80 閑話⑩
クァナック王国の最北に位置するカテペックという町は、大森林を開いて発展してきた町だ。
その森から与えられる豊かな食料や資材、魔物から得られる素材などを加工することで利益を生み出す、開拓村から成功して繁栄した町にありがちな仕事人の町だった。
しかしその面影は今は影を潜めていた。
数ヶ月ほど前に起きた冒険者ギルドの崩壊を機に、町の外に向かう者が減り、森から得られる資源が減り、それを加工する者が減り……負のスパイラルとなって、カテペックの町から活気を奪ってしまった。
今ではその人口も半分以下となり、いまだに町に残る者は、この町に愛着のあるも者か、よほど呑気な者かといった具合だった。
「お、今日も森へ行くのか?」
「あぁ、しっかり働かねぇと飯が食えねぇからな」
そんなカテペックの北にある門で、ふたりの町民が会話をしている。
そのうちの1人は背中に大きな籠を背負っており、どうやらこれから森に入っていくようだった。
その籠を背負った男は門を抜け、カテペックから森までの間にある平野を歩く。
平野といっても、森の木を引っこ抜いて均しただけの、10分も歩けば森の端に辿り着くような人工的な狭い平野であった。
毎日通る、いつもと変わらない道を歩いていく。それは何度となく繰り返してきた、その男の日常であった。
「おい、チョチトリじゃねぇか、どうしたんだ?」
しかしその日は、いつもとは違うことが起きた。
もうすぐで森に入るというところで、森にある小さな獣道から、焦った様子の見知った顔の人間が飛び出てきた。
「うわっ! なんだおまえか……びっくりさせるなよ」
そいつの様子は、どうやらふざけているというわけではないようだ。
「ちょっと前に森に入ったんだがよ、どうにも森の様子がおかしい。おまえも今日は森に入るのはやめとけ」
それだけ言い残すと、森から出てきた男はそのまま走って町へと向かっていった。
「なんだあいつは……」
そう訝しげな顔でその背中を見送る。
ここ周辺の森は数年という間カテペックの住人たちに利用されている比較的安全な森であり、魔物の討伐もとうの昔に縮小化されていた。
もちろんはぐれの魔物も出ないことはないが、ここらで出てくる魔物ならば、ある程度慣れた者がきちんと対処すれば逃げることくらいはできる。
この籠を背負った男も、森から出てきた男も、ベテランというほどではないが、それなりにこの森で生計を立ててきた者だ。
もはや今更魔物ごときに怯えることがあるだろうかと、その男は考える。
しかし今のカテペックの現状を思うと、あの逃げ去った男のことを一笑に付すこともできない。
数か月前、町の冒険者が森に向かいそのまま帰らぬ人となった事件があった。それに少し前に、かなりの規模の兵隊たちがカテペックを通り過ぎ、森の中へ入っていったということもある。
何かはわからないが、この周辺になにかおかしなことが起きているのは事実。
そのせいで、カテペックは僅か数ヶ月で閑古鳥の鳴く町になってしまったのだ。
……と、そこまで考えてから男は顔をけろっとさせる。
「ま、考えてもしかたねぇ」
どのみち町にいてもやることはない。それに森に入らねば明日食う物もない。
ならば面倒なことを考えるよりも今まで通り仕事をまっとうする方が楽というものだ。
その男は呑気な顔でそう思い直し、くたびれた藁草履を履いた足をまた森の方へと向けるのだった。
◆◆◆
知らない森に、赤いスライムが1匹いる。
いや、知らない森なのか、知ってる森なのか、それすらも曖昧。
森にもたくさんの種類があるのだと、このスライムは最近知った。
少なくとも、今まで感じていた森と、この魔力の薄い森は大きく違った。
しかしそんなことはどうでもいい。
このスライムには帰るべき大好きな住処があり、この森にはただ遊びにきただけなのだ。
魔力の薄さなんて、何の問題にもならない。
そんなスライムが、木の少ないスカスカの森をぴょんぴょんと跳ねていく。
その姿は気力十分で、小さな体に似合わずどこか勇猛さを感じさせるものだった。
そうやってぴょんぴょんと森を駆けていると、目の前に見知らぬ人間が現れた。
人間というのは、スライムにとっては忌むべき存在だ。
その昔、人間どもの卑劣な手によってスライムは絶滅寸前まで追い込まれたことがある。
