4.竜の気まぐれ
気にならないと言えば、嘘だ。
ヴァフォルがどういう竜なのか。竜たちがどう過ごしているのか。知りたい気持ちもある。
自分と同じ気持ちを抱いているだろう人を、知っているから。
(騎士団には竜に懐かれている人がいる。それなら――)
近づかないようにする。婚約者の相棒である、ヴァフォル以外には。
ヴァフォルはどうあっても遠ざけることはできない存在だ。もちろん、必要以外に近づくつもりはないけれど。
ちらりと隣のシャルベルを見れば、シャルベルは気まずそうに、謝るように、視線を外していた。
そんな姿に、少しだけ頬が緩む。
「では、その……少しだけ」
「ああ」
長く感じたような短く感じたような沈黙から返ってきた答えに、シャルベルは快く頷いた。
二人の足が竜舎へ向かう。
竜舎の周囲には樹々も花もない。花が咲き誇る庭から一気に周囲が変わり、まるで周りが草原であるかのような風景に変わる。二人の足元も、石畳から土と草に変わった。
シャルベルが竜使いになり、建てられた竜舎。周囲の草が短く刈り揃えられているのは、ヴァフォルが外に出たときのためだ。
太陽の下で身体を伏せられるように。少しは歩けるように。そう考えて竜舎の周囲は整えられている。もっとも、騎士団の竜舎ならいざ知らず、屋敷では見知らぬ者が多いのでヴァフォルもあまり出てはくれないのだが。
竜舎の周囲は剥き出しの地面もあり、大扉の前だけは石が敷かれている。
その上を足音をたて進み、シャルベルは大扉から舎内を見る。その隣からラウノアも中を覗いた。
「……機嫌が悪いな」
無意識のようにシャルベルがそうこぼし、肩を竦めて息を吐いた。それを聞き、ラウノアも否定はできず返す言葉に困った。
剥き出しの地面が広がるそこには、大扉から入って自由に動ける空間と、木の檻で区切られた空間がある。
竜舎用の掃除用具や、藁を積み上げた木の箱、騎乗用道具などが置かれており、日々シャルベルがヴァフォルの世話をしている様子がうかがえる。そして、開いている木の檻の向こうには、入り口に背を向け伏せているヴァフォルの姿がある。
自分たちが来たことには気づいているだろうにこちらを見ようともしない。無言の抗議なのか、尾で藁をぐしゃぐしゃにした痕跡が残っている。
相棒竜の子どもじみた拗ね方から機嫌を読み取り、シャルベルはすぐに判断を下した。
「竜の機嫌が悪いときに近づくのはあまり勧めない。ここからでも構わないか?」
「はい。充分で――」
ごそりと、拗ねた塊が動いた。
ラウノアもシャルベルも思わず視線を向ける。
入り口を振り返り、ヴァフォルがその身を起こす。
竜舎は竜の体に合わせて造られている。なので、竜が立ち上がっても高さは充分にある。高い位置にある窓から射しこむ光がヴァフォルの白い鱗を輝かせる。
拗ねていたのが一転、こちらをじっと見るヴァフォルの挙動にシャルベルは気づかれぬようラウノアに一瞥を向けたが、すぐに視線をヴァフォルへ戻した。
二人の視線に、ヴァフォルが一つ、鳴いた。
訓練時に聞いたり知らぬ相手に向けるような低い声ではなく、少し高い声で。一度、二度、鳴く。
(あまり聞かない声だな。他の竜といるときに聞くような……)
しかし、今、ここに他の竜はいない。
いるのは乗り手と、かつて一度会っただけの令嬢。
「……近づいて、みるか?」
少しだけ迷いと疑念を抱きつつ、問うてみる。
シャルベルの問いにラウノアは少しだけ瞼を震わせながらヴァフォルを見て、シャルベルを見た。
「――はい。お許しいただけるなら」
少しだけ迷うように答えたラウノアを見て、シャルベルはその目を細めた。しかし、すぐに自分が前を歩いてラウノアを案内する。
後ろをついてくるラウノアの気配を感じながら、シャルベルは視線を少しだけ下げた。
(もう二度も近づいているから平気かと思ったが……いや。自分から竜に近づくのは初めてだろうから緊張させたのだろうか? 気軽に提案してしまったか? 竜は人を傷つけることはないとはいえ、万が一はある。それを恐れても仕方ないが、もしやラウノア嬢も……)
よくよく思い出せば、たまに騎士団の練習試合などを見にくる王宮侍女たちも竜よりも騎士を見にきているという雰囲気だ。竜の威嚇を受けたり咆哮を聞けば、近づこうとしない人もいるし、他者の背中に隠れようとする者もいる。
となると、自分は拒めない提案をしてしまったのでは……? ラウノアは平気そうだとはいえ、これは婚約者にするべき行動だったのか?
「……ラウノア嬢」
「はい」
いきなり足を止めたシャルベルに続いて足を止めたラウノアはその逞しい背を見上げた。と、ゆっくりとその背が流れ、代わりに、端正だがどこか困惑の様子を感じさせる相貌が視界に入る。
「その……もし、俺が無理強いしているなら、遠慮なく断ってくれ。いくら俺が竜使いとはいえ、婚約者を嫌々竜に近づけるのは……。懐かれているかもしれないとしても、怖くはないだろうか? それに……君は竜に興味があるのだろうか……?」
躊躇いがちに出された言葉に、ラウノアはぱちりと瞬いた。
シャルベルを見ると、視線を外し、大きく動かさない表情が少し気まずそうに崩れている。
誠実で、真面目で、隙のない騎士。文句のつけようのない公爵子息。
そんな彼が以前も一度見せた、人との関わりに迷うような一面。
そんな顔を見て、無意識に口許が綻んだ。
「シャルベル様。大丈夫です。無理強いなどではありません。わたしは、わたしの意思で足を運びたいと思ったのですから。それに、わたしは竜に興味がないということも、恐ろしいと感じることも、ありません」
ラウノアの穏やかだがしかとした声がシャルベルの耳に届く。そして、ゆっくりと目を瞠った。
そんなシャルベルを見て、ラウノアは少しだけ首を傾げる。
何か、おかしなことを言っただろうか? もしや、竜に興味があるというのは余計な一言だっただろうか?
