95 最終話
ナワ湖から南下した、淡水と海水の混じる汽水域に、クァナック王国という小さな国がある。
そのクァナック王国の王城にあるテラスは、直接城下町にある広場と接続しており、今代の王がそこから顔を見せ、集まる民衆たちを見下ろしていた。
王城というにはあまりに民との距離が近く、その格としても良く言って豪邸止まりという程度のものなのだが、それには理由があった。
本来この町は、以前のクァナック王国南部地域の中心として繁栄する都市であったのだが、10年ほど前に王都が崩壊し、多くの民や貴族たちが南部に逃れ、スライド式にクァナック王国の中心都市になったという経歴がある。
この王城も本来はこの町に住む貴族の邸宅だったものであり、以前の豪華絢爛な王城と比べるのはあまりにも酷というものであった。
「我が王国が魔族の謀略により南の地に追いやられてから、10年の月日が経った!」
ささやかな王城のテラスから、前国王亡き跡を継いだ、9代目クァナック王国国王が声を張り上げる。
その世継ぎ争いが泥沼化していたことは、言うまでもない。
「この10年という歳月は、我々に艱難辛苦の試練を与え、時に厳しく、時に非情に、クァナック王国の民を試してきた!」
国王は身振りを交え、熱弁する。
「しかし! 我々は膝を折ることなく、その試練を乗り越え、打ち勝ってきた!」
それとは対照的に、テラスから弁を振るう国王を見る民衆の目は冷ややかなものだった。
「今こそ、我らの真の力を見せる時! 卑劣な魔族どもを蹴散らし、再びナワ湖を我らのものとする時が来たのだ!」
現国王がそこまで言い切ると、今までしんと静まり返っていた広場がにわかにざわざわと騒めき始めた。
『あの地に手を出すなんて、正気じゃない』『罰当たりだ』『いい加減にしろっ』『もう、あんな地獄は見たくない』
彼らの心には、例の災いの傷跡が深く刻み込まれている。そのトラウマを振り払うのに、10年という時はあまりにも短すぎた。
そんな、冷めきった民衆の姿を見て、今代の国王が悲鳴のような声を上げる。
「貴様ら……っ! いくら矮小な草の根といえど、クァナックに属する者としての誇りはないのかっ!」
そう顔を真っ赤にして、今にも兵を動員し、民衆をひっ捕えでもしそうな勢いで国王は怒鳴る。
しかしそれでも、民衆の心は変わらなかった。
あの惨劇を体験した者が醸す特有の空気。
そうでなくとも、戦火から逃れてきた者たちの悲壮感を目の当たりにし、その者たちの口から語られる、あまりにも肉感のある悲劇の物語は、もはやクァナック王国に漂う空気や風土の根底とまでなっていた。
端的に言えば、10年前のあの日にクァナックの王都を灰燼に変えた3体の悪魔のほうが、目の前の最高権力者よりも恐ろしかった。それも、比較にならないほど。
「こやつら……っ!」
怒り心頭の国王が、とうとう越えてはいけない一線に足をかけたその時、複数の兵士を連れた貴族らがテラスへと乗り込んできた。
「な、なんだ貴様ら!」
「王よ、あなたは民衆の心を惑わし、国の安寧よりも自身の欲を優先し、この国を我が物顔で食い潰そうとしておられる」
それは、先の戦いで片腕を失った、テモノノクという貴族だった。
「隻腕の貴族か、貴様自分が何をやっているのかわかっているのか?」
「あなたと違ってわかっているわよ。そもそもクァナックは一度死んだの。あの日にね。私たちはその責任を取りに来たのよ」
次に出てきたのは、ツィアトルという名の妙齢の貴族。
その貴族が手を上げると、後ろに詰めていた兵士たちが一斉に剣を抜いた。
「……どういうつもりだ」
「クァナックは終わり、此度新たな国となる。もう怯えることも苦しむこともないよう、我々はこの地で根を張り生きていくことを選んだのだ」
「私たちは学ばなければならない。あの日のような惨劇は、二度と繰り返してはいけないの」
「……噂には聞いておった反体制勢力というのが、お前らだったのか」
「そんなことはどうでもいい。王よ、いや……クァナックの亡霊よ。後は我々に任せて、静かに眠るとよい」
「っく――!」
控えていた兵士のうちのひとりが王に近づき、剣を高く掲げ、
――振り下ろした。
その日、長きにわたって続いたクァナック王国の歴史に幕が降りた。
人族は魔族の生息域から離れ、自らの道を歩み始める。
