシャルベルはさらに続けた。
「竜の演舞が終わってから、古竜は竜にしか分からない不快な臭いに反応し、それを探り当てました。そこにラウノアもいたので、必然、そういった事態に」
「そうでしたか……」
「そうだったの!? 怪我とかしなかった?」
「はい。大丈夫です」
クラウも眉根を寄せ、さすがに驚いたケイリスもラウノアに駆け寄る。その心配をラウノアは微笑んで受け止めた。しかしすぐにその表情は曇り、ベルテイッド伯爵を見て口を開きかけて視線を下げる。
そんな娘にベルテイッド伯爵も眉を下げた。
「ラウノア」
「はい……」
「家族に心配や迷惑をかけまいとするその心は、優しい、いいところだと思う。けれどだからといって、なんでも一人で背負い込まないで、共有させてほしい」
「はい……。申し訳ありません」
頭を下げるラウノアに、ベルテイッド伯爵は優しくその肩に手を置いた。




