12.まだできていない話
全知の魔法使いと呼ばれるシンリー・ショウランの住む家には、外側にベルがついている。役割は扉が開かれたことを伝えることではなく、扉が開かれる前に、来訪者がその存在を彼女に伝えられるようにすることだ。この家独特のルールを知らず、急に扉を開けた無礼者は無慈悲に追い返されてしまう。
「やあ、来ると思っていたよ」
しかし、乱暴に開かれた扉の先の人物を見て、シンリーは魔法で弾き出すでもなく、室内への侵入を許可した。
「サルジアの気配がしたのですが……彼女はどこに?」
「そんなに心配かい?カシモア」
「いえ、今日は戻ってくることにはなっていたかったのに、西での反応があり驚いただけです」
「こんなとこまで来てるんだから、心配って言うんだよ。まあいい、ドアを閉めて適当に座りなよ」
カシモアはハッとして、ドアを閉める。
「それで彼女は?」
「ちょうどついさっき、中央に帰って行ったよ。お友達も一緒だったから、あんたが心配するようなことはないだろうね」
「そうですか。ありがとうございます」
「待ちな」
シンリーはそのまま帰ろうとしたカシモアを呼び止めた。
「久々なんだ、話でもしよう」
「いえ、」
「あの子のしていった話が気になるだろう?」
動きを止めたカシモアに、シンリーは先程まで話し合われていた内容を共有した。
「悪魔と魔物が元は同じなんじゃないかってのは、私の推論だけど、そう大きく外れることもないんじゃないかと思ってる。
神の使いなら知ってるだろう?」
カシモアは苦い顔になって、非難を宿した目でシンリーを見る。
「私に言えることはありません。ご存じでしょう」
「難儀なものだねえ」
シンリーは気にする様子もなく、軽く肩を竦めた。
「本当はね、ルドンの話をしてやるつもりだったんだ。私がここを離れられるようになった感謝もね。だがそんな話ができる状態じゃなかったね」
「何も、話していないのですか」
「それも確認しにきたんじゃないのかい?あの子、何も知らないようだったよ。私とルドンの繋がりを知って来たってわけじゃなかったみたいだしね」
「……私の名前すら聞いたことのない彼女が、あなたを知っているとは思えませんね」
「おっと、これはルドンも何も話してないみたいだね。
ならなおさら、あんたが話してやるべきなんじゃないかい?」
サルジアが大地の館に来て三月は経っている。話す時間はいくらでもあったが、サルジアから強く要望があったわけではなく、ルドンについて深い話はしていなかった。
「話して何がどうなるわけでも……いえ、きっとまだ、彼の話をするのが怖かったんでしょうね」
ルドンを通してしか繋がりのなかった子どもと、ルドンについて話すのは、彼がもうこの世には存在しないのだと、認識せざるを得ない。
「まったく、あんた達は二人して不器用だね。
今回の件が解決したら、私からあの子にご褒美でもあげようか」
「褒美ですか?」
「そうさ。あんたはもうあの子に何かあげたのかい?」
「それは、そう、ですね」
「既にあげてるんだね」
「とうてい贈り物とは呼べないものです」
「だったら、何か用意しときな。
ああ、ああ、そんな難しい顔するんじゃないよ。こういうのは人に言われて準備するもんでもない。いつかに向けて考えておけばいいさ」
シンリーは真剣に考えだしたカシモアを見て、仕方ないな、と苦笑した。
*
シンリーからの調査依頼を引き受けたサルジアとアマリアは、授業後や休日を利用して、中央、西、南の境に赴いていた。
手がかりは特に掴めていないが、それよりももっと大きな問題がある。
「うぅ、わからない。神殿での挨拶、全然覚えられない」
サルジアには魔法学院の授業が難しすぎた。
「あんた、本当に魔法以外からっきしなんだな。こんなの、特例入学生に向けた初歩的な内容だぞ」
特例入学生とは、カガリーのように庶民の出で魔法学院に入った者のことである。
「私も特例入学生みたいなものだよ……」
「はあ?ルドン・ベキアの弟子が特例入学なわけないだろ?」
「いや、」
言いかけて、サルジアは自分の存在がどう捉えられているのか疑問に思った。
(ルドン・ベキアの弟子だったら特例入学じゃない?私は貴族だと思われてるのかな?)
