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軋み始める器

「最近、学園内で生徒の魔力の揺れが目立っているようでだ。特に、高位の魔力を有する者たちほどその傾向が強い」


魔術理論の講義中、教壇に立つ老教授が分厚い眼鏡の奥の瞳を冷徹に光らせてそう告げた。

古びた講義室に、羊皮紙が擦れる音と生徒たちの微かなざわめきが波のように広がっていく。


「思春期特有の繊細な魔力は、本人の自覚以上に感情と密接に結びつく。行き場を失った強い感情の抑圧、あるいは自己矛盾。それらは魔力のバイパスを歪ませ、時に制御不能な暴走を招くこともあるのだ。本来魔力とは魂の輪郭に沿って流れるもの。その輪郭が歪めば、器は耐えきれなくなる」


その瞬間。

私は膝の上で重ねていた指先を、爪が食い込むほど強く握り締めた。


感情。

抑圧。

そして、暴走。


まるで、今の私の内側で起きている醜い異変を衆目の前で解剖されているような錯覚に陥った。

喉の奥が砂を噛んだように乾き、呼吸がわずかに熱を帯びる。


「強大な魔力を持つ者ほど、その危険性は増す。もし制御を誤れば自身の魔力回路が耐えきれず、自壊だけでは済まない。周囲をも巻き込み、すべてを無に帰す惨劇になりかねん。諸君、己の心を律せよ。器が壊れる前に」

教授の警告を含んだ低い声が、妙に鮮明に耳の奥へ残る。


自壊。

その不吉な響きに、胸の奥が凍りつくような冷たさを感じた。

今の私はまさに内側から膨れ上がる何かに蝕まれ、軋んでいる“器”そのものではないだろうか。

磨き上げられた公爵令嬢という外壁の内側で、ドロドロとした正体不明のエネルギーが出口を求めて牙を剥いている。




───……


講義が終わった後。

逃げるように廊下へ出た瞬間、石造りの柱の影で待っていたフレデリックに呼び止められた。


「レティ」

その聞き慣れたはずの甘く低い声を聞いただけで、私の心臓はまた制御を離れて激しく跳ねた。

最近はもう彼を見るだけで、あるいはその存在を感じるだけで、全身の筋肉が強張るのを止められない。

それは生存本能が鳴らす警報に近いものだった。


「今日の講義の内容、レティ聞いていただろう。教授の言葉はまるで君のことを指しているようだった」

フレデリックが距離を詰めるように歩み寄ってくる。

その規則正しい足音さえもが、私を追い詰めるメトロノームのように聞こえた。


「一度王宮の筆頭魔術師にきちんと検査を受けるべきだ。最近の君の魔力は誰の目から見ても明らかに不安定すぎる。中庭での一件もそうだ。このままでは、レティの身が持たない……」

「……ええ、存じておりますわ。ですが、少しばかりの疲労が重なっただけです。休息を取ればすぐに収まりますわ。心配には及びません」

「平気には見えないから言っているんだ、レティ。君はいつもそうやって自分を後回しにする。……頼むから私に頼ってくれないか。私は君の婚約者なんだ」


真剣な声。

そこには私を愛し守ろうとする純粋な優しさと、誠実な心配が満ち溢れていた。

全部分かっている。

彼は何も間違っていない。

正しいのは常に彼で、歪んでいるのは私なのだ。

彼の差し出す手は本来ならば、私が最も望むべき救いであるはずだった。


それなのに。

分かるからこそ、耐え難いほどに苦しく、悍ましい。


「私は、平気ですわ……っ」

「平気なはずがないだろう! 君の指先を見てごらん、震えている。……レティ、こっちへ。私が支えるから」


フレデリックが切実な眼差しで、救いを与える聖者のように一歩近づく。

それだけで、私の身体の奥が沸騰したような異常な熱を持ち始めた。

脳の奥に鋭い棘が刺さったような頭痛が走り、視界が激しく揺れる。

彼が纏う高貴な魔力が、私を包み込もうとするその気配が、今はただ私という存在を塗り潰す暴力にしか感じられない。


「っ……!」

私は弾かれたように大きく、無様に後退った。


そのあからさまな拒絶の反応に、彼の表情が凍りついたように固まった。

ナイフで斬られたかのように、深い傷を負った色へ歪んでいく。


「……そんなに、私に近づかれるのが嫌か。私の手は君にとってそんなに不快なものになってしまったのか。昔のように、笑いかけてはくれないのか」




───違う。

嫌いなわけ、ない。

嫌いになれたなら、どんなに楽だっただろう。

嫌いではないからこそ、その重すぎる善意を受け止めきれなくて。

自分の不甲斐なさに、呼吸ができなくなるほど苦しい。


けれど、その説明をどう伝えればいいのか自分でも分からない。

言葉を探そうとすればするほど、内側の魔力は制御を失い乱反射して器を内側から叩く。


私は震える唇を、血が滲むほど強く噛み締めた。

するとぱきりと乾いた音が響き、廊下の壁際にある大理石の台座に乗った花瓶に鋭い亀裂が走った。

中の水が滴り落ちる音が静まり返った廊下に、断頭台へ向かう足音のように異様に大きく響く。


周囲を通りかかった生徒たちが、息を呑んで遠巻きにこちらを見ているのが分かった。

フレデリックも絶句したように目を見開いたまま、動けずにいた。


私は自分の手を見た。

爪が食い込む手のひらから微かに、青白い燐光のような魔力が制御不能な煙のように漏れ出していた。

それは私の意志に反して、周囲の温度を奪い凍てつく拒絶の意思を具現化している。


その異常な光景に、背筋が凍る。


───本当に、私は壊れ始めている。

内側からの正体不明の圧力に耐えかねて、今にも粉々に砕け散ろうとしている。


私は何も言い返せないまま。

零れ落ちる魔力を隠すように、痛むほど拳を握り締めて。

静かに、けれど逃げるように視線を伏せた。

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