第164話:愛する人
「…………ただいま」
「あら! ジョッシュ、おかえりなさいまし?」
やたら意気消沈しているジョシュアが戻ったのは、事もあろうかヴァネッサの私室であった。
贅を尽くした調度品、彼女の好む花の香りに満たされ、壁のガンラックには大小様々な銃器、通称〝ヴァニィコレクション〟が飾られている。
「ヴァニィ、無事かい?」
「……? ええ、まあ、無事ですわよ……?」
怪訝そうな問い返しで、小首を傾ぐヴァネッサ、無事を問われたのが何故かわからないようで、腰かけたベッドの上、膝枕で眠るヴァルターの頭をゆっくり優しく撫でている。
「あら……でもそういえばわたくし、どうして軍装を……? 〝魔鞘・雷斬〟まで……ノエル、おりまして?」
「ほーい、なあに? 不審者の排除?」
「ボクは不審者じゃない」
何処からともなく現れたノエルはお仕着せ姿だった、黒耀城滞在中は侍女としてのお仕着せか私服、もしくは西部方面軍騎士団ヴァネッサ小隊の軍装が主である。
――そうか、介入自体を絶った事で黒耀城の戦いそのものが無かった事になったという事か……。
鼻梁に指を添え眼鏡の位置を直し、内心で状況を分析する。
雷斬がヴァネッサの手にあるという事は、可愛そうな話だけれどクオンリィは先の話通りに銀朱で無念を得たのだろう。心の中で弔いの聖印を切る。
〝介入者〟が狙う相手はヴァネッサだけではない、そうジョシュアは考えていた。否、本命はヴァネッサ、そしてその外堀が――。
クオン・ザイツ。
ノエル・ガラン。
今の所、ノエルについての介入は聞いていないけれど、クオン一人が銀朱に散るという話には首を傾げざるを得なかった。あの筋金入りの主君大好きっ娘が、一体何があったら出奔するというのか……。
夢というのは、脳に刻まれた記憶・記録の再構成だという、本人の脳内に存在しない情報が顕れることは無い……。単純に考えればその箍の外に何かがある……筈なのだ。
「…………なあ、ヴァニィ……ああいや、ノエるんはちょっと外してくれてもいいんだが」
「……如何なさいましたの? まあ……よろしいですけれど」
ここでいう「外してくれてもいい」とは遠回しに「外せ」という事だ、ヴァネッサがノエルに軽く目配せすれば、首肯と共にノエルがヴァルターをお姫様抱っこで抱き上げて姿を消す。二人きりの状況だ。
「ありがとう」
「で、一体如何なさいましたの? 改まって」
「……言い難い事かとは思うのだけれど、確認しておきたいことがある」
不思議そうに金色の瞳を一つ瞬かせ、とりあえずベッドに腰掛けたまま隣をぽんぽんと叩く。まあお座りになって、という事だ。
婚約者同士にしたってそれは近すぎる距離かも知れないけれど、この二人に関してはこれも普通だ。促されるままに隣に腰を下ろすと、ぽふり、ヴァネッサの頭がジョシュアの肩に凭れかかる。
「何でも聞いてくださいまし?」
「……ああ、クオンの事なんだが」
「…………ええ」
一瞬の間が、決して満たされた別れではなかった事を想起させる。当たり前だ、死別を幸いだと笑うとかどこのライゼン・ザイツだ。……いやザイツ伯は当事者も当事者、実父だ。
「その、どうして彼女はヴァーミリオンに……?」
「行き先がヴァーミリオンだったのは、わたくしも……レオナードに〝魔鞘・雷斬〟を届けられるまで全く存じ上げませんでしたわ」
そう言って、ベッドの上の黒鞘を手に取ると、揃えた膝の上で優しく撫でる。
「……今にして思えば、〝抜刀伯〟様は時折南部方面軍騎士団で技術指導を行っておられましたから、その縁があってクオンもヴァーミリオンに向かったのかもしれませんわね」
「お父上がおられるかもしれないと?」
「……そこまでは、存じ上げませんけれども。そうですわね……レオナードの事も含めてもクオンと因縁浅からぬ土地ではございますわ」
そのレオナードの事があるから、ヴァーミリオンはヴァネッサの手が届かない範囲だった、本音を言えばどうしてそんな所に身を寄せるのかと苛立ちや不満もある。
でも、認めたくはないし、何処が良いのかとても理解だってできないけれども、クオンリィがレオナードを憎からず思っている事は察してはいた。そういえばマリアおばさまやリントにもよく懐いていた。
「……〝銀朱城防衛戦〟は熾烈を極めたと伺っております、そんな中でも、飛竜騎士団に非戦闘員の撤退を指示し、自ら魔王軍の押し寄せる大手門の最前線に立ち……被害を最小限に守護り抜いた…………剣士として誉を得た事は……幸いであった……と……」