しかしサルジアに姓はない。悪魔の色を持っていることが先行して、サルジア自身の事情は興味すら持たれていないのかもしれないとも思った。
「ラナンは私が特例入学じゃないと思ってるの?」
「大地の館の主が何を言ってる?」
「制服だって、正規の物じゃないし」
ラナンは眉根を寄せて、理解できない生き物を見るような目でサルジアを見た。
「前にアマリア様に言われていただろう?その服は時間もかかるし、生地も上質だって。つまり金がかかってるんだよ。
保護の魔法はルドン・ベキアが付与したとしても、普通の制服の倍はかかってる」
「え?」
思いもよらない事実に、サルジアは固まった。
「知らなかったのか?まあ物の価値がわからないのは、特例入学生と一緒かもしれないな」
「一緒だよ。私、貴族じゃないから」
サルジアの言葉に、今度はラナンが固まる。ぎくしゃく辺りを見て、サルジアに顔を寄せた。
「あんた、それあんまり大声で言わない方がいいぞ」
「大声は出してないよ」
今、サルジア達は図書館にいる。雑談可能な場所とはいえ、周囲に気遣って抑えめの声で話していた。周りも会話をしている人がいるので、聞き耳を立てていない限り、聞こえはしないだろう。特に、サルジアの周りの席は避けられている。
「貴族じゃない?」
「師匠には拾われたの」
「拾われた?まさか孤児なんて言わないよな」
「孤児だよ」
またしてもラナンが固まる。
「大丈夫?」
「待て、理解が追いつかない」
「私の方が理解できないよ。私に姓はないのに」
「確かにそうだが、ルドン・ベキアの弟子だから……いや、そうだな。もしそうだったら、どこかしらに噂は流れてるはずだ」
「師匠だから何かあるの?」
サルジアの問いに、ラナンは更に混乱したようだった。
「あんた、知らないのか?
いや、わざわざ言うようなことでもないのか?だとしても魔法学院に入るっていうのに?」
しばらくぶつぶつと悩んでいたようだが、考えるだけ無駄だ、と思考を放棄した。
「僕から言うのも違うか。
あんたを庶民だって思ってるやつはあんまりいないと思う。名の知れていない下級貴族の、事情のある子どもって認識が主流だろう。庶民だって思ってるやつは、もしかしたらいるかもしれないけど、確信はないはずだ。
貴族だって偽る必要はないが、庶民だとか孤児だとか、言わない方がいいよ」
「わかった」
いつになく真剣なラナンに、サルジアは素直に頷く。
「まあ、その割には飲み込み早いんじゃない?神殿関係のお祈りとかは最初みんな苦労する。
貴族じゃないんなら、誰かが言うのを耳にする機会もなかっただろうし」
「ありがとう。ラナンが辞書みたいに用語を解説してくれるから、覚えやすいよ」
「辞書みたいは余計だ。僕の教え方がいいって言えばいいだろ」
「でも、良かったの?ラナンは私のこと、好きじゃないと思ってた」
授業内容が理解できない場合、サルジアは調査に出かけず、ラナンに教えてもらうことになっていた。それはアマリアが取り計らってくれたのだが、ラナンは真面目にサルジアに教えてくれる。初めて会った時につっかられた身としては不思議だった。
「あんたって、本当よくも悪くも素直だよな。
別に嫌いな訳じゃないし、今はあんたに感謝してるんだよ」
「感謝?」
ラナンは姿勢を正して真っ直ぐにサルジアを見る。つられて、サルジアも背筋を伸ばした。
「アマリア様、最近とても体調が悪そうだった。けど、あんたと学院で会ってからは、元気そうにしてる」
「別に私が何かしたわけじゃないよ」
シンリーの薬の効果は絶大だったらしく、もう悪魔の夢を見ないとアマリアは言っていた。元気になったのだとしたら、その薬のおかげだとサルジアは思う。
「いや、あんたのおかげだ。
アマリア様は、ご自分の悩みをあまり打ち明けられないんだ。その改善のために行動されることも、滅多にない。そんなアマリア様が、あんたに会ってすぐ、悩みを解消された。あんたが何もしてなくても、アマリア様を動かしたのはあんただ。
ありがとう」
本心からの感謝の言葉に、サルジアもそれ以上何かを言う気にはならなかった。
「ラナンは、アマリアと仲が良いの?」
軽い気持ちで訊ねたのに、ラナンは慌てて否定する。
「仲が良いなんて、アマリア様に失礼だ。
ただ、僕がアマリア様を一方的にお慕いしているだけだ。前までは、あの人のお側に仕えることを許されていたから……」
「アマリアに仕えていたの?」
「いや、この話は僕からしていいものじゃなかった。忘れてくれ。
そして、あんたの身分も、僕からはアマリア様に伝えない」
「わかった」
それぞれの過去や立場について、詳しく話したことはない。館の主、という共通点と悪魔の到来を防ぐという目的だけが、サルジアとアマリアを繋いでいる。
アマリアが友達、と言ったから始まった関係だが、友達らしいことはできていない。そもそも、サルジアには友達がどいういうものかは何となく知っているけれど、どうやってして友達になるのか、友達ならどう過ごすのか詳しく知らない。
今度、話してみようとサルジアは思った。
続きます。