ナワ湖を中心とする一帯のみではあるが、有史から続く人族と魔族との争いに、一旦の終止符が打たれることとなった。
それは、後世に語り継がれる、この世界でも例を見ない歴史的な出来事だった。
◆◆◆
「ん……?」
意識が覚醒する前の朦朧感の中、ゆっくりと目を開くと、眩い光が目に流れ込んできた。
その明るさを遮るように手をかざす。背中にはふわふわと柔らかい感覚があり、どこからか爽やかな植物の香りが漂ってくる。
「あっつ」
次に訪れたのは、肌を焼くようなじりじりとした暑さと、その熱を奪っていく心地良い風。
あぁ、この風が植物の香りを運んできてるんだな。
と思った時には、ガバッと体を起こしていた。
眼前に広がるのは、見上げるほどの巨木と、ずっと続く苔の絨毯。
その絨毯の真ん中には、ポツンと建った小さな家屋と大きなため池がある。
そしてなによりも目を引くのは、
広大な苔の上をぴょんぴょん跳ねたりモニモニしたり、ため池にぷかぷか浮いたり湖中の魔力結晶を盗もうとしたり、巨木の枝の上で昼寝をしたり落っこちたり……
思い思いに過ごす、数万にもなるスライムの大群。
そう――ここは俺が領主を務める、スライム領である。
「ふぁ〜あ」
俺は呑気にも、大きなあくびをひとつする。
――そりゃそうだ。ここは昔からスライム領にきまってる。
どうやら昼寝から目が覚めたばかりで寝ぼけていたようだ。
「ん?」
ふと気がつくと、俺の近くにいた赤、黄、緑の3匹のスライムが、何か言いたげにこちらを見上げ、くにくにと体を揺らしはじめた。
「……へぇ。あの国もこれで正式に滅んだってわけか」
側近スライムからの伝言を受け取り、そいつらをむにむにと揉む。
「長かったなぁ。ま、これでようやく憂いなく余生を過ごせるってもんだな」
これでもう、世界各地に配備したスライムたちによる、『スライムネットワーク改』もお役御免となるだろう。
「領の外に出てるみんなに帰ってくるよう伝えてくれるか?」
そう側近スライムに頼むと、3匹はピタッと体を停止させ、少ししてからふるふると体を小さく震わせた。
「さんきゅ」
――みんなが帰ってきたら、なにかパーティでも開くのもいいかもな。
苔の上に座り、太陽の光と吹き抜ける風を感じながら、そんなことを考える。
――ゴーレムの野郎に頼んで、スラちゃん型の魔力結晶を作ってもらうのもいいかもしれないな。
とびっきりでかくしてもらえば、スライムたちも大喜びだろう。
「おっ」
そんな妄想をしていると、スライム領にピリッとした空気が流れる。
――これは……久しぶりの大物かもな。
俺は浮遊する大盾と、角柱をいくつか宙に浮かべてそいつを迎える準備をする。
スライムたちはというと、すでに準備万端で『早く戦わせろ!』とソワソワしていた。
「よーし、それじゃ行きますか」
万を越えるスライムたちを従え、出陣する。
結局、俺らはこれからもずっと、戦いから逃れることはできないのだろう。
しかし昔とは違い、今の俺は確信していた。
スライムと一緒なら、どんな相手にも負けないと。
こいつらとなら、どこまでもこの厳しい世界を生き延びていけるだろうと。
だから俺はこれからも戦い続ける。
――スライム領の、領主として。
『スライム領の領主になって敵対種族をボコボコにする』【完】
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ここまで本作にお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
スライム領はこれからも、人間とスライムが力を合わせ、大きく発展していくのだと思います。
こういった創作に挑戦するのは初めてのことで、わからないことや、今思い返すとこうすればよかったなと思うことも多くあるのですが、書くということの楽しさと難しさの両方を知ることができた数か月間でした。
初期の頃から読んで下さっていた方もいて、その方がいなければどこかで挫けて逃げ出していたと思います。”読者”という存在の大きさをしみじみと実感できた期間でもありました。読んでくださった方には感謝してもしきれません。
少し期間をあけて、次の作品も投稿しようと思っております。もし気分が向かれましたら、一話でもいいのでそちらも読んでいただけたら泣いて喜びます。
長い間、本当にありがとうございました!




