17.思い上がり
思い出し、内心困り果てるラウノアの傍を他の貴族たちが歩いていく。
「薬学研究であれほどの成果を上げられるなんてすばらしいわね」
「ええ。――そうそう。薬学といえば、最近出回っている丸薬をご存知? あれも素晴らしい効果で、私も調子がいいのよ」
「まあまあ。わたしも存じておりますわ。あれも素晴らしい成果ですもの、きっとすぐに表彰されるものになりますわ」
午前の授章式は、英雄王ハーウェンが知の王としても語られていることから、素晴らしい研究や発表、文化や芸術の面から国に貢献した者への表彰が行われた。幾人もが表彰され、その輝かしい功績となっている。
その表彰者は貴族に限らず平民もいる。偉業に血筋は問われない。驚く功績が授章のたびに告げられ、誰もが惜しみなく拍手を贈った。
それはとても素晴らしいことなのだが、視線の疲労と夜会での事態を思えばどうしても憂鬱になってしまう。
しかし、それを表に出すことなく、ラウノアはベルテイッド伯爵たちを見た。
「わたしはここで休んでいますので、どうぞ、昼食に」
「だが、今のラウノアを一人にさせるのは……」
「なら俺がいます。父上もじい様もやらなければいけないことがあるでしょう」
迷うベルテイッド伯爵にクラウが助け舟を出した。ラウノアもそれを聞き、少し迷うようにクラウを見る。
ベルテイッド伯爵はその立場上しなければいけないことが多い。ココルザードは他貴族との繋がりもあり、ラウノアの婚約に関して探りたい貴族が声をかける相手として充分に考えられる。
だからこそ、クラウは手を挙げた。
ラウノアの視線に、クラウは問われるより先に言い放つ。
「俺は目つきが悪いらしいから、父上やじい様よりは牽制になるだろう。一人にしておくと、どこの令嬢に囲まれるか分かったものではないからな」
「もうしわけ――」
「謝るな。……全く。少しは遠慮がなくなったかと思えばまだまだだな」
「もう。クラウ」
伯爵夫人に窘められながら肩を竦めるクラウに、ラウノアは眉を下げた。
クラウには以前からそう注意されている。何事も穏便に運びたい自分の癖のようなものでもあり、謝罪を要すると思うからこそなのだが、クラウにとっては不要らしい。
遮る言葉は少し強くて、けれど、とても優しい。だからラウノアは、クラウを兄のように思っていいのだと、思えるのだ。
少し頬を緩ませるラウノアを見て、ベルテイッド伯爵も安心したように力を抜いた。
「分かった。ではクラウ。後を頼む」
「時間があれば食事も摂ってね。午後の式典会場近くには、許可を受けた露店もあるそうだから」
「はい。……伯父様。午後の式典が始まる前に、その……騎士団に行ってもよろしいですか?」
突然のラウノアの言葉にベルテイッド伯爵も意表を突かれて瞬いた。
そんなベルテイッド伯爵とは違い、伯爵夫人とココルザードは合点がいったように微笑む。
「ああ。あれかな」
「ふふっ。そうね。いってらっしゃい」
「ケイリスに用か?」
察している人とそうでない人が半分ずつ。そんな周囲に、ラウノアは少し言いづらそうに声を小さくさせた。
「剣術試合の前には、参加する騎士……婚約者にハンカチを贈る風習があるとお聞きしました。それで……シャルベル様に、と」
「ああ……。そういえばそんな話もあったな」
思い出した様子のクラウとベルテイッド伯爵。その隣で伯爵夫人が笑顔を浮かべている。
ラウノアの頼みにベルテイッド伯爵は快く許可を出し、三人は離れていく。それを見送ってからクラウはラウノアを見た。
「なら、早々に行くか。騎士団副団長にすぐに会える、というのは難しいだろう」
「はい」
貴族たちの控えの間を、ラウノアはクラウとともに離れた。
現在の王城は警備が厳重だ。厳戒態勢がとられている理由は、普段以上に人の出入りが激しいため。この警備は主に近衛隊が担っている。
騎士団は式典時の警備や、町の警備を担っている。今日のケイリスは特に警備に忙しい。
午後の式典が始まれば騎士にハンカチを渡す時間などない。だからこそ、令嬢たちは昼時を狙い押しかける。
といっても、騎士団に出入りできるわけではない。忙しく出入りする騎士たちを見つめつつ、意中の相手を捜し、声をかけるのだ。賢い者同士は事前に時間と場所を決めることもある。が、当初の純粋な想いから始まったものとは異なったこの風習では、押しかけが非常に多い。
「シャルベル様~! 私のハンカチを受け取ってくださ~い!」
「体に活力を与えるという素晴らしい薬をシャルベル様のために手に入れましたの! ハンカチと一緒に受け取ってください!」
「想いを込めて作りましたの! 受け取ってくださいませ!」
聞こえる歓声に、シャルベルは隠すことなくため息を吐いた。
普段、騎士団の鍛錬場で試合をしているときもそうだ。見学に来た王宮メイドやら侍女やら貴族令嬢やらが、ああいうふうにきゃあきゃあと声を上げている。
応えたことなど一度もない。応えようと思ったこともない。ああいうものには参っている。女性に積極的に関わろうと思えなくなった一因かもしれない。
(婚約者のいる男に堂々と……)
肝が据わっているとむしろ感心する。品がなさすぎて呆れかえる。
シャルベルが二度目のため息を吐いたとき、休憩に入ったのか、ケイリスとルインが近づいてきた。
声をあげる令嬢たちに見つからないよう騎士団棟の陰に隠れているシャルベルは、二人にすぐに気づいて視線を向ける。
