13,それは突然に
その夜のことだった。
明日の仕事に備えて就寝してから少ししたとき、感じた気配に目が覚めた。バッと起き上がるが周囲に異変はない。
しかしなんとなく知っているような気がして、ベッドを下りてバルコニーへ近づく。
――そこに、見えた。
音をたてないよう静かに戸を開けると、フードを被ったその人物が僅か顔を上げる。
「入らないのか?」
いつもなら堂々と我が物顔で戸を開けて入ってくるのに。その足はどうしてか今日は動こうとしない。
怪訝と見ていると、フードの下に見えた銀色が僅か鋭いように見えた。
「……聞いていないのか?」
「……なにがだ?」
「……そういうことか」
チッと舌打ちが聞こえた。そして吐き出される息はまるで怒っているようでも呆れているようでもあり、それまでの鋭さが消え去った。
外套の下で腕を組んでギルヴァはシャルベルを見遣る。じっとなにかを考えているようにしばし沈黙したと思うと、ゆっくりと瞼を落とす。
そして、シャルベルにではなく、誰かに告げるような声が零れ落ちる。
「……おまえの意思は、よく似てる」
「?」
「おまえがしてほしい行動が分かった。だが俺は……同じ事はさせたくねえんだ。悪いな。――突然だが、今から行く」
「……本当に突然だな」
「ラウノアには昼間のうちに伝えておけと言っておいた。だが、やはりおまえをこれ以上関わらせることには迷いがあるんだろう」
「……」
その迷いはこれまで何度もラウノアから感じた。それでもと願って自分は一歩ずつ歩み寄った。そうして手を取ったけれど、やはり、ラウノアはそういう人なのだ。
(その迷いはきっと、これからも消えないんだろう)
例え、ラウノアの秘密を自分が知ったとしても。
だから誓った。だから自分は迷わない。
シャルベルの目の前でギルヴァはやれやれと息を吐く。
「ラウノアが望まないなら仕方がない。俺が――」
「俺も行く。そのためにラウノアの意思に反したんだろう?」
すぐさま身を翻し、寝衣を脱いで動きやすい軽装に着替える。そして腰に剣を佩く。
いつそのときが訪れてもいいように準備はしておいた。少しだけ知っている相手のあの不可思議な攻撃にどう対処できるかだけが問題だが、自分にある武器はこの剣のみ。
さっとバルコニーへ戻り、しかしすぐに困り果てた。
「行くぞ、と言いたいが、俺がここから出るのはマズイな」
「問題ない。とりあえず、これ羽織れ」
そう言って差し出されたのはギルヴァが羽織っているものと似た外套。それを受け取りばさりと身に着ける。
しかし、と眉根を寄せるシャルベルなど気にせず、ギルヴァはシャルベルの手を取った。
「行くぞ」
「は――……っ!?」
ギルヴァの足がバルコニーを蹴る。と、これまで経験したことのない浮遊感に襲われ、身体が浮いた。しかも地面に落ちていくことなくそのまま宙に留まると屋敷の敷地外へ向けて風を切る。
踏みしめる地面がない。その違和感と頼りなさにシャルベルは思わず地面を見つめ、思いの外それが遠いことにまた驚いた。
(飛んでいる……)
ありえない。なのに、それが起こっている。
自分の手を引くその人を見るが、見えているのは向けられた背中だけ。
「……こんなことができるのか」
「竜の飛行と大して変わらないだろう」
「かなり変わると思うが……。屋敷に来るのはいつもこの手段で?」
「空は竜の区域だ。俺は地を走る。まあ、塀を越えるのはこれの助けもあるが」
これまでの屋敷への侵入手段が判明した。空を飛べるならば塀を越えるなど容易いものだろう。
眼下の景色はすでに貴族街を抜け、暗闇に包まれた市街へと移っている。
「外套は夜空に紛れるためか?」
「それもある。狙いは気配を限りなく消すためだ。見つからないようにする装備はいくつか心得ている」
それは、この飛翔のような装備なのだろうか……? 考えても答えなど出ず、しかしいつもよりはあっさりと答えをくれることに少し驚かされる。
同時に、屋敷への侵入手段に加えて納得ができた。
(これはかなり重要な秘密だと思うが……)
だからラウノアは同行を承諾してくれなかったのだろうか。秘密へ近づけてしまうから。
しかしやはり、目の前のこの人物は違うようだ。
そこまで考え、はてと思い出した。
「ラウノアが毒を盛られたとき相手が分からなかったのは、まさかこれと同じことか?」
「体験通りだろうな。例の相手が、俺がおまえにしたように道具なりなんなりを渡したんだ」
「そうか……。だからラウノアはあのとき違和感を感じていたのか」
そしてそれはおそらく、自分が知らない「魔力」というもののこと。
近づいていく。ラウノアが誰にも教えない、悟らせない、秘密に。
無意識にごくりと唾を飲んだとき、ギルヴァは降下を始めた。
そこは納涼会の会場にもなった王都の外れにある草原。そこにすでに先客がいるのが見えて、暗闇の中で目をこらした。
闇夜の中ではっきり見える、灰色の髪。ラウノアの傍に常に控える護衛のアレクだ。目が合うといつもどおりの変わらない表情が向けられる。
ふわりと地面に降り立ってもギルヴァはフードを取ることはなく、ふっと息を吐いた。
「時間がないから早々に説明だけしておく。……とはいえ、まあ、簡単な話だ。おまえらは手を出すな」
「だが……」
「あいつの相手は俺がする。そのためにこうしてわざわざ動いてんだ。俺はおまえらは助けない。自分の身は守れ」
「分かった。若も気をつけて」
少しだけ納得できない気持ちがある。そんなシャルベルの傍でアレクは分かっていたかのように頷く。
それを満足そうに見つめ、ギルヴァはフードを深く被り直すと草原の中へ一人で進む。シャルベルとアレクは、ただその場に立ったままその背を見つめた。
その視線を、今度はアレクに向ける。
自分よりもギルヴァのことを知り、こんな場にも同席している忠実な護衛。
「……あの人物と、付き合いは長いのか?」
ちらりとアレクの視線が向けられ、その薄紫の瞳と合う。逸らされるかと思ったがそんなことはなく、端的な言葉が返ってきた。
「姫様に会ってから」
「元は国境で兵士をしていたらしいな。カチェット家に引き取られたと聞いた」
「……ルフ様?」
「ルフ……ああ。ラウノアの母君のことか。おまえを引き取ったんだろう?」
「家と、名前、くれた」
逸らされた目はいつもと変わらずなにを思っているのか分からない。けれど、その声音には少しだけ知らない情が込められているように聞こえた。
家と名前をくれた人。アレクにとってそれはどれほどの存在だったのだろう。
国境で兵士として過ごし、戦においても類を見ない活躍をした少年。ルフ・カチェットはなぜそんな少年を引き取ることにしたのか。――それはもう、誰も知るところにはないけれど。
「それからラウノアの護衛を?」
「ルフ様からの命令。……姫様も、若も、大事だから」
「そうか」
少しだけこの護衛のことが分かった気がした。
「今度手合わせしてくれ」
「? 姫様の命令?」
「俺からの頼みだが……。ラウノアに聞いてみるとする」
コテンと首を傾げる様子にどうしても困ってしまった。




