254 変化
セリーヌを抱えたまま偽岩風呂に到着した。俺は風呂場周辺のタイルの上にセリーヌをそっと寝かすと、ほっぺたをぺちぺちと叩く。するとセリーヌの長い睫毛が震え、目蓋がゆっくりと開いていった。
「あの、セリーヌ。ごめんね、少し調子に乗りました……」
昨日の仕返しとはいえ、俺もちょっと楽しくなっていたのは否めない。いつもと違って気遣わずにガンガンと攻め立ててしまったからな……。こういうのは速攻で謝罪するに限る。
セリーヌは何も言わずむくりと体を起こすと俺をジト目で睨み、そのまま俺の両頬を少し強めにむにむにと引っ張るとようやく口を開いた。
「はい、これでお仕置き終了。ほらほら、汗かいちゃってるから離れてちょうだい」
そしてプイッと横を向き、そのまましっしっと手を払った。俺は少しだけ痛む頬をさすりながら答える。
「うん? 別に嫌な匂いじゃないから気にしないよ」
「~~! そ、そういう話じゃないの! ほら、早く離れる!」
セリーヌは相変わらずそっぽを向いたままプルプルと震えだし、さっきよりも激しく手を払った。
さすがにこれ以上この場に留まるのはマズいことくらいは分かる。俺は駆け足で浴槽へと向かうと手早く入浴準備を始めた。
『ほら、大して怒られなかったでしょう? 後は私に任せて帰るといいです』
『正直謝り足りないんだけど……。まぁ今はこのまま退散するよ』
なんだか頼もしいニコラにこの場を任せることにして、入浴準備を済ませた俺はそそくさと家へと戻ることにした。
ちなみにその日の夕食時には、セリーヌはもういつも通りに戻っていた。
年下の子供にいいようにされるなんて、俺ならかなり根に持っちゃうと思うのだけれど、セリーヌの度量の広さには感心するね。
――――――
翌朝。いつものようにエステルが扉をノックする音で目が覚めた。俺は窓から差し込む早朝の薄明かりを見ながら軽く伸びをすると、寝間着のまま玄関へと向かう。
「お、お、おはよう、マルク!」
玄関扉を開けると、エステルは真っ赤にした顔を強張らせながら直立不動で俺に声をかけた。いつもなら楽しげに無邪気に笑いながら朝の挨拶をしてくれるんだけどな。これは一体どうしたことなのか。
「おはよう、エステル。ええと……、どうかしたの?」
「ななな、なんでもないよ! いつも通りだよ!?」
「いつも通りってことはないと思うけど……」
俺が訝しげにエステルを見つめ、更に食い下がろうとしたところで念話が届く。
『お兄ちゃん、女の子には色々と秘密があるのです。あまり詮索してはいけませんよ?』
振り返るとニコラがしたり顔でこちらに近づいてきていた。なんともニコラらしからぬ正論だが、ここはひとまず追及を止めることにする。
「おはよー、エステルちゃん!」
「おはよう、ニコラ」
あれー? ニコラには普通に対応しているな。もしかして俺はエステルにまで何かをやらかしたんだろうか。
しかしエステルと最後に会ったのは、昨日の昼に寝過ごして渡せなかったグリーンフォックスを渡した時だ。寝てしまったことを謝ったら笑って許してくれたし、あの時はそれほど変わった様子ではなかったと思うんだけどなあ。
そういえば、昨日はボルダリングにも遊びに来なかったな。所用で来ないこともあるので、それは特に気にしてはいなかったんだけど、もしかしてその時になにかあったのだろうか。
その後出かける準備を終え、いつも通りに家を出る。この時になるとエステルは最初の不自然さは鳴りを潜め、一見は普段と変わらないように見えた。
しかし移動中はいつも欠かさず手を握ってくるのに、それがないのはやはり気になる。……よし、ここはひとつリサーチとして、俺から手を握ってみることにしよう。俺はエステルがいつもしてくるように、ぎゅっとその手を握ってみた。
「ひゃん!」
握った瞬間、エステルから変な声が漏れ、長い耳がピーンと上に伸びたと思うと一瞬でその耳が真っ赤になっていた。
「エ、エステル?」
「い、いや、なんでも無いよ!? それじゃあ今日も元気にボクの家に向かおうねえ!」
エステルは俺と握った手を振りほどくことは無かったが、やたらと強く握りしめブンブンと振り回しながら早足気味に歩き始めた。
うん、これは明らかにおかしい。しかし怒っている様子はないみたいだし、気にしないほうがいいのかな……。
俺はやたらと手汗を流しているエステルを横目に見ながら、昨日の自分の行動をもう一度思い返しつつ、エステル家へと向かった。