「……そうか。それは……よかった」
「あの……わたしは何か失礼を……?」
「いや。その……俺も、ラウノアと、呼んでいいだろうか?」
また、ぱちりぱちりと瞬いた。
そして、そういえば……と思い出す。
ラウノアはこれまでシャルベルを「ギ―ヴァント公爵子息様」と呼んでいたし、シャルベルも「ラウノア嬢」と呼んでいた。婚約者同士としては少々、他人行儀とも思える呼び方で。
ラウノアは別段、そこに思うことはなかった。婚約者であっても、あまりにも相手は高位の人物だ。表向きは礼儀正しく呼んでいたが、二人だけの状況で胸の内での呼び方が表に出てしまったらしい。
(……なんだか、恥ずかしい)
これでは、自分は心の中ではいつも親し気に呼んでいたみたいではないか。
「はい……。その、婚約者ですので、あまり他人行儀なのも……。申し訳ありません。わたしから名でお呼びするなど」
「構わない。それに、言おうとは思っていた。慣れた呼び方が一番いいだろう?」
「はい」
心なしか、シャルベルの気まずそうだった表情が普段のものに戻っているように思う。
きっと、騎士団では「シャルベル副団長」などと名で呼ばれているからそれに慣れているのだ。他人行儀では気になって、改めさせようと思うだろう。
それを認めつつも、少しだけ羞恥を感じたラウノアは視線を外した。
「――あ」
「……?」
外した先で見えたものに、思わず声が出た。ラウノアの視線の先が自分の後ろに向いているのが分かり、シャルベルも振り返る。
檻から一歩足を出す、待ちきれない様子のヴァフォルがいた。ゆらゆらと尾を揺らし、先程までの不機嫌はどこへいったと思わず問いたくなるほど機嫌よさそうに。
しかも、足が一歩檻から出ているのがシャルベルに見つかり、思わず足を引っ込め、代わりに首を出そうとする。
「おまえは……聞き分けがいいのか、まだまだ子どもなのか……」
ラウノアに近づいて叱られたヴァフォルだ。忘れていないらしい行動は忠実な竜らしいともいえるが、我慢できていないさまは子どものようでもある。
ため息とともにこぼれた言葉にラウノアは思わず小さく笑ってしまった。それを見てシャルベルは肩を竦める。
二人から感じられる空気はそれまでよりもずっと親し気で軽くなる。ヴァフォルもそれを感じたのか、ゆらりと尾を揺らした。
そんな相棒を前に、シャルベルはラウノアを待たせて、先にヴァフォルの元へ向かう。
まっすぐヴァフォルを見つめながら、掌を下にさせ空気を押し下げるような合図を送る。それを見てヴァフォルは膝を折り、身体を伏せた。
翼をたたみ、ヴァフォルはじっとシャルベルを見る。シャルベルもその視線をまっすぐ見返した。
「ヴァフォル。ラウノアが近づくのを許してくれるか?」
乗り手の問いに、ヴァフォルが一つ喉を鳴らす。それが普段通りの肯定の声。
その声を聞き、唸る様子も威嚇する様子も見せず大人しく静かにするさまに、シャルベルは問題はなさそうだと判断を下した。何かあれば間に入るつもりだが、ラウノアは竜という生き物をよく解っているようであり、竜を怒らせることもしないだろう。
大人しい相棒を見て、シャルベルは振り返った。
「ラウノア。問題ない。こちらへ来るか?」
「はい」
乗り手の許可に、ラウノアはゆっくりと歩みを再開させた。
剥き出しの地面を進み、木の檻へ近づく。ヴァフォルが出入りできるように開いており、シャルベルはそこからヴァフォルの空間に足を踏み入れ、ヴァフォルもラウノアを見つめている。
人が動く空間とヴァフォルの空間。ヴァフォルの空間の前に立ち、ラウノアはヴァフォルを見上げた。
これほど近くで竜を見るのは初めてだ。ベルテイッド伯爵邸でも公爵邸に到着したときも、間には人がいて、手を伸ばせば触れられるような距離ではなかった。
ふわりと、ヴァフォルがラウノアに顔を寄せる。無意識に、その口元に手が伸びた。
竜の鱗は硬い。そして、生きているぬくもりが感じられる。
近くで見る白い鱗は、日頃から磨かれているのだろうと分かるほどに綺麗に輝いている。同色に近い灰色の瞳は、まっすぐ自分を見つめている。近いから、その瞳に映る自分の姿が見えた。
その目が閉じられ、少しだけ擦り寄るように身を寄せる。その力をそっと受け止めた。
(……ごめんね)
近づいてあげることが、できない。
目立たず平穏で、いなければいけないから。
ヴァフォルの目がゆっくりと開かれラウノアを見つめた。けれど、ラウノアはそれに気づかない。
鱗に触れるぬくもり、確かな鼓動。乗り手よりも小さな手から感じるそれに、ヴァフォルは頬をすり寄せた。




