281 大平原のそこそこ大きな家
翌朝。目覚めてまず最初にしたことは着衣に乱れがないかの確認だったけれど、それについては許して欲しいと思う。
俺は体を起こして背筋を伸ばすと、窓から外を眺めた。空はまだ薄暗く霞がかっており、見ているだけで寒さが伝わってくるようだ。予定していた早朝からの出発には十分間に合う時間帯だろう。
部屋から出ると、示し合わせたかのように女性陣も部屋から出てきたところだった。ニコラはまだ目をショボつかせているが、さすがに二度寝とはいかないようだ。
「みんなおはよう。顔を洗うなら厨房を使ってね」
「おはよう~。そうさせて貰うわん。ほらほらニコラちゃん、ちゃんと起きないとダメよ~」
「ふぁーい……」
そのままセリーヌとニコラが厨房に向かうと思いきや、ニコラは寝ぼけまなこを俺に向け念話を届ける。
『セリーヌがお兄ちゃんに夜這いするかなーと、しばらく寝たフリを続けていたので、めちゃくちゃ眠いです……』
『あっそう……。何もなかったようで何よりだよ』
『今夜はセリーヌと添い寝してみませんか? きっとワンチャンありますよ?』
『やらないよ。ほら、さっさと顔洗ってきな』
『ちぇ~』
そうしてニコラを見送っていると、エステルから声をかけられた。
「おはよ、マルク。あの、ボク水魔法使えないから……」
「あっ、そうか。桶に水を入れてあげるね」
「えへへ、ありがとね……」
エステルが申し訳なさそうに頬をかくと、胸元に流れた髪飾りがプラプラと揺れた。まだ髪が乱れているセリーヌ、ニコラと違い、既に身だしなみは整えられているようだ。
シュルトリアではいつも俺を起こしに来るくらいの早起きだったし、今朝も俺たちよりもずっと早く起きていたのかもしれない。顔を洗うのをずっと待っていたのだとしたら申し訳なかったな。次からは厨房に水桶を備え付けておこう。
それから厨房の流し台で順番に顔を洗った。俺が水魔法で浮かんだ水球で顔を洗って流し台から頭を上げると、厨房の窓の外からは焚き火の片付けをしているカズールの姿が見えた。カズールもこちらに気付いたらしく、手を振ってきたので振り返してみせる。
その後タオルで顔を拭いていると、すでに洗顔を終えたセリーヌが腑に落ちない表情を浮かべながら窓の外を見つめてボヤいた。
「こうして外のだだっ広い平原を見ていないと、町の宿にでも泊まっていると錯覚してしまいそうね……。ねぇエステル、冒険者になるつもりなら、これが普通の野宿だと勘違いしないように気を付けるのよん?」
「う、うん。さすがにボクもこれが普通だとは思わないだろうけど……」
セリーヌの言葉にエステルは苦笑で返した。
◇◇◇
旅装束に着替えて準備を整えた後、俺たちは外に出た。太陽はまだまだ低い位置にあり、吹きさらしの平原を薄ぼんやりと照らしている。野宿の間に一度くらいは、この広大な平原から昇る日の出を拝んでみたいものだなと思った。
外で軽くカズールと挨拶を交わした後、出発に備えて準備を始める。と言っても馬の餌やりはもう終わりそうなので、後は俺がコンテナハウスを片付ければすぐにでも出発出来そうだ。
俺はコンテナハウスに手を向けて収納を念じる。アイテムボックスにすんなりコンテナハウスが収納されると、それが消え去った後の地面の隅の方に穴ボコが開いているのが見えた。昨日掘ったトイレの穴だ。
このままに放置して通行人が落っちたりすると危ないので、もちろんしっかりと埋めることにする。しかし俺が穴に向かって歩きだしたところでふと視線を感じて振り返ると、真っ赤な顔のエステルと目が合った。
「カ、カズールさんの手伝いをしてくるねっ!」
エステルは赤い顔のまま、馬車の元へと走って行った。……あー、そういうことですか。
俺にはそういうマニアックな趣味はもちろんないし、あまり気にしない方がいいと思うのだけれど、思春期街道を走り始めた彼女からすると、恥ずかしいという気持ちは分からんでもない。俺はチラチラとこっちを見るエステルをなるべく気づかうように、あまり下を見ないで穴埋め作業を行った。
「それじゃあ出発しようか。みんな乗って乗って~」
穴を埋めて一息つくと、カズールが呼ぶ声が聞こえた。昨日は寒空の下、馬車の中で毛布に包まりながら寝たであろうカズールだが、疲れている様子は見えない。本当に野宿に慣れているんだろうな。俺たちが馬車に乗り込むと、すぐさま二頭の馬は一直線に駆け出した。
◇◇◇
そしてその日も無事に移動を終え、夜は予定通りの肉フェスでカズールに感謝の意を伝えた。カズールは大喜びでバクバクと食べ、それに釣られるようにニコラもバクバクと食べた結果、トイレの住人になった。いい加減懲りないものだろうか。
更に翌日。遠巻きに追走するグラスウルフの群れに出くわしたが、馬が更にスピードを上げるとあっさりと引き離すことに成功。本当にカズールのギフトは行商にピッタリとハマっていると思う。
そのまま馬車を走らせ昼を過ぎた頃には、周辺には広々とした畑が見え始め、その間を縫うように移動を続けているとカズールが声を上げた。
「見えてきたね。あそこだよ~」
馬車の進む先に、立派な柵に囲まれた集落が近づきつつあった。どうやらあれがレフ村らしい。道中で聞いた話によると、宿場町であるトルフェの町に近い村の一つで、セリーヌも何度か立ち寄ったことがある村なんだそうだ。
しばらく進むと柵の切れ目に男が立っているのが見えた。あそこが村の入り口で、男は門番なのだろう、こちらをじっと見つめている。
セカード村やサドラ鉱山集落には見張りはいなかったし、ここから宿場町への定期便が出ていることを考えると、俺の知ってる村や集落よりも規模が大きいようだ。
「やあ、カズールさんか。いらっしゃい。……おや、今日は一人じゃないんだね?」
二十歳くらいの若い男が馬車の中の俺たちを覗き込みながら声をかける。
「ああ、同郷の人たちと一緒でね。入っていいかい?」
「もちろんいいともさ。俺は村長に行商人カズールがやってきたって知らせてくるよ」
そう言って背を向けると、俺たちをほっぽり出して走って行った。門番、お前それでいいのか……。
「それじゃあとりあえず宿まで案内するよ~」
どうやらいつものことらしい。特に気にする様子もなくのんびりとカズールが馬に合図を送り、馬車はゆっくりと門を通過する。
こうして俺たちは最初の目的地、レフ村へと到着したのだった。




