STEP4-0 唯聖殿での思い出~カイル、もしくは憂城甲斐の場合~
――くるべきときがきた、そう思った。
思っていたより、早かった。そんなところまで、ぼくはダメだった。
そんなふうに、ぼくは絶望した。
なぜって、ぼくの目の前には、ずぶぬれになった貴人がいる。
足元には、割れてころがる水差しが。
そしてぼくが着ているのは、小姓のお仕着せだったのだから。
* * * * *
もともとぼくは、駄目な子だった。
同じ施設の夜族の中でも能力はドンケツ。希少ブランチの『夜天族』であったため、その種を残すためにと“飼われて”はいたけれど、成熟して次代を残せば、そこでおしまい。
そんな未来が目に見えていたぼくは、追加属性を持たされることもなく、当然封じ名もなく、酷い研究者には“あのカス”とまで呼ばれていた。
おなじ夜天族のゆきお姉さんをはじめとした、夜族のみんなはやさしくて、亡き母さんからもらった名前を呼んでくれたけど。
……そのことだけがぼくの支えで、小さな小さな希望だった。
ぼくたちの中で一番の傑作といわれていた『アズール』が脱走し、偉名王のもとで大陸統一を成し遂げた後、ぼくたちはまとめて城つきとして取り立てられた。
といっても、やはりぼくはみそっかす。
結局与えられたのは、サイズすら合わない、小姓のお仕着せだった。
まだ子供だったぼくは、貴人の離宮での下働きを命じられた。
そこはその人の子を生ませるためにと、ゆきお姉さんたちが自由を奪われ、作られたハーレムだった。
それでもみんなは優しくて、ドジばかりのぼくをいつもかばってくれた。
けれど、それのできないときは、いやおうもなくきてしまった。
* * * * *
忘れもしない、その日。
廊下で水差しを運んでいたぼくは、とうのその貴人と鉢合わせしてしまったのだ。
出会いがしらの衝突。対等な間柄なら、お互いにゴメンナサイか喧嘩するかで済んでしまう事故。けれどこのときは――
ぼくはいつ始末してもいいみそっかす。
相手はこの国に加護を与えし『神の子』サクレア様。
もしもサクレア様がわざとぶつかってきたのだとしても、こいつがぶつかってきたのだと言えばそのとおりになり、たとえこの場で手打ちになっても、それをとがめるものはない。
そんな絶対的な立場の差の前に、あるのは絶望だけだった。
申し訳ございませんと必死で平伏しながらぼくは、戦場で幾多の敵を撃退してきたというそのチカラが、ぼくの命を奪いに降ってくる瞬間を待っていた。
「だいじょぶだった、カイルくん?」
でも聞こえてきたのは、そんなことば。
やわらかくて、あったかい、春の日差しみたいな声。
思わず目を上げれば、いっそ女の子みたいにも見える、優しいお顔が目の前にあった。
そのひとはぼくと視線の高さをあわせて――すなわち、ほとんど寝転ぶ勢いで、ぼくを気遣ってくれていた。
それどころか、暖かなお手で、ぼくの頭を撫でてさえくれたのだった。
「ごめんね、僕がぼうっとしてたから。……
けがはなかった? 治してあげるから、みせてみて?」
「あ、……あ、……」
ぼくはただ、いうままにするしか思いつかず。
「『元気になーれ』!」
差し出した手が、暖かい両手に包まれて。
優しい言葉と暖かい光を浴びて、傷を癒されていくのを……
「ふふっ、ないしょだよ?
あんまりこれやると、おこられちゃうからね!」
いたずらな笑みとともに、同じチカラで水差しまで直してくれるのを、ただ呆然と見ているしかできなかったけど。
――そのときぼくはこの方を、心の主と決めたのだった。
* * * * *
あれから、どれほど経っただろうか。
幾度もの転生の間、ずっとずっとずっと、我々はあの方を待ち続けた。
ユキマイのほとりに骨を埋め、一族の秘密を、この方のための遺産を、生涯をかけ守り続けてきた。
そしてようやく、待ちに待ったそのときが来た。
始めて恋をしたときのように胸を高鳴らせ、いま、その人の待つ部屋へ。
深呼吸して、震える足を励まして。
ゆっくりと、開かれたドアをくぐった。




