彼の目的
近所の行きつけの喫茶店は元自衛官のダンディーなおじ様がマスターを勤めている。バツイチで子持ちでバイを公言する彼は、今日も渋い顔で出迎えてくれた。
「いらっしゃい」
「アイスコーヒーで」
一番奥のテーブル席で、諏訪直美を名乗る男は窓ガラスを眺めながら、恐らく窓ガラスに映る自分を眺めて待っていた。
「諏訪さん」
「ああ、ここであっててよかったよ。素敵なお店だね」
笑顔の彼であるが、その正体が分からないので警戒は解けない。
「諏訪直美さん、ではないんですよね?」
「そうだね」
「何者なんですか?」
「俺は諏訪幸人。諏訪直美の弟だよ」
それが事実かを確かめる術は私にはない。そして、本当に諏訪直美の弟だったとして私に声をかけてきた意図が掴めない。しかし、次の言葉が全てを物語っていた。
「だから君の気持ちはよく分かるよ。有名人の兄弟がいると本当に大変だよね。あいつらたいしたことなんてしてやがらないのに、偉そうにふんぞり返ってちやほやされて、比較されるこっちの身にもなってほしいよね」
彼は雄弁に語り始めた。
「ほんと、勘弁してほしいよね。どいつもこいつも諏訪直美、諏訪直美って。俺の方が素晴らしい才能があるっていうのに、世間の能無しどもは理解しやがらねえ」
「諏訪さんは、何のお仕事をされてるんですか?」
「ああ、フリーのカメラマンだよ」
彼が名刺を差し出す。
「まあねえ、今度写真集の仕事が決まりそうなんだ」
嘘だ、と私は直感した。
彼はその後も兄と比較されるが自分の方がいかに有能かということを語り続けた。
「だからね、君だって思うだろ?あんな妹いなければよかったって」
アンナ妹イナケレバヨカッタ…?
ふいに、頭の中に蘇ったのは幼少の頃からの記憶だった。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん」と私の後ろをいつでもついてくる美結。小さな頃から愛くるしい顔をして、いつだってお姫様のように扱われていた美結。大きくなるにつれて比較されることが苦しくて。それでも、私は美結がいなければよかったなんて、決して、思わない。
目の前の男はベラベラと今度は美結の悪口を語っている。
私は彼の目を見つめてはっきりと言った。
「諏訪さん。私は美結の一番のファンです。あなたと傷の舐め合いする気は、一切、ありません」
彼は目を見開いて言葉を止めた。
そして、大げさにため息を吐くとこう言った。
「これだから凡人は困るんだよね」
そして、そのまま立ち上がると、店から出ていった。
おい、勘定は私持ちかよ…まあいい。これ以上、関わりたくない。
そう思って私は彼以上に深いため息を吐いた。