眼前の壁(二十四)
「判ったよぉ。事実で良いよ事実でぇ」「なぁにそれぇ嫌な感じぃ」
互いに笑っているので『認め合った』で良いだろう。
思い返せば『最初の一口』を貰ったのは事実。熱々の所を放り込まれたので、正直『味』は覚えていないが。そもそも『欲しい』とも『くれ』とも『一口寄越せ』とも『言ってはいない』し。
「ご馳走様でした」「最初からそう言えば良いんだよ」「はい」「美味しかったでしょぉ?」「はい」「美味しく無かったのぉ?」「はい」「ちょっと」「いいえ。美味しかったですっ!」「適当だなぁ」
何だこのやり取り。雄大はせめて『焼き芋の味』を思い出そうとしていたが、『美味しい』の根拠となる味に『甘い』以外に何が有るだろうかと考えて悩む。このままでは夜も眠れないかも。
「これから『夕飯を作ろう』って人にそんなこと言って良いのぉ?」
「あっ」「『あ』じゃないよ」「えっ」「いや『え』でもないっ!」
指を縦に振り恩着せがましく言った友香里に、雄大はうっかり一言漏らしてしまった。友香里は反応が早い。それを面白そうに拾ってニコニコ笑っているが、いつまでも続ける気は無い。
「ちなみに何作る?」「ええっ?」「何作るのぉ?」「何だって?」
今度は突然『聞こえない振り』か。雄大の質問を聞こうと腰を曲げ、手を耳に添えて聞こうとはしている。反対の手は腰だ。
しかし友香里の表情を見て雄大はピンと来た。雄大だって頭の回転が悪い方ではない。友香里の考えていること位、直ぐに判る。
「料理長。何を作って『頂ける』のでしょうかっ!」
すると友香里の態度がコロッと変わった。やはり正解だ。雄大の態度が気に入らなかっただけ。これは予想が当たっても、全然嬉しくはない。それでも友香里は満足そうに体を起こし、腕を胸の前で組むと上を見て首を傾げる。右足で床をトントン叩きながら。
「そぉねぇ『トンカツ』かなぁって思ってたけど、『目刺』かなぁ」
「酷くねぇ? 目刺は朝食でしょ」「イメージに惑わされないっ!」
雄大の意見に耳を貸すつもりは更々ないのか。『決定権はこちらにある』とばかりにノータイムでの返事が。しかも『芸術家たるもの』とでも添えたいのだろう。組んでいた腕を解き、両手を広げて振り下ろすと空中で強くバウンドさせて。一体『誰』の真似だよ。
「じゃぁ『試験日の前にトンカツ』ってのは?」「イッメージッ!」
今度は『正解』とばかりに、真っ直ぐ雄大を指さしたではないか。
「おいおい。今『惑わされるな』って」
「完・全・に、イッメェェェッジッ!」
再び両手を振り下ろし、今度は空中で二度弾ませた。ホント誰の真似? 髪まで揺らしちゃって。西園寺先生ならそんなに髪は無い。
「おいおい。少しは否定しろぉ?」
確かに『験を担ぐ』のも有りだろう。『神頼み』も否定しない。
自分は着実に実力を伸ばしては来た。今更だ。そもそも雄大は、『この世には神も仏もありゃしない』と思っている口。別にそれを他人にまで押し付ける気も、自分の口から説明する気もないが。
「良いんだよ。別に」「何、急に戻ってんの」「昨日トンカツ作ってさぁ、冷凍してんのがあるから。それ出すよ。うん。そうしよっ」
芸術家から一般人に戻って今は主婦か。顎に手を添えている。
「それは済まないねぇ」「良いって。てことはぁ、私が目刺かぁ?」
どうやら目刺もトンカツも『一人分』らしい。友香里は恐縮する雄大に手を振りながら行ってしまった。笑顔で鞄を指さして。二度。
財布はまだ『ズボンのポケット』にある。雄大は鞄に放り込んだ。