54.エピローグ 後編
トントン――。
『ブロン』の支配人がルディ様の訪問を告げた。
「ルディ様が? こんな所に押しかけて来て、何の用かしら?」
私が首を傾げると、マリーズが少し照れたように俯いた。
部屋に通されたルディ様は、私のすすめるがままソファに腰掛けた。
「夫人、こんにちは。えーっと、今日はですね……」
今日のルディ様は、どこかそわそわとして落ち着かない。
その理由を探ろうと、私はマリーズとルディ様を交互に眺めていたが、ハタと気づいた。
「マリーズ、そろそろノエルが迎えに来る頃じゃない?」
すると、ルディ様がわざとらしく小さな咳払いをした。
「ノエル卿は来ませんよ、夫人。これから、マリーズ嬢は俺と夜市を回る予定なので……」
「夜市ですって!? 護衛も付けずに?」
「いや、護衛なら俺がいるじゃないですか。これでも剣術は得意なんですよ」
「アカデミー時代、ノエルに負けたってアベル様から聞いているわよ。それより、よくケビンおじ様が二人っきりをお許しになったわね」
「ええ……わ、私はノエルが一緒でも良かったのよ。だけど、ルディ様が二人の方が見て回りやすいと仰るから……」
(これ以上、詮索するのは野暮よね)
いつの間にか陽も傾き、窓の外は夕暮れの様相に変わっていた。
「それなら、もうそろそろ行かれたほうが良いのではないかしら。私はアベル様の迎えを待っているから、お二人は先に行ってちょうだい」
――「夫人が気を利かせてくれたお陰で、思ったより早くマリーズ嬢を連れ出すことができたな……」
ルディは、マリーズの整った横顔を気づけば目で追ってしまい、胸がいっぱいになるのを抑えるのに必死だった。
「ルディ様、その……おすすめの露店はどこですの?」
「ええっと、もうすぐですよ。人が多いので、手を繋ぎましょう。失礼」
できるだけ平静を装ってマリーズの手を取ったが、あまりにも自分の手が熱く、この緊張をマリーズに気づかれないかと心配になった。
(しっかりしろ、俺! 今日は、この想いをちゃんと伝えると覚悟したんだろ)
なぜ、クレマン侯爵がマリーズに告白する機会を与えてくれたのか、ルディには分かっていた。
(悔しいが……ノエル卿、あいつが閣下を取り成してくれたんだろう)
あの忌まわしい皇后陛下誕生祭前日、突然ノエル卿がマリーズの護衛をルディに頼んできたのだ。
いくら護衛の身であっても、平民の自分では皇室の宴でマリーズの近くにずっと控えることはできないから――それが理由だと言った。
(最初は俺には理解できなかった……。だって、ずっと守ってきた大事なお嬢様だぜ? それに閣下とあいつとの関係は……いくら娘の護衛だからって、ただの平民をアカデミーなんかに行かせるかよ)
ルディもれっきとした貴族令息、なんとなく想像はついたが、ノエル卿が閣下の思い通りにはならなかった、ただそれだけのことだろう。
そして、ノエル卿はいつかはクレマン家を去るつもりだと、ルディはそう感じていた。
(まぁ、だからといって、マリーズ嬢を誰かに譲るつもりもないし、振り向いてもらえるまで俺は諦めないさ)
マリーズは、ルディがいつものふざけた態度を封印し、どこか緊張しているのが伝わってきて、自分までもドキドキしていた。
(ルディ様、きっと難しく考えているのだわ。私はとっくにあなたのことが……き、気になって仕方ないのに)
二人はまだ気づいていない。
自分たちの影は、仲のいい恋人のように寄り添っていることを。
――「ユージェニー、ご、ご機嫌だね。えと……そんなに夜市が楽しいかい?」
アベル様が、私の様子を横目で忙しく窺っているのが分かる。
仲直りしたくて、私もアベル様を夜市に誘ったのだ。
(そうよ、アベル様が悪いわけじゃないもの。今もこんなに気遣ってくれて……優しいのね。アベル様、ごめんなさい)
私は心の中で謝りながら、それを口にする代わりにとびっきりの笑顔で応えた。
「ええ、とっても! それに……もう少ししたら、私の大親友のおめでたい話が聞けそうな気がするから……」
「マリーズ嬢の? ふむ、それは楽しみだ。僕の大親友の嬉し泣きする姿は見ものだろうなぁ」
私たちは、一瞬、ルディ様の男泣きする姿を想像して思わず吹き出した。
先ほどからアベル様は、私が夜市を楽しむ人々とぶつからないように、慎重に気を配ってくれている。
「ふふ、過保護ですこと。少しくらい、ぶつかっても大丈夫ですわ」
「それは、だめだ。今が一番大事な時だろう? 僕がそうしたいんだ」
「今日はマリーズに話しそびれたのだけれど、次会った時には……気づかれてしまいますわね」
「そうだね。きっと大喜びしてくれるさ」
私がそっとお腹の辺りに手をやると、アベル様も優しく手を重ねた。
そう、『ラピスラズリの杯』は消えて無くなってしまったけれど――新しい命という、かけがえのない宝が私たちの未来を明るく照らしてくれている。
「違いますわよ、お父様。私の夫は、アベル・ブルボンで間違いありませんわ!」
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