STEP6-3 ~親父の責任・1~
ぐてーっと背もたれに身を預け、アズールはため息をついた。
「はああ。こりゃ、カンペキ俺の負けだわ。
返さなきゃなんねえな、七瀬の印璽」
「……は?」
「俺さァ。賭けしたんだよ、吾朗ちゃんと。
ナナちんとロクちんがもし、誰も殺さず事態を収拾できたら、こいつをかえしてやる。
だがもし手を汚したなら、これを使ってナナちんを次の当主にする、てな」
ヤツはふりかえり、にやりと笑った。
それはすっかりあの晩の、極悪非道な笑い顔。
やつの言葉が意味することは、ナナっちの破滅。
バッドエンドに絶望したナナっちは、アズールにとらわれ、種馬として使われる。
そして、生まれながらにヤツに仕える、強力な七人の騎士を作らされる。
すなわち、七瀬が最も恐れていた事態が実現するということだ。
サクが低い、低い声で言う。
「なるほどな。印璽を奪われていては正規の当主交代は――
それによる、八番目誕生の回避という策は取れん。
だが、それを明かせば七瀬は世に恥をさらし、大きく力を失うこととなる。
七瀬の者たちを守るため、当主吾朗に残された道は、残された兄弟たちにスノーフレークス抹殺を命じること。
万に一つの奇跡にかけるか……
スノーフレークス、もしくは五人の息子たちの誰かを、戦いを通じて犠牲とするために」
シャサさんもこわばった声で言う。
「でも、ナナっちとロクっちはそれを止めるためにと立ちふさがる。
そして……」
そして、兄さんたちの誰かを殺させられ、アズールの手に落ちる。
奇跡を、起こすことができなければ。
「めちゃくちゃだ。そんなの、もはや賭けですらねーだろ!!」
「さーてね?」
「っていうかなんでナナっちなんだよ!!」
「ったりめーだろ。
七瀬は下の子ほど力が増す。
せっかく七番目がいるんだ、わざわざ他のヤツを使うまでも……」
そのとき、ヤツがはっと口をつぐんだ。
「サクやん! みんな! 大丈夫だった?!」
同時に自動ドアが開き、ナナっちたちが地下研究室に姿を現した。
俺たちの無事を確認するや、顔をほころばせて走ってくるナナっち。俺も駆け寄る。
「それはよっぽどこっちのセリフだナナっちー!!
みたぞ動画! すげーよマジ! イツ兄さんもちゃんと助けて!」
「ありがとう。サクやんたちのおかげだよ。
スノーさんのもってた、心を伝えるチカラ。あれがあったからできたんだ。あれがあったから、みんなに助けを求めることができた。イツにいもだれも、死なせずにすんだ……!」
手を取り合い、健闘をたたえあっていると、ナナっちの瞳に涙が浮かんだ。
言葉にすることで、ほっとしたのだろう。
「まだ終わりじゃないぞ、奈々緒。
無事に連れ帰らねばならん、スノーフレークスを」
「うん!」
サクにやさしく肩を叩かれ、ナナっちは涙を拭いた。
そしてくるっ、とアズールに向き直る。
アズールはすでにソファーから立ち上がり、ナナっちと対峙する様子だ。
長い手足をぶらぶらさせ、口元にはニヤニヤ笑いという余裕の構え。
「よーうナナちん。どーよ、俺サマの天才手腕?
“八番目の存在を知らされた七瀬は、当主サマを守るために赤ん坊を殺しにきた。”
たとえそこに俺たちの裏工作があったとして、これは天下万民の“知る”事実だぜ。
これまでの行いも大概ヤバかったしなァ。挽回とかほぼ無理ゲーじゃね?
