21.それだけで十分です
「親父、そろそろ」
「ああ、分かった」
トルクは現在、屋敷での謹慎が言い渡されている。マクライ王に正式な許可を受けて、ケイリスという監視付きで王城にまで足を運べているのは、ベルテイッド伯爵の嘆願あってのことだ。それも長く許されたものではない。
なので、ケイリスの合図にベルテイッド伯爵もトルクもすぐに立ち上がった。
一足先に部屋を出ようとするトルクの背を、ベルテイッド伯爵は静かに見つめた。
恐らく、ターニャたちの行いは彼女たち自身が償うことになるが、トルクにも少なからずの罰が下るだろう。恐らくは少々の謹慎だろうと思われるが、カチェット伯爵家が絶えることになる以上、そこを含めての沙汰が下ってもおかしくはない。
ベルテイッド伯爵家として、そんなトルクを今後匿うことはできなくはない。しかしそれは、ラウノアやトルク自身が今後も周囲からの責め苦を受けるようなもの。なにより、それをトルクは望まないだろう。
「トルク」
それでも思わず、呼び止めた。そんな兄の声音にトルクも振り返る。
「……私の手が助けになるならいつでも言え。いいな?」
念を押すような声音に、トルクは一瞬驚いて、けれどすぐ泣きそうな笑みを浮かべた。
「ありがとう、兄さん。それならその……一つだけいいかな?」
「なんだ?」
「その……兄さんは今後、きっと、ラウノアの婚約者を決めたりもすると思う。だけど、できれば、ラウノアに決めさせてあげてほしい。ルフもそうするつもりだったみたいだから。ラウノア自身が決めないと、意味がないんだって」
出てきた頼みごとに意表を突かれつつも、ベルテイッド伯爵はトルクを見つめて頷いた。
「分かった。必ずそうする。私もおまえと同じように、ラウノアには幸せになってほしいからな」
「ありがとう」
ほっとしたような笑みを浮かべて、トルクがケイリスとともに部屋を出ていく。
その背中を、見えなくなるまでベルテイッド伯爵は見送った。扉が閉まり、部屋が静けさに包まれる。
(トルク。おまえは本当に……最後まで――)
ぎゅっと握った拳が痛かった。
静かな室内を歩き、ベルテイッド伯爵は、廊下に出る扉とは別の、隣室へ繋がる扉の前に立った。ほんのわずか開いている扉をそっと押せば、難なくその扉は隣室への道を開ける。
開いていく扉は、その向こう側、先程までの会話が聞こえる位置に立つ、ガナフ、マイヤ、イザナ、アレク、そして、扉のすぐ傍に置かれた椅子に座る、ラウノアの姿を見せた。
会話は聞こえていただろう、誰も、なにも言わない。ガナフやアレクは表情を変えず、マイヤは少し瞳を揺らし、イザナは戸惑いとも怒りともとれない表情を見せていた。
そんな顔を見てから、ベルテイッド伯爵はラウノアに視線を向けた。
「ラウノア」
俯いて、顔が見えないラウノア。それでも呼びかければ、ぴくりと肩が跳ねる。
それは少しだけ、怯えたときのトルクと似ていて、ベルテイッド伯爵は懐かしさから少しだけ口角を上げた。
ラウノアの隣に置いた椅子に腰かけるベルテイッド伯爵の動きを感じつつも、ラウノアは顔を上げられずにいた。
膝の上でぎゅっと拳をつくり、耳の奥には先程までのトルクの言葉が何度も蘇る。
「大丈夫か?」
「はい……」
「驚いたな。だけど、トルクの本心を聞けてよかった。最初から最後まで一貫してブレない弟で、その強さには、情けないが圧倒されたよ」
そう言って、ベルテイッド伯爵は肩を竦めた。けれどすぐ、その視線を、立っている面々の中の一人に向けた。
トルクの言葉を聞き、どこか確信を得たような声音が、その口から放たれる。
「ガナフ。おまえはトルクの本心を分かっていたんじゃないか? だから、ラウノアがベルテイッド伯爵家に来るかと迷っていたとき、あれほどあっさり促したんだろう」
その言葉に、ラウノアははっと顔を上げてガナフを見た。
同僚たちの視線も受けつつも、ガナフは品よく微笑み、首を横に振った。
「買い被りにございます。私が感じていたのは、トルク様がお嬢様を嫌ってはいないということ。お嬢様がカチェット伯爵家を出ることが最も安全であり、トルク様の必死な意思だということ。ただ、それだけでございます」
そう言い、ガナフは言葉もなく自分を見るラウノアを見て、恭しく頭を下げた。
「お嬢様。お伝えせず申し訳ありませんでした。しかし、私が言葉を尽くしたとて、トルク様が語られなければ意味がない。故に、私の憶測を申し上げることはできませんでした」
「……そう、だったの」
なんとかそう伝え、ラウノアは再び項垂れた。
何かを考えようとしても、頭が上手く動いてはくれない。
(父様は……父様は、私のこと……)
ただ、それを知れただけで、満足だ。
ずっと、もう嫌われてしまったから目も合わせてくれないのだと思っていた。
嫌われて。どうでもいいと思われて。母を失い父は変わったのだと。心は変化するものだから。
だけど、違った。
昔と変わらない、優しい父だった。
ぽたりと、ラウノアの膝の上に雫が落ちた。
それを認め、すぐさまマイヤが駆け寄り手巾を出すが、ラウノアはふるふると首を横に振った。
一度溢れてしまっては、もう、止まりそうにない。
(怖いと思われても仕方ない。父様は怖がりな人だから。……それでも。そう思っていても、ずっと、守ってくれようとしていた)
結局自分は、そんな気持ちを知らずに、一人寂しさを抱いていた。
会いたい。でも、会えない。
会ってもきっと、怖がりな父はまだ、目を合わせられないだろうから。
それでもいつか……。いつか。ちゃんと、もう一度。
自分が死ぬまで、怖いと思われても。
(それでも、願ってもいいですか……?)
