22.扉の向こうに
♦*♦*
王都にある、ギ―ヴァント公爵邸。
空にある太陽が傾き、オレンジの光から黒に代わる頃、シャルベルは帰宅した。
帰ってすぐ自室で上着を脱ぎ、ソファの背にかけると、自身はソファに腰を下ろした。同時に口からこぼれるのは、小さな疲労の吐息。
(夜会での件は終わった。明日からは通常警備と鍛錬、それにヴァフォルとの訓練……ああ、古竜の件が残っているな。それに建国祭の準備がある)
頭の中ですぐ、今後の予定を組み立てる。騎士として忙しい身は、あいにくと社交に勤しむ余裕などない。夜会の予定が入れば息抜きの時間などありはしない。
それは弟も同じなのだが、王女殿下付き近衛騎士である弟――レオンは、王女が参加する茶会にも護衛のため付き従っているので、仕事と社交は同時に行っているようなもの。当然、仕事優先だが。
レオンもまた、シャルベル同様に女性に囲まれることが多い。しかし、当人は穏やかに当たり障りない対応をしているので平気そうに見える。さすがとしか言いようがない。
考えていればすぐに夕食に呼ばれる。シャルベルは重い腰を上げ、自室を出た。
夕食の席。すでにそこにいるのは、両親であるギ―ヴァント公爵夫妻と、弟のレオン。シャルベルが席に座ると食事が運ばれ、一家の夕食が始まる。
公爵家の食事に不足ない料理長の腕。食器も美しく磨きあげられ、テーブルクロスには皺もシミもない。両親は仲睦まじく会話を楽しみながら、時にはそこにレオンも加わる。時に向けられる言葉には、シャルベルも答える。
そうして流れる時間の中、不意に、レオンがシャルベルを見て僅か声を潜めた。
「兄上。夜会前の例の話は、どうなったのですか?」
「例の……?――ああ、あれか」
正直に言う。夜会の騒ぎですっかり忘れていた。
とは、レオンには言えず、シャルベルは一瞬口を噤むと僅か渋面を浮かべた。そんな兄にレオンは苦笑う。
弟の反応になにも言わず、シャルベルはちらりと父親を一瞥した。
母との会話を楽しんでいる父は、まだなにも言ってきていない。緊急の仕事が入ったことは承知しているはずだ。だからこそ、なにも言わないのだろう。
しかし、その仕事もやっと終わった。ずっと、答えを待っているはず。
「父上」
「なんだい。シャルベル」
父であるギ―ヴァント公爵の目がシャルベルに向けられる。その目は知っているとおりの、穏やかなもの。
けれど、その目がどこか少し緊張しているように見受けられ、シャルベルはけれど、気づいた様子など出さず、先を続けた。
「先日の、俺の婚約者の件なのですが」
「! うん。どう? 望む人はいた?」
やっときた、と言わんばかりの声音と表情。それは母であるギ―ヴァント公爵夫人も同じようで、表情が明るくなったかと思えば、少しそわそわとしだす。
両親のそんな様子を見つつも、ここまで長引かせたのが自分である自覚もあるので、追及することなくさらさらと続け……
「相手に関しては、父上の思う――」
――かけて、不意に、夜会で見た横顔が脳裏にちらついた。
夜空の下で輝いていた、銀色の美しい髪。控えめで、慎ましいけれど、まっすぐな、意思を強くもつ瞳。
話をして。普段なら早く去りたいと思う気持ちは、全く、そんなことを思わなかった。
意思を知り。覚悟を感じ。けれど、力が抜けたように笑う顔を見て。
ほんのわずかな時間しか、言葉を交わしていない。
けれど――……
「シャルベル……?」
突然黙り込んだシャルベルに、両親も弟も視線を向ける。控える使用人たちも、一向に婚約者を探そうとしない子息の言葉を、内心はらはらと待っている。
そんな視線を受けながら、シャルベルはギ―ヴァント公爵を見つめた。
「父上。一人、打診したい令嬢がいます」
「! 分かった。それじゃあ早速、その方の元へは明日にでも伺うとして。お名前は?」
さくさく進める気満々で、ギ―ヴァント公爵が肝心の相手の名を問う。
父の行動に待ったをかけようとしたシャルベルだが、明日が休日になっていたのを思い出し、なんとも言えず、一度息を吐く。
そして、全員が知りたがっているその名を、口にのせた。
♦*♦*
ウィンドル国でも有数の名家の当主、ギ―ヴァント公爵が訪れた。
ラウノアはそれを、自室で寛いでいたときにマイヤから教えられた。思わず、手に持っていた刺繍の布地から視線を上げてマイヤを見れば、傍にいるイザナの視線も驚いたようにマイヤに向いているのが分かる。
今日は朝から穏やかな陽射しが降り注いでいる。貴族たちは社交に勤しんでいるだろうが、夜会の件からラウノアへの誹謗を気にしたベルテイッド伯爵夫人がそれなりに大きな場への参加を少しだけ見合わせている。かといって、参加しませんというわけにはいかないので、これから少しずつ出ていくつもりだ。
それはラウノアも了承済み。なので、今日は時間があるうちにやりたいことをやっていたが、その手が止められた。
二人に驚愕の視線を向けられたマイヤも、ラウノアの傍で刺繍糸を片付けながら続けた。
「私も先程聞いた話なのですが、なんでも、旦那様と重要なお話があるそうで」
「公爵家の当主と重要な話……。旦那様はすごい方なのですね」
瞳を輝かせるイザナの傍で、ラウノアも驚きから抜けられずにいた。
以前、領地の屋敷にいたときも、ギ―ヴァント公爵子息であるシャルベルが来訪した。現当主と次期当主と交流があるなら、それは伯爵家として相当に強力な繋がりとなる。
が、驚きから立ち直ったラウノアは内心で首を捻った。
(伯父様は、以前シャルベル様がいらしたときも、王都に来てからも、そんなご様子はなさっていなかったけれど……。水面下での繋がりなのかしら?)