これで旧七瀬はなしくずしだ。お前の好きなようにできるぜ。どーとでも、な」
そうのたまって、ヤツはナナっちに薄水色の何かを投げてよこした。
大きさは赤ん坊のこぶしほど。卵形にも近い、すべすべとした六角柱。
よく見ると、印面らしき一面にだけ、赤っぽいものがついている。
おそらくだが、あれが七瀬の印璽。
ナナっちが『使う』ことで、七瀬の当主は吾朗おじさんからナナっちに変更されるのだろう。
その方法は、わからないが……。
「なっちまえよ、当主。
つか七瀬を守りたいんならそれしか選択肢はねえぜ。
いま世の中が受け入れる七瀬当主はお前だけだ。
もしもお前が当主にならねえってなら、『スノーフレークス』は七瀬家当主の第八子として産声を上げ、やつの力が暴走し、この一帯は崩壊する。
お前の親父はもちろん、ここにいるほとんどが水に召されるだろうな。
……ま、お前とお前が守った何人かは助かるんだろうが。」
アズールは先ほどまでの脱力っぷりはどこへやら、前以上の極悪笑いでナナっちに迫る。
“賭け”に勝ったら勝ったで、ナナっちを強制的に当主に据える。負けたら負けたで、印璽を持たせたナナっちを誘い、追い込み、当主にならせる。
どちらにしても、ヤツの狙いはそれひとつ、だったということだ。
なんて、狡猾なヤツだ。どこまでナナっちを苦しめれば気が済むんだ。俺は全力でヤツをぶん殴りたくなっていた。
しかし、とうのナナっちは冷静だった。
あくまで静かな表情で、アズールを見返す。
「七瀬がこのままのカタチでいいとは俺は思ってない。でも、こんな方法でなし崩しにするのはもっと間違ってる。
俺はこれを、親父に返す。そして親父たち自身の判断で、七瀬を建て直してもらう。
それが、七瀬の崩壊ならそれもよし。俺を当主にというなら、その言葉を聴いてから、話し合って決める」
「『八番目』誕生の神話、お前も読んでんだろ。
当時の奴らが止めようとしなかったわけもない。総がかりで必死で止めようとしただろうよ。それでも、奴らは呑まれた。
『八番目』は神なんだ。人の子に制御できるモンじゃねえんだ、そのチカラはよ」
「やってみなくちゃわからないさ!」
「ダメだったときにどうセキニン取る?
ユキシロやサツの誘導でヒトは逃げただろう。
だが、この一帯を壊滅させたなら、七瀬に賠償金は払いきれねえぞ。
よしんばユキシロの支援があったとして、家財一切を失って生きるのがどれだけしんどいか。しらねえお前じゃないと思うがな、“ナナキ”?」
「っ……!」
「おまえさ。……がんばってたよな。
俺さいしょ、可愛いけれどバカな野郎だ、大概おヒマなボンボンだとしか思ってなかった。
けどよ。その俺が、助けちまったんだぜ。
おまえは、弱い立場の人間の苦しみを、無視できるような野郎じゃねえ」
たたみかけるアズールが、その声音がとても、真剣に感じられた。
これは演技だ。説得のための。わかっているはずだ。なのに、そうだと思い切れない。
「ぁ、……」
「ナナっち!」
ナナっちが、小さく声を上げた。
二度、三度。あえぐようにして――
「その責任はわしが取ろう」
ナナっちを止めようとした、そのとき研究室に響いたのは、腹にずしりとしみる声。
着流しをまとい、右腕を包帯でつって。
ゆっくりと歩を進めてきたのは、ナナっちによく似た初老の男性。
ナナっち以外の七瀬メンたちが、一様に最敬礼で迎える、そのひとこそ――
七瀬家現当主、七瀬吾朗。
朱鳥で一番怖いといわれる家の、トップに君臨する『王』だった。
「奈々緒。やるがいい。
わしはお前を信じている。
あれだけの力、そして優しさを示したお前なら、きっとやれると信じている。
だが、もしもダメならば――」
はらり。包帯が解かれて散った。
七瀬吾朗は、両腕を広げ、水槽の前にその身をさらす。
「わしがすべて受け止める。
そう、できればよし。
できなければ、その瞬間にこの子は『当主の八番目の子』ではなくなる。
いずれにしても、この地は、おまえたちは守られる」
「おやじ……!!」
「へぇぇ。それはそれはご立派なことで。
でもいーんですかいダンナ。アンタが死んだら、『もと当主の子』らは『ただの七瀬』だ。この俺サマ相手に身を守ることなんざ、とってもとてもできねえぜ?」
「奈々緒には友がいる。
ひとかけらの偏見すらもつことなく、側で愛し守ってくれた、最高の友が。
そして、その男の仲間たちもここにいる。
このひとたちならば信じられる。これまで、七瀬と三島以外を信じることがなかった、この七瀬吾朗でもな」
そういって、七瀬吾朗氏は――ナナっちのお父さんは、俺に向けて一礼した。
「此花さん。そしてみなさん。
奈々緒を、息子たちを。そして、七瀬の皆を。
“家族”をどうか、よろしくお願いいたします」
俺のこたえは、もちろんひとつだ。
「わかりました。いえ、一緒に帰りましょう。
俺もあなたに加勢する。
俺はナナっちの“家族”のことを頼まれた。
それには当然、実の父親も含まれてるんですから」
「っ……!!」
吾朗おじさんが、何人かの黒スーツたちが、目を伏せる。
その下に隠されたものを、今は見るまい。
俺は顔を上げ、声を上げた。