「人気者ですねえ。副団長」
「ハンカチ、受け取らないでくださいよ。ラウノアがいるんですから」
「当然だ」
「そんな勿体ない! 俺にも分けてほしい」
口角を上げたルインが歓声が聞こえる方向を見遣る。面白がっているような表情にシャルベルは眉根を寄せた。
しかし、そんなシャルベルを気にせずルインは隣のケイリスを見る。
「おまえ、もらった?」
「いーえ」
「だよなあ。モテる男はいいよなあ」
「「いいよなあ」」
わざとらしくシャルベルを見て言う二人に、無言のシャルベルの手が動く。
がしりと頭を鷲掴み、氷と評判のその眼光で二人を射抜く。
「何が言いたい」
「いだだだだっ! ななな、なんにもです!」
「では、このままおまえたちをあの眼前に放り出してやる。うまくいけばハンカチでももらえるだろう」
「だだだっ! 誰にももらえない未来しか見えませんけど!?」
とりあえず、シャルベルは二人から手を離した。頭を抱えて蹲る二人を呆れとともに見下ろす。
どうやら二人にとって、ハンカチを贈らせてと声を上げている令嬢たちがいることは魅力的に見えるらしい。が、それは傍目に見ているからだ。
当事者ともなれば、また違う感情もある。
「なにが、いいな、だ。どこにそう思える要素がある。所詮は人の表面を好むだけ、下心だらけ。ああいうものには参っているんだ。誰がつくったのか知らないが、全くもって迷惑な風習――」
頭を押さえた二人が視線を上げている。それとは別に、近づいてくる気配。ここに近づくのは騎士であり、おそらくは自分への報告。
だからシャルベルは、世間話をしているように言いながら、そちらに視線を向けた。
やってきた同僚。その一歩後ろを歩く、部下の兄と、綺麗な銀色の髪の婚約者。
ぴたりと止まった歩み。自分を見て見開く銀色の目。その手に見える白い布地。
目の前に映った光景を理解したとき、ふっと息を呑んで、一瞬呼吸が止まった。
ラウノアの傍に見えるレリエラが困ったような、責めるような顔をしている。それがなぜなのか理解するより先に、ラウノアが胸の下で組んだ手をきゅっと強く握り、視線を下げ、唇を震わせ――開いた。
「――レリエラ様。案内してくださり、ありがとうございました」
「いいえ。……ラウノアさん。あのね」
「せっかくご案内くださったにも関わらず……申し訳ありません。わたしは思い上がった行動をしていたようです。どうか、わたしの至らなさをお許しください」
「そんなことはないわ。ただ……」
「失礼いたします。――クラウ様」
「……分かった」
言うや否やラウノアはさっと身を翻し、ドレスの裾を軽く持ち上げ足早に去っていく。その後ろをクラウは悠然と歩きながら追う。レリエラが止める暇なく、止めようとする言葉さえ遮り、ラウノアの姿は小さくなっていく。
残された騎士たちの間に落ちる沈黙。すぐになんてことなく口を開いたのは、去っていったラウノアの背を見ていたルイン。
「へえ。あれが副団長の婚約者……。――ま、もう嫌われたかもだけど」
「……」
「あれ? 副団長生きてますー? いいんですか?追いかけなくて」
ラウノアはおそらくハンカチを持ってきてくれたのだ。
騎士団棟前には令嬢たちが詰めかけているから、レリエラがこっそり案内してくれたのかもしれない。シャルベルは出てこないとレリエラはよく知っている。
だが、突然去ってしまった。
「……追いかけて、どうすればいい。俺は――」
「うだうだ言ってないでさっさと追いかけてくださいよ!」
途端、ルインの隣で震えていたケイリスが声を張り上げた。頭の痛みなど消え失せたのか、立ち上がり、シャルベルを睨みつける。
その声と迫力にシャルベルもレリエラも視線を向け、ルインは「びっくりしたあ」と肩を跳ねさせた。
「副団長がこの風習をどう思ってんのかなんて、ってか嫌いなんだなってことはなんとなく分かりましたけど!でも! ラウノアは副団長のためにハンカチ作ったんです! 副団長はちゃんと、その気持ちを受け取ってください!」
まくし立てられる言葉の迫力は、反論など許さない。
ただモテる男への僻みではなく、妹の想いを大切にする兄が、そこにいた。
ケイリスは、シャルベルがラウノアに婚約を願った真意など知らない。しかし、これまでシャルベルに婚約者がいなかったことは知っている。
「それとも、副団長は集まってる令嬢たちもラウノアも一緒だって言うんですか!? 副団長のラウノアへの気持ちはそんなもんなんですか!? ラウノアのこと好きだから、婚約してくれたんじゃないんですか!」
その言葉に、シャルベルは咄嗟に反論しようとした。
違う。全く違う。ラウノアは他の誰かとは、違う。
彼女だから婚約したいと、そう思えた。
(ただ、彼女ならと思った。俺は――)
ラウノアといるのは心地がいい。他の誰かでは感じなかった、もう少し居たいという想いを、二人で過ごして感じた。
お喋りではない彼女は適度に沈黙を保ち、自分のことをよく見て、言葉をかけてくれる。不意にこぼれる笑顔は自分の心も柔らかくしてくれるようで。
「……すまない、ケイリス」
「謝る相手は俺じゃないですから」
ふんっと鼻を鳴らす部下を見て、シャルベルはすぐに走り出した。
そんなシャルベルをルインは「ふうん」と息を漏らしながら見つめ、ケイリスはやれやれと肩を竦める。
「まあまあ、困った人ね」
去っていく背中を見つめ、レリエラはそれでも笑みを浮かべた。




