第一話
宵の闇の中に2つの影が飛び上がった。
一つは背の高い影、もう一つはそれよりも一回り小さく、長い髪をたくわえた影。
2つは篝火の光がちょうど届かないような地点を巧みに抜け、何度も信じられないくらいの跳躍を見せながら街の家々の屋根から屋根へと跳躍する。
と、ちょうどその時二人の背後でけたたましい音で警鐘が鳴り出す。
彼らが走り抜ける街の中央、一際目立つ城の警備が異常に気がついたのだ。
示し合わせたように、仮面の下の2人の口元が愉しげに歪んだ。
「追われるスリルは一度体験しないと分からない、よね。」
少女の声だった。
可愛らしい声音だが、吸い込んだ息が足りなかったのだろう。
何処か気の抜けたような喋り方の少女である。
「ああ、こればかりはな。」
後に続く少年は対照的に覇気のある声だ。
町中で彼が喋っていれば思わず振り向いてしまうような声である。
それは決して、彼の声が不快だからではない。
見知らぬ人でも思わず彼の話を傾聴してしまような、そんな魅力を彼の声は持っている。
「賊は屋根の上だ!
絶対に逃がすな!
撃ち方、構え!」
騎士たち詰所と思しき方向から凄まじい剣幕の怒声が響いた。
声を発したのは銀髪の女騎士。
見る者全員をして端正な顔立ちだと思わせるような見てくれなのだが、彼女ほど表情作りで損をしている人間も珍しい。
苛烈な気性を感じさせる強い視線で2人を射抜く彼女の容貌は、狂気すら見て取れる凄まじいものである。
彼女の左右には手を前で組んだ騎士たちが居並ぶ。
魔術発射のための掌印を組んでいるのだ。
「おいおい、魔術で掃射かよ。
ここは市街地だぜ!?」
少年は一度走る足を止め、懐から1枚の札を取り出し掲げる。
それは一瞬にして燃え上がり風に巻かれて夜闇に消えた。
『天に昇りし泡沫の龍よ、我が命の下に、すべてを破壊する暴虐を。
その鱗は一陣の風となりて、その爪は大地に威容を刻む。
大旋風』
少年がそう唱えた。
騎士たちの足元を一陣の風が吹き抜ける。
だがこの魔法はそれだけでは終わらない。
最初は一筋だった風の流れがやがて2つ、3つと増えていく。
騎士たちが魔法に気がついた時には、すでに変化は臨界点に達していた。
大地から逆巻くような風が吹き上げ騎士たちを持ち上げる。
抵抗を試みた者もいたがほとんどの場合、それは叶わず無慈悲にも空高く巻き上げられた。
「何をやっている!
風の流れに逆らわず、機を見て脱出するのだ!
お前たちは魔導騎士だろう!?
反対魔法を唱えろ!」
真っ先に器用に抜け出した女騎士が部下たちにそう怒鳴りつける。
実際幾人かはそうしていた。
しかし奇妙な事に、5人もの魔導騎士が同時に反対魔法を唱えても彼の魔法は消えないのだ。
「ノーラ団長、貴方も手伝ってください!
どうやったって消えないんです、この魔法!」
「なに、これだけの人数でかかって消えないわけがあるか!」
ノーラはいくつかの手段を試した。
魔法陣、詠唱、贄による魔法の行使、しかしどれもこの魔法を消すのには機能しなかった。
魔法を解除するには術者がそれの発動に掛けたのと同程度の儀式を、解除者が踏む必要がある。
それらはつまり、あの二人の賊の内少なくとも一人は未知の手段でもって魔法を行使できることを意味していた。
少し遅れてその可能性に思い至った副官は、新たなる脅威の出現に動転し始める。
しかし彼女の思考はそこにはなかった。
(なぜこれだけ手の込んだ魔法を使っておいて被害がこの程度なんだ?
大旋風の魔法は竜巻が縦横無尽に動き回って辺り一帯を破壊するもののはず。
まさか、あの賊が市街地だからと手心を加えたと?)
そんなふうに悩んでいる内に魔法が解け、空高く巻き上げられていた騎士たちも地面に放り出された。
民家に被害は見て取れず、騎士たちも互いにぶつかって怪我をしたくらいで損耗は少ない。
何故これだけの被害で済んだのか、彼らがどんな手段で魔法を行使したのか、ノーラの疑問は尽きなかった。
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『豊潤なる大地と、大いなる水の加護を今ここに。
汝に明き恵みの光を降り注がん。
治癒』
呪文に呼応して温かな光を発する掌を血が滲む膝小僧に当ててやると徐々に肌が再生し傷が塞がる。
さらに魔力を込めれば血の通いが戻り赤みを取り戻した。
「ありがと、ウェルナー。」
「せっかく騎士団から逃げおおせたのに転んで膝を擦りむいてちゃわけないぜフィビー。」
「でも、治してくれるでしょ?」
ニヘラと笑ってあくまでお気楽にフィビーは応える。
深みをたたえた紫紺の瞳には強い信頼が浮び、少しばかりのからかいの色も見えた。
口元は柔らかく微笑んでいる。
少し丸みを帯びた頬やふんわりとした茶髪も相まって、柔らかな月光の下では彼女の姿はとても盗賊稼業をしているなんて見えない。
「まあ、仲間だからな。
でもそうやってすぐ油断するクセ、早く直せよ。」
対するウェルナーの態度は素っ気ないものだ。
黒い髪、朱が入った黒い瞳。
このあたりでは珍しい風体であり、異国の血の流れを感じさせる彼は困ったような、半ば諦めたような態度で話していた。
それにフィビーが何か答える前にウェルナーの胸元で何かが震える。
彼が取り出したのは七色の光を放つ丁寧にカットされた宝石だった。
「盗んだ振魔石、反応してるな。
まさか位置を探知する魔法が…。」
「いや、それはない、はず。
盗む前に確認したでしょ?」
「ならこれは《《番石》》との反応か。」
「そう、なるね。」
どちらからとも無く、2人は笑い出しす。
いつも通りの盗みだったはずだがまた新たな冒険につながっているようだったから。
彼らがもっと愛する未知なる冒険が。