「…………ボクの前で、心にもない事を言わなくていいんだよ、ヴァニィ」
声を震わせるヴァネッサ、優しく肩を抱き寄せれば、特に抵抗を示さずにジョシュアに体重を預ける。
「クオン……わたくしが……わたくしがあんな事さえ言わなければ……」
「…………あんな……事?」
ぎゅっと肩を抱いた手を取りなおされて、araしがみ付きなおされた肘から伝わるお胸の柔らかさと、微かな震え……それは、怯えだった。
「聞かせて、ヴァニィ……気休めかも知れないけれど、言った方が一人で抱え込むよりきっと楽だから」
抱き寄せたほうの腕はしがみつくのに奪われてしまい、それはそれはどみゅんと存在感と柔らかさを味わい最高ッ最高ゥッ最高ゥッッ!! なのだけれど、惜しむらくはさらにきつく抱きしめる事が出来ない……。まあこのスキだらけに見えてそつのないスキのなさは侯爵令嬢教育の賜物であろう。
ジョシュアとしてここで攻められるのはしがみ付くヴァネッサの手元に己の手を添えるか、髪を撫でるくらい。
まあ力づくでベッドに押し倒してしまう事も出来なくはない……夢の中とはいえそれはダメだけれど。……いや……いけるか――? いや、思っただけで耳元でバチチッと電気の弾ける音がした……おいおい、ケツホールも大いにやめろと思うけれど耳はヤバイって、耳は。
「――――本心では……ございませんのよ……っ」
ごめん余計なこと考えてた。苦々しく、絞り出すようなヴァネッサの声に我に返ると、「うん」と小さく相槌を囁き、続きを促す。
「……その、わたくし……〝フ/ァ/ィ/ー/ウ/オ/・・・・・・〟」
いやいやいやいや、何だこのノイズ……。
「――を、排除しようと……しておりましたでしょう?」
「……」
「アノオンナ!!!! アナタニイロメヲ!!!!」
「えっ――????」
正直、誰を? と聞き直したくて仕方がない。〝クオンを〟ではないことは間違いない……はずだ……一体、誰を。それにしてもヴァネッサの様子がおかしい……先程のおかしな〝介入〟がまた? と疑うけれど、その気配が無い……つまり、違う。
ボクに色目を使う愚か者の心当たりは……まあ、正直無いワケではない。ボク自身が手を下した事だって少なくはない。
一方ヴァネッサはと言えばどう婚約者の身びいきをしたところで、間違いなく嫉妬深く超短気で、怒った時の爆発力も暴走もなかなか滅茶苦茶だ。年齢を重ねて多少はマシになるかと思えば、思春期に突入して 悪 化 し た。だから現状は様子がおかしい……とは少し違うのかも知れない。
いや、違う――!
あのノイズは何だ? あれこそが〝介入〟だったんじゃないのか?
ボクは……いや、俺は何をしに女子寮にまで潜入した。
何をしに来た――!
何のために来た――!!
「ヴァネッサの笑顔の為だ!!」
「え――??」
唐突なジョシュアの気勢に、目の色が翳っていたヴァネッサの表情が変わる。紅を差す頬、釣り目がちの眼差しは柔らかく潤んだ。
「ジョ……ジョッシュ? い、いきなり愛の告白ですの? う、嬉しいですけれどもぉ……こ、こんなところで……!」
ベッドの上に並んで腰かけ、身体を寄せあった状態で頬を両手で包みくねっくねと身体をよじらせるヴァネッサ。いろいろ柔らかい物が腕を刺激したり良い香りが鼻腔を擽ってくれる。
「フ……F……フィオナ……君か?」
「ソウヨ!! アノオンナ!!」
「バカな、彼女はディラン君の……その、付き合っているんだろう? あの二人は……」
バカバカしい、と思った。ジョシュアの目から見てもあの二人は賑やかでいて、それでいて仲睦まじいな、と感じていたからだ。本気で羨ましくも無いが。
だからこそ、ヴァネッサに気をかける可能性の低いディランを自身の〝御学友〟候補にしたのだから……。
夢、これは、ここはヴァネッサの夢の中。
〝夢に介入する〟魔法を扱えるジョシュアであったけれど、あくまで介入であり、根本的には対象者の思考に大きく左右される。特に夢の中の本人は現実と変わりがない。
つまり、これはヴァネッサ自身の闇。表に出しているかいないかは知らないけれども……クラス内でフィオナ君はクオンリィ一派の一人だ、席も隣な事もあるし、本人曰く〝連れション〟仲間なのだ。その彼女にここまでの闇を抱えるか?