遠目に見るだけでも、いいですか?
ありがとう、と、ごめんなさい、を、伝えにいってもいいですか?
「ふっ……うっ……」
堪えきれず漏れ出た嗚咽に、ベルテイッド伯爵がそっと静かにラウノアの背に手を添えた。
♦*♦*
後日。夜会での一件に正式に沙汰が下った。
ラウノアを弑そうとしたターニャたちは、法に則り、牢に入れられた後、王都から離れた教会へ連行される。メルリとマーキは下働きとしてどこかの厳しい家で働かされることが決定した。
そして、トルクには監督不行き届きとして、謹慎が申しつけられた。謹慎が解けた後は、カチェット伯爵家当主代理としての立場に戻るが、後継のいないカチェット伯爵家は今後、王家直轄地としての管理下に置かれることが決定した。トルクはそれまでの期間、領地のことなどを引き継ぐ準備に入ることになる。
「陛下はやはり、カチェット伯爵家を存続させる気はないということか……」
ベルテイッド伯爵邸の談話室において、ベルテイッド伯爵は王家の決定を家族に伝えた。
跡取りがいなくなることは分かっていたこと。しかしそれでも、クラウは苦々しい想いでそうこぼした。
それを聞き、ラウノアも微かに視線を下げる。
「中には、トルクが養子を取り存続させるべきだという声もあったようだが、陛下はお決めになられたそうだ」
ベルテイッド伯爵も、その声音に僅かな寂寥を滲ませる。
カチェット伯爵家は平均的で平凡な家。これまで大きな問題もなく領地を治めていた。それが、家の者ではない者の、身勝手な行いで、終焉を迎える。
その事実に、ベルテイッド伯爵家の面々の空気が少し重くなる。
「――これで、よいのです」
「ラウノア……」
「領民に迷惑をかけることは心苦しくありますが。不変などない。それが、未来へ向け進むということだと思います」
失われるものに縋っても仕方がない。進まなければ。
それに、父が、家よりも守ろうとしてくれたことが、これからを生きる力になる。
静かな決意を表すラウノアの瞳に、ベルテイッド伯爵もクラウも、微かに口角を上げて頷いた。
「しかし、ラウノアには少し、これからの社交界は気まずいかもしれないね」
「そうですね……」
ココルザードの懸念は、ベルテイッド伯爵夫人も同じように抱いていた。その不安要素に夫人も眉を寄せる。
が、その不安は、王城で働くケイリスの言葉が晴らした。
「それ。俺、ちょっと話に聞いたよ」
「どういう話だ」
「同僚の妹が聞いたって話なんだけど。今回の件、カチェット伯爵家を乗っ取ろうとしたターニャたちが後継のラウノアに手を出そうとしたけど、ラウノアに抵抗されて失敗した。完全な独断行為であり、トルク叔父さんは、危害を加えるぞってラウノアを人質にされ、回避、警戒しつつも、完璧にはいかなかった。ってことになってるみたいで、もうすでに出回り始めてるらしいよ」
その話には、ラウノアも少し驚いてケイリスを見た。
それは確かに、夜会でのことやマクライ王の判断、トルクの話とも相違はない。実際に重い罰が下されたのはターニャたちであり、トルクの罰は監督不行き届きに対してのみ。
クラウもココルザードも驚き、ケイリスを見た。
「事実かい?」
「俺だって、ラウノアのことだから気になって知り合いの女性方に聞いて回ったんだよ。皆、同じように話してくれた」
「……身内相手だからじゃないだろうな?」
「それで十人以上が口裏合わせする?」
疑われて心外だと言わんばかりに口を尖らせるケイリスに、クラウも口を噤んだ。
王家の夜会であれだけの騒ぎとなった以上、噂は出回ってしまう。それはベルテイッド伯爵家の全員が覚悟していた。
しかし、表に出された真実には少々拍子抜けを感じてしまったのも事実。
「……まぁ、実際はそういう話だからな。こちらが戸惑っても仕方ない」
「そうですね」
ベルテイッド伯爵も少し思案する素振りを見せたが、最後には頷いた。それを見て、クラウやケイリスも頷く。
それが、事実なのだ。ラウノアに非はない。それが表となり出ているだけで、ベルテイッド伯爵家が被る被害も減る。
カチェット伯爵家やトルクにはどうしても非難や嘲笑は向いてしまう。しかしそれも、それだけになっていない。絶妙な加減となるよう表になったことは救いだ。
ラウノアも少しだけ視線を下げつつ、ゆっくりと呼吸した。
(よかった……。しばらくは落ち着かないとしても、それは仕方がないことだから。これからも目立たないようにしないと)
やっとベルテイッド伯爵家の面々にも笑顔が見え始め、ラウノアも微かに口許を緩めた。
ひとまず、避けられない事態は乗り越えた。後はもう、ゆっくりと過ごすだけだ。
しかし翌日。ラウノアの願いは無残に散ることとなる。




