帰宅
美咲の家のリビング。机の上には、美咲と美咲のお母さんが向かい合って座っている。ちなみに俺は、少し離れたとこからそれを見ていた。もちろん、存在を悟られないように気を付けながら。
と、こちら側はいたって平然としているけれど、傷だらけの娘が帰ってきたばかりで、テーブルの上は少し雑然としていた。
「美咲、どうなってたの? ほんとに大丈夫なの?」
「だから大丈夫だって」
「とにかく、ランニングの時から今日何がったのか教えて」
「う~ん。なんていったらいいのかな」
美咲は、いたって普通を装っている。
「ランニングの時のは何にもなかったんだよ。ちょっと寝起きの気分がよかったこら遠くに行っただけだもん」
「じゃあ、家を出てから何があったのか教えてちょうだい」
「…………」
「どうしたの? 話せないことなの?」
「いや、話せるには話せるんだけど、あんまり話すことがないというか……」
「実は、家を出て、しばらくして何か強い衝撃を受けたんだけど、それからあとの意識がないの。気が付いたら、家の近くを歩いてた」
「そんなにボロボロで?」
「うん」
美咲のお母さんは少し微妙な表情をした。やはり、自分の娘の身に何が起こったかは気になるだろう。
「美咲、痛くないの? そんな体で」
自分の体をあらためて見回した。すりむいていたり、打撲っぽくなっていたり、少なくとも現代の女子高校生として健全な女の子の体とはいいがたい状態ではある。
「ちょっと、痛いかな。けど、気にするほどじゃないよ」
実際に、気にすることはない。幻術の効果が表れ始めれば、最初から何もなかったようにきれいに治る。もちろん、それまで絶対安静は必要になるけど。
「子どものころから時々無茶して帰ってきたけど、今日ほどじゃ無茶苦茶で帰ってきた日はなかったわ」
どうやら、前科があるらしい。
「とにかく、大丈夫だから。もう、二階に上がるね」
「…………そう」
そう言って、美咲は席を立った。
「美咲」
部屋を出ようとして、美咲は呼び止められた。
「今は話したくないならそれでいいわ」
「その時が来たら、話せるかもしれないけど……。けど、まだ何が起こってるのか……私もわかんないから」
「とにかく、美咲が無事でよかった」
美咲は笑って、部屋を出た。ドアを開けたまま。
「それで、あなたは誰?」
美咲の母は、言った。
……誰に?
「美咲と一緒に入ってきたわね。姿は見えてないようにしてるみたいだけど、気配でわかるわよ」
俺のこと、ばれてるのか。けど、どうやって?
今俺は姿どころか、俺にかかわる幻子が他人には一切わからない状態に制御している。幻子の流れに異常と言って敏感な人間。少なくとも魔級Aレベル。さらにそのトップ層でもなければ、今の俺は探知できないはずだ。美咲の話では、美咲は突然変異的なもので、その家系自体が有能な魔法師を輩出しているわけではないと言う。
「私だって、一介の魔法師。それに、幻子の動きには特に敏感なのよ。それを買われて新魔法の開発なんていう職に就いてるんだから」
なるほど。つまり、魔法の素質自体はそうでもないが、幻子を認識する力は高いと。
「それでも、今あなたが何者かまではわからない。けど、美咲に手を出したら許しません。それ相応の対処を取らせていただきます」
えらい強気だな。と思った。見えない敵にどうやって勝つのか。
「それとももし、美咲を守るためにここにいるなら」
沈黙。そして、祈るようにかすれた声が聞こえた。
「どうか、美咲を守ってやってください。どうか、彼女の無事を」
口に出すことはできない。まだ、俺の存在を美咲以外の誰かに漏らすわけにはいかな。もし彼女が明日にはここから遠く離れた場所に行くとしても、正体をばらすという危険を冒すことはできない。
だから、心の中で誓った。彼女と、彼女の母の為に。
必ず、美咲の無事を守りましょう
それ以上、話すことがなくなったのか、美咲の母は口をつぐんだ。それ契機に、俺は美咲の部屋を出て、美咲の元へと向かうことにした。
◆◇ ◆◇ ◆◇
コンコン、ココンコン
別に狐の鳴き声じゃない。俺が美咲の部屋の扉を打つ音だ。もし、美咲だけが自分の部屋に入って俺が入れないくなったという状態になったとき、ノックの仕方で俺が来ということを知らせるために用意しておいたものだ。
ちょっとして、扉が開いた。服を着替えた美咲は、扉の先に誰もいないことを確認してから、人一人が入れるくらいにまで、ドアを広げた。暖かい空気が体を包んだ。中は暖房をつけているみたいだ。
「どうぞ」
「悪い悪い」
美咲がドアを閉めてから、俺は自分にかけてあった幻術を解いた。
「なんだか、気味が悪いですね」
「今更それを言う?」
そういいながら、今度は美咲の部屋を幻術の指定範囲内に入れた。この部屋の外から、俺の存在だけを探知できないように。結局、人がそこにいるとわかるのは、そこから何らかの動きを感じるからだ。幻術は大きな動きも、微細な動きも見逃さない。余すことなくすべてを包隠す。だから、俺は「存在」こそすれ「認識」はされることがない。
「だって、いるということは知ってますけど、実態がないんですもん」
確かに、そういうのもかもしれない。
「けど、美咲はいいのか?」
「なにがですか?」
「お母さんを騙すことについて」
「今更ですよ」
そういって、美咲は小悪魔的な笑みで笑った。
「わたし、結構いい子だったんですよ? たまには迷惑かけてもいいじゃないですか」
「え、昔はよく怪我して帰ってきてたってお母さんいってたけど……」
「それは昔の話です。それとも、先輩は私が協力しなくてもいいんですか?」
「……」
別に、一人でもいい。俺が死ねだけなら。それに、美咲のお母さんは、美咲のことを本気で心配していた。でも、その時には美咲の頭の中から俺のすべてを消去しなくちゃいけない。それはそれで仕方のないことだと割り切ればいことだけれど。
「黙ってるってことは、ダメなんですよね。じゃあ、決まりです」
けど、確かに美咲を利用しなくちゃ達成できそうもないこともある。
「それじゃ、宜しくお願いします、先輩。作戦決行です」
「……わかったよ」
結局俺は、自分のことしかか考えていないのかもしれない。それでも今は、そうしなきゃいけない。自分で自分に課したケジメだ。二年前から、どんなことをしてもこうするのだと決めていた。チャンスがあるならばそれを最大限に利用するのだと。もうこの時点で、後戻りなんてできないんだ。
けれど、やはり、俺はこの作戦の成功に一つ条件を追加した。
「それじゃあ、始めるから」
数十分後、美咲の家に、一本の電話が入った。