自身の魔統が〝闇〟なのがもどかしいと感じるのは初めてであった、せめて同じ王家の、兄が継承している〝光〟であれば……無いものねだりが心の中で首をもたげる。
――しかし、言葉通りの無いものだ。だからジョシュアは自分自身に、この身一つで出来る事を考えた。
「……ヴァニィ……!」
「――ッ!? ジョッ……シュ……?」
そんなもの、二つの腕で抱き締めるくらいしか……いや、それ以外になかった。
それだけだ、それだけだけれども、確かにヴァネッサの怒りに満ちた形相はたちまち柔らかくなり、鋭く獰猛に輝いていた金色の瞳の光が柔らかくなってゆく……だって、ヴァネッサにとってはその温もりこそが安らぎなのだから……。
「ああ……ジョシュア、わたくし……どうして……不安に………なんて」
ぎゅ、と抱きしめ返すヴァネッサの腕の力が強くなるにつれて、世界が白く染まっていく。夢の終りだ、目覚めるのか、或いは夢も見ない深い眠りが訪れるのか、何れにしろ潮時だとジョシュアは感じる。
――さて、〝介入者〟か……何か知っているらしいクオンリィとも協力する必要がありそうだね……。
薄れゆく夢の中、ヴァネッサの額にそっと口づけを落とし、ジョシュアは夢への介入を解除するのだった。
愛する女に何かが起こっている、ならば――。
「……ぁン? 意外と早い目覚めだな」
壁に背を預け、愛鞘を抱えるクオンリィが目覚めたことに気付き声をかけて来る。女子寮の廊下はまだ暗く、夜明けはまだのようだ。こちらからは彼女の顔の左側しか見えない、つまり目は眼帯で被われているし、その中がどうなっているのかもジョシュアは知っている、それでも微動だにせず、近くの人間が〝起きた〟気配に正確に反応して見せた。
化け物が、と思いはするけれど、ジョシュアは早々に鼻梁に指を添えて眼鏡の位置を正し、声色を変え命ずる。
「クオンリィ・ファン・ザイツ伯爵令嬢中尉、ヴァネッサの護衛ご苦労。早速だが指示がある」
「……はっ」
言葉に反応し、居住まいを正して片膝を着くクオンリィの傍らに、同じように片膝を着いたノエルが並ぶ。「何なりと」二人の所属はノワール家である、いつもジョシュアを煽る時に言っている事だ。しかしそれは幼馴染とじゃれている時に過ぎない、〝アルファン王国第二王子〟としての言葉であれば、生粋の軍人である二人は感情を度外視する……。
本当は、本当の事を言えば、ジョシュアだって愛する婚約者の側近であり自身にとっても親友の二人にこんな態度をとらせたくなどない、それでも――。
「ヴァネッサの夢の中で何か……何者かの介入を受けた。
ザイツ中尉、心当たりは? ガラン大尉も情報はあるか?」
「それ……は……ッッ!」
ハッとして紫色を見開き伏せていた顔を勢いよく上げるクオンリィ、目は口程に物を言う、心当たりがある事は明白だった。
「あるんだな? 話せ……心配するなクオン、ボクは協力するつもりだ……ノエルのほうはどうだ? 何か掴んでいるか?」
「申し訳ございません……アタシはまだ……何の情報も」
対し、ノエルは伏せたまま、静かに言う。諜報を生業とする彼女にとって今回の件で何の成果も独自に得られていないのは屈辱に他ならないだろう。
「そうか、気にするな……夢の話なのにこのバカが心当たりがある事が異常なんだ。
……さて、クオン。話して貰うぞ、何が起きている?」
【攻略対象者】ジョシュア・サードニクスはこの瞬間確実に【原作】と違う道に歩み始めたのだった。
それは恋の魔法か、愛の呪いか。
――つづく。
※いつもお読みいただきありがとうございます。