それは直接戦った結果ではない。人間どもはスライムの力の源である魔力の籠った湧水を封印し、その土地に植物が生えないよう呪いをかけたのだ。
戦いであれば人間など、赤ちゃんアココの前脚を捻るかのように簡単にボコボコにできるが、湧水を封印されてはどうしようもない。
人間どもの使う複雑な魔術というのは、魔力の豊富なスライムたちでも理解のできない、難しいものだった。
それからスライムは長い時を過ごした。
みんなで身を寄せ合い、僅かに封印から漏れる魔力を頼りに、耐えに耐えた。
雨季の雨も、乾季の渇きも、その土地でずっと、何年も何十年も何百年も、静かに過ごしてきた。
それでも魔力は減っていき、残ったスライムを吸収し合って形を保つも、そのスライムの数も徐々に減っていった。
そしてとうとう最後に残ったのが赤、黄、緑の1匹ずつ。
体は小さくなり、しなしなと萎びて、満足に動くこともできなくなっていた。
スライムたちは、もうこのままこの土地で滅んでいくものだと思っていた。
そんな時に空から1人の老いた人間が降りてくる。
スライムたちは知っていた。
それは人間ではない。自分たちを創り出したものだと。
「もうすぐ1人のアホタレがくるからの、一生懸命着いて行きなさい」
よくわからなかったが、スライムたちはただその時を待った。
それからまたしばらく経ち、ひとりの人間が3匹のスライムの前に現れる。
「スライム、か」
――この人間の言葉は、なぜか自分にも理解できる。
自分らの名を呼ぶその声は、すっとスライムの体に沁みた。
それからスライムとその男の生活は始まった。
湧水が蘇り、スライムの世界に魔力が満ちた。
あらゆる敵を退け、数を増やし、かつてのスライムが繁栄していた頃に匹敵するほど、今のスライムたちは力を取り戻していた。
そんな、スライムたちの命の恩人ともいえる男が、なんと同じ人間をやっつけようと提案してきた。
スライムからすれば、人間は過去に因縁のある相手とはいえ、特別憎しみがあるとか、滅ぼしたいとか、そんな気持ちはなかった。
基本的にスライムたちは快楽主義者だ。気分のいいことを好み、気分の悪いことは考えない。
そんなスライムからすれば、面倒な人間など関わってさえこなければどうでもいい存在だった。
しかし、それでもスライムたちは闘志を燃やす。
人間を懲らしめるためではない。
ただ、楽しかった。
あの男と一緒に何かをすることが。何かを成すことが。
長い時を耐えてすごしたスライムたちは、今の暮らしが特別気に入っていた。
男のいう作戦など、スライムからすればあまり興味のないものだ。しかしそれでも、スライムたちはそいつが言う通りに突き進む。
その男と、今までやったことのないような、とびきり大きなことを成し遂げるため。
そうしてまた、あの大好きな住処でその男とのんびり暮らすため。
「〜〜っ!」
目の前の人間が、何かを話す。
当然、スライムにはそれが何を言っているかわからない。
背中に大きな籠と、くたびれた藁草履を履いたその男は、スライムから距離をとり、少し離れたところで赤いスライムをしげしげと眺めている。
スライムは思い出す。
『逆らう奴は殺していいけど、基本的には人間が街道側に逃げていくよう誘導してくれ。あ、あと老人と子供には優しくしろよ!』
ぷにんと体を揺らす。
この人間は老人でも子供でもない。
ぴょんと跳ねてそいつに近づく。
「〜、〜〜〜。〜〜〜〜〜〜〜〜〜?」
間抜けな顔をしたそいつは、腰を屈めてスライムを見る。
「〜?」
ざわざわと、森がざわめく。
森の奥から何かがやってくる。
それもひとつやふたつではない、大量のそれ。
「〜、〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」
その人間は、情けない声をあげ、草履が脱げたのも気にせず町に向かって走っていった。
ぺちぺちぺちぺちと、仲間がやってくる音が大きくなり、そして自分を追い越していく。
その赤いスライムもまた、一団に混じって町へと向かっていった。
その日、たったひとりと3匹の出会いから始まったスライムと人間の物語は、この国からすれば最悪のシナリオとなってカテペックに襲いかかる。
後にそれは、北から吹く風――神渡しと呼ばれる厄災の始まりであった。




