動物園にて(三十八)
「違うよ」
自身を指さす友香里に向かって、雄大は完璧かつ即座に否定した。
目視でも確認出来るように手を横に振っても見せる。すると笑いながら何度も頷く友香里が、一瞬真顔になって雄大の肩を叩く。
しかし雄大が『痛い』と言う間もなく、友香里の顔には笑顔が戻っていた。別に友香里だって判って言っているのだ。
「でもそれはさぁ、『最初のきっかけ』位にしておいた方が良いよ」
雄大にも友香里が、『最初は誰のために歌っていたのか』を知っている。だからその言葉をにわかには信じ難い。
音楽の同士だと思っていた。だから本心で言っているのか、それとも恥ずかしくて言っているのか。
「大体そう言うのって、直ぐに行き詰るじゃん?」「そうなの?」
顔を顰めながら言うのを見て雄大はふと思う。
恥ずかしくて遠回しに言っていたのは『自分だけだ』と。友香里は今日、ずっと『感情を表に出せ』と言い続けてくれていたのに。
「そうだよ目標にしたってさぁ、音楽で『達成する』とか『追い越す』ってさぁ、何で判断するの? 誰が何処で何時決めるの?」
腕を振りながら熱弁する友香里の顔が近い。前のめりだから。
友香里が顔を近付けて来ると、少なからず『ドキッ』とする雄大である。しかし今はドキドキしてもいられない。
既にプロとして活動している友香里の言うことだけに、言葉の一つ一つに重みがある。言い方にしても雄大には無い『迫力』が。
しかし何と言っても、言葉に『真実味』がある。いや、それは失礼か。『真実』なのだ。苦い想いを乗り越えた末に得た境地。
「結局はさぁ『自分で決める』んだよ。表現方法も評価もさぁ」
自信たっぷりに言っているが、雄大は惑う。表現方法はまだしも『評価』まで、自分で決めてしまって良いのだろうか。
「評価するのは『お客』じゃないのぉ? プロなんだからさぁ」
「それは違うよ」「そうなの?」「そうなんだよ!」
悲しそうな目で笑う友香里。雄大は即座に否定されて、何だか安心していた。やっぱり友香里には『否定』が良く似合う。
「ほらぁ、『時代に合わない』とかって言うのも、あるジャン?」
ヒョイと指さされる。まるで雄大が『時代に合っていない』とでも? しかしクラッシックピアノを生業とする雄大には、『時代に合わない』の意味が判らない。ただ首を傾げるばかりだ。
「絵描きでもさぁ、死んじゃってから売れる人っているでしょうよ」
腕を組み、意味深に言ってみせた。因みに『友香里の絵』は、社長に言わせると『大いに可能性を秘めた絵』とのこと。
いやはや。そっち方面に進む気のない友香里にとって、絵の評価など『大きなお世話』以外の何ものでもない。
「あぁ、そういうことぉ。『後に評価される』みたいな?」
「そゆことそゆこと。音楽もそうだと思わない?」
雄大は納得して大きく頷く。友香里も満足そうに頷いた。
画家である社長から『聞いた話』の受け売りだが、雄大にはそんな説明で通じたらしい。
たまには『社長の愚痴』も、聞いておくものだ。