第89話:まもってやるからな
ディランはいわゆる悪ガキであった。
"瑪瑙城"で侍女として働く母は、毎朝早くに乗合馬車で登城してゆく、ここ王都三番街から王城自体は然程遠くはないけれど、大手門から入ってからがまあ長い。
行きも帰りも基本的に王城側が手配する城下に住む侍女の送迎馬車で通勤するのが時間的にもちょうど良い為、結果として日中はほとんど家にいない。
さみしかった。
だから人の興味が引きたくて、いたずらや喧嘩を繰り返した、同年代の男子のボス格になって、二番街や四番街のグループに喧嘩を売ったりもした。
勝ったり負けたりは……トントンだ。
鍛冶屋の父は朝から晩まで鍛冶場に籠りきり、別に名工で仕事が絶えないとかそういうんじゃない。
何せ王領にだって身持ちを崩した哀れな冒険者こと野盗山賊の類をはじめ、魔物と街道近くでも遭遇することだって決して珍しい話ではないのだから。
王都と言わず各地方の候都はもちろん伯爵領の街々まで、鍛冶屋・工房が存在しない街はない。
つまりはありふれた職業、なろうと思えば誰にでもなれるつまらない仕事。
その日、幼少のディランは夕食の席でそれを言葉にしてしまう愚を犯し、元王領騎士である母にそれはもう怒られた。
カーチャンの本気の怒りの鉄拳はディランの前歯をバッキバキにへし折り、夕刻の三番街の大通りにぶっ飛ばされた。
「ごべんなざい! カーチャン……!!」
「トーチャンの打った鎧が無かったらね!! アンタ生まれてないんだよ!? 朝まで表で反省しなッッ!!」
「な、何もそこまで」
「アンタは甘いんだよ! ノワールじゃあるまいし一晩くらい死にやしないよ!!」
ノワールも候都だから多分死にません。知らんけど。
あてもなくて、喧嘩に負けた時や、怪我をしたときいつも頼る幼馴染のパン屋の裏口で口から血をだらだら流して突っ立っている。
情けなくてノックもできなくて、このまま十三番街のほうまでぶらぶら歩こうか……そう思っていると中からパタパタと足音がした。
気づかれた? 気づいてくれた?
裏口が開いて、電光石火に繰り出された幼馴染のクローズラインはディランの意識を一瞬で刈り取って……。
次に目が覚めたらすぽぽんに剥かれてシーツ一枚かけられてソファに寝かされている、[回復]魔法をかけてくれていたのであろう桜色の髪の幼馴染の寝息を腹部に感じた。
そして枕は仰向けになったラスクの腹だった。
むき出しのナニが耳朶をくすぐるのはさすがに子犬のころから知ってる仲でも簡便して欲しい。
「……ぅッ!?」
慌てて顔を背けるディランの頭部を、犬の前足ががっちり抑える……。
(うお! 当たる!?)
――当ててんのよ。
(ああああああ!!)
「なぁに、起きたのー?」
ラスク枕に頭を抱え込まれたことでもぞもぞ動いたせいでお腹を枕に寝ていた幼馴染も目を覚ます、眠そうな水色の瞳をこしこしと右手で拭いながら視線はディランの口元に注がれる。
「うん、成功成功」
「え? あ」
コロコロ笑うフィオナの言葉でハッとしてディランは自分の口元に手をやった、ちゃんと前歯が生えている……。
フィオナのラリアットでどれだけ意識を飛ばされていたのかはわからないけれど、そう時間はたっていないはず、宵の口から本格的に夜になっている感じだ。
そんな時間で歯の再生なんてこれは[回復]どころか[治癒]の領域だ、幼馴染の魔法は確実に成長している。ぎょっとディランは驚いた。
……昔から驚かされてばかりだ。
幼い日、悪童の溜まり場に突然現れた可憐な美少女は脇目も振らずディランのところへやってきた。
「でへへ! わたしフィオナ! お友達になりましょ!」
でへへってなんだよとか意味は分からなかったけれど、女の子に至近距離に詰め寄られて悪い気はしなかった。
「お、おう、オレはこの辺りの五歳組をまとめてるディランだ! お友達になるなら、おまえのことはオレがまもってやるからな」