そうならば、堂々とひけらかすものではないだろう。しかし、ギ―ヴァント公爵がわざわざ屋敷に来ている。
よほどの用件なのだろうかとラウノアが首を傾げたとき、部屋の扉がノックされた。
「どうぞ」
部屋主であるラウノアの許可で扉が開けられる。そこには、隙なく執事服を着こなすガナフがいた。
ラウノアの執事であるが、今では屋敷で他の執事とも仕事をし、ラウノアのことでベルテイッド伯爵とやり取りもする優秀な執事は、ラウノアに恭しく頭を下げた。
「お嬢様。旦那様がお呼びです」
「伯父様が? だけど……今はギ―ヴァント公爵様がいらしていると聞いたわ。わたしは行くべきではないと思うのだけど……?」
「いえ。それを含め、お嬢様にいらしてほしいとのことでございます」
そこまで言われては行かぬわけにはいかない。
少々腑に落ちない心地ながらも、ラウノアは刺繍布や道具を机に置いた。
「戻ってから続きをするから、置いておいて」
「「承知しました」」
今は、ベルテイッド伯爵家の面々に贈る刺繍をしていた。迎え入れてくれた感謝と、夜会の件で迷惑をかけた謝罪を兼ねて。
苦手ではない刺繍だが、慎重に針を進めれば時間もかかる。欲しい材料もあるので今後買い足しにも行きたいが、もう数日は先になりそうだ。少しでも早く完成させたいが、何事よりも優先させることはできない。
ラウノアはガナフを先頭に、後ろにアレクを伴い部屋を出た。
「お嬢様」
「なに?」
「――少々、お覚悟を」
不意に出たのは、ラウノアやアレクだけに聞こえるように潜め、それでいて真剣な声音。
アレクは僅か視線を動かし、ラウノアもちらりとガナフに視線を向ける。しかし、後方からではその表情を知ることはできない。
「……嫌な話?」
「いえ。私の杞憂ならばよいのですが……そうでなかった場合、覚悟が必要かと。ギ―ヴァント公爵様だけでなく、ご子息、シャルベル様もご一緒です」
「シャルベル様が……?」
なおさら、自分への用件が思いつかない。
ラウノアにとって、公爵家や竜使いであるシャルベルは、できるならばあまり近づきたくない相手だ。しかし、夜会での件から、個人としては好感を持てる人物であるとも感じている。
しかし、やって来る相手を拒むことはできない。あちらの方が圧倒的な身分をもっているのだ。
だから、そつなく、穏便に、何事もこなしていかなければいけない。
(ガナフがそう感じたのならそうなのだろうけれど……、どうしよう)
相手の話の内容が分からなければ対処はできない。あまりの無理難題ならばベルテイッド伯爵の知恵を借りるのも手だ。しかし、相手は公爵。こちらの意思が通るとは限らない
それに、ガナフの目は確かなものだ。いくつかの情報を持っているからこそ、そう判断し警戒を促してくれている。頼れる執事は、そうしてこれまで何度も心に冷静をくれている。
ふっと小さく息を吐く。どちらにしろ、穏便に、だ。
応接室の前に到着し、ガナフがラウノアの到着を告げた。中から入室許可が下り、ラウノアはアレクを外で待たせ、ガナフと室内へ足を踏み入れた。
「失礼いたします」
開かれた扉の向こうに見えた、ベルテイッド伯爵と伯爵夫人、それに対するギ―ヴァント公爵と、子息シャルベル。
四人の姿を確認しつつ、そっと視線を下げたまま、ラウノアは四人のもとへ歩みを進める。そして、僅か距離を開け、上品に礼をした。
「お呼びと伺い参りました。ラウノアにございます」
「呼びつけて悪いな、ラウノア」
ベルテイッド伯爵夫人がすぐさま立ち上がり、ラウノアの傍に立つ。ラウノアに向けるいつも通りの優しい瞳の奥に戸惑いが見えた気がして、ラウノアはガナフの言葉が的中しているのだと感じた。
自然と緊張が走る。ベルテイッド伯爵だけでなく、夫人にまですでに話がされている様子。それも、あまりいいものではなさそうだ。
ラウノアの緊張した胸中など知らず、ベルテイッド伯爵は目の前の客人を紹介する。
「ラウノア。こちらは、ギ―ヴァント公爵だ。シャルベル様のことは知っているな?」
「はい。ギ―ヴァント公爵閣下。ギ―ヴァント公爵子息様。ようこそ、おいでくださいました」
挨拶をするラウノアをじっと見つめていたギ―ヴァント公爵は、その瞳を和らげ、ラウノアをソファに促した。
ベルテイッド伯爵夫人と腰を落ち着けたラウノアは、四人がそれぞれまとう空気に内心首を傾げた。
ベルテイッド伯爵夫人は、先程のように戸惑っているような空気を。伯父であるベルテイッド伯爵は、戸惑いというよりも、険しさを表情にのせているように見受けられる。
それに対するギ―ヴァント公爵は内心が読めない微笑みを浮かべ、シャルベルは口を真一文字に引き結んでいる。
すぐに四人に視線を向けそれぞれの空気を感じたラウノアは、あまりのちぐはぐな空気に一層に首を捻った